2008年6月25日 (水)

あの朝日新聞が「遺憾の意を表明」-朝日新聞社訴訟 名誉毀損 和解成立

①朝日とNHK

「朝日とNHKは裁判官の信頼が厚いので、名誉毀損裁判で勝つは容易なことではない。」とのアドバイスを受けていました。朝日とNHKを提訴するときは、それなりの勝算がないとできないということでしたが、

              NHKは明らかに隠し撮りをした。」

              「朝日新聞はちょっとでも取材すれば、誤りであることが分かる記事を書いた。」

ので勝算ありと判断して提訴しました。(「裁判官の信頼が厚い」とはいっても、昨今朝日は『死に神』問題、NHKは「記事盗用記者諭旨退職」問題「写真無断使用で告訴」問題でその信用も揺らいでいるようですが。)

 NHK訴訟では、逮捕直前に刑事に同行する場面を撮影したことは「隠し撮り」であると認定されたものの、本人訴訟で高裁まで勝負するも敗訴。[i](『判例時報』を読むと勝敗は紙一重の印象。代理人に依頼すれば勝てたかも?)

②横綱対決

 朝日新聞の名誉毀損裁判では、両者の代理人が名誉毀損裁判での最高実力者で、当時、自社の記者尋問を終えていた共同通信の代理人が「東西横綱対決」と評し、「勉強とためにと」多くのメディア側弁護士で傍聴席が埋まったことがありました。ちょっと詳しい人なら誰と誰だか直ぐ分かるでしょう。

③「遺憾の意を表明」とは

 新聞社が「遺憾の意を表明」したということを平たく言えば、「明らかに間違った事実を新聞に書いてしまったことを認めて謝ります。」というところでしょうか。法曹界には、暗黙の認識で決まり切った文言があるようです。

④大朝日新聞のイメージ

 高校生のころから、朝日の記者といえば筑紫哲也と本多勝一。筑紫氏が書いたか言ったか忘れたが、「本多記者とは同期でその年は、まともな入社試験がなかったので、変なのが入社した。」という認識があるらしい。大学生のころに両者の本は文庫で何冊も読んだし、大学生のたしなみとして朝日関連の本は、批判本も含めて相当数読んでいた。よい悪いは別として、「朝日の記者」ならある程度のインテリジェンスや記者魂あるいは品の良さを持っているものかと勝手に想像していました。(朝日の代理人の学者風の品の良さ紳士的格好良さがさらに期待させてしまったのかも知れません。)

⑤壊されたイメージ

 しかし、出てきてがっかり。アメリカンフットボールのディフェンスの選手が、徹夜で飲んでその足で法廷にやって来たと思われるような知性を全く感じない脂ぎった風貌で視線が遊んでいる。ワイシャツの一番上のボタンがきつくて閉まらないフリーの相場師といった印象でもある。一連の裁判で、多くの新聞記者を見てきましたが、例え尋問に対する返答の態度があまりよくなくとも、誰にもかならずジャーナリストとしてのプライドや真摯な姿勢が見られました。しかし、この記者は、「こんな奴が父親と同じ職業についていたのかと思うと情けなくなる。」ような輩。「今、『三学会報告書』と『女子医大の内部調査報告書』を読み比べても、大体同じこといっていると思います。」旨の発言。知性も誇りもなければ、恥も知らない、法廷に対する敬意など全くなし。「朝日」のイメージが根底からひっくりかえるような記者でした。(もっとも、この日出廷した東京女子医大元院長 東間紘調査委員長の発言に歩調を揃えなければいけないということもあったのでしょうが、それにしても酷かった)

彼以外に多く存在する朝日新聞の記者さん。私のイメージを返してください。

追伸:「逮捕された当時にとっていた新聞は何新聞ですか。」「産経新聞です」

「拘置所に勾留されている時にとっていた新聞は何新聞ですか。」「読売新聞です」

時効を主張するネタを尋問から引き出そうとされたのでしょうが、残念でした。朝日新聞は医局の休憩室で読んでいます。

 


[i]判例時報 2008年4月21日

○医療事故につき業務上過失致死罪で起訴され一審で無罪判決を得た医師が、任意同行される姿の隠し撮りと共に逮捕時の警察発表等に基づく報道をした報道機関に対して求めた名誉毀損等に基づく損害賠償請求が棄却された事例(東京高判 19・8・22)

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2008年6月24日 (火)

「信頼の原則」の医療事故への適用

はじめに

 患者に点滴をするときに、雑菌が混入しないような清潔操作、処置をするように医師自らが指導して、手技をマスターしたと思われた看護師に全ての処置を任せた結果、患者さんが死亡したとする。「信頼していたのにまさかそんなことをするとは思っていなかった。」といっても、それは医師の言い訳に見えるかもしれない・・・。とニュースを読んでいたところ、以前に勉強した「信頼の原則」まとめを引っ張り出してみた。弁護士さんが以前にまとめたものに、自分で集めた最近の資料を合わせてブログに掲載する。

 医療事故調座長の前田雅英氏、ヤメケン代表飯田英男氏。この分野では何度も出てくるが、医療界ではこういった法律屋が幅をきかせているのに対して、同調までしているかのように見えるが、よいわけがない。両氏とも複数回出てくるので、そこだけでも読んで彼らが医療界にとっては、危険な人物であることを理解してもらいたい。

 以下、抽象的な総論の「I 学説」が最初に来てしまうため、初めてこの概念を知る人には取っつきが悪い。

II判例」を最初に読んでいただき

・千葉大採血事件

・北大電気メス事件

のふたつを読みくらべて、

「千葉大採血事件」→医師有罪、看護師有罪も刑が軽い

「北大電気メス事件」→医師無罪、看護師有罪

という極端な差が何故でたのかを考えると興味がわいてくるはずです。

I 学説

◇適用場面は限定的にとらえるべきという見解もあるが、医療事故についても「信頼の原則」の適用はありえるとする見解が主流である。

1 信頼の原則・定義

西原春夫

『交通事故と信頼の原則』S44

 「行為者がある行為をなすにあたって、被害者あるいは第三者が適切な行動をすることを信頼するのが相当な場合には、たといその被害者あるいは第三者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、それに対しては責任を負わないとする原則」

板倉宏

『新訂刑法総論補訂版』2001

 「社会生活上必要不可欠であるが、危険を内包する仕事すなわち、『許された危険事務』をしている者が、他人(医師と看護婦といった仕事のパートナーもあれば、加害者〔ドライバー〕と被害者〔歩行者〕といった関係もある)が適切な行動をするであろうと信頼して行動したところ、その他人が信頼に反する不適切な行動をしたため被害が生じても、そのように信頼したことが社会的に不相当でなければ責任を負わなくてもよい、とする原則」

2 適用領域の拡大(ことに医療事故)

藤木英雄

「食品中毒事故に関する過失と信頼の原則」ジュリスト421.81(S44)

 「信頼の原則は、近時交通事故をめぐる責任について、交通関係者相互の事故回避の責任の分担ということから広く適用される方向にすすんできたが、もともとは、共同、して危険な作業をする者相互間では、危険防止の措置をなすにあたり、特に反対の事情が容易に認識できる場合を除き、同僚ないし共同作業者がそれぞれの担当する持ち場において相当な危険防止措置をとっていることを信頼し、各自の持ち場で合理的に要請される危害防止措置を行えば注意義務を完うしたことになる、という趣旨で、医療事故や鉄道事故のように多数の関与者をともなう事故の責任を論ずる際に適用されてきたものである。例えば、医師は、薬剤師に対し誤読されないように明瞭かつ正確な処方箋を交付した以上、薬剤師がその指示どおり適切に調剤するものと信頼して、いちいち処方どおりに調剤がなされたかをあらためて点検する義務を負わない...

中山研一ほか編

『現代刑法講座第3巻過失から罪数まで』S54

 「医療技術の高度の進歩、専門化に伴って医療の組織化、分業化を招来し、いわゆる『チーム医療』が一般化したことによって、このような危険な共同作業を分業的に遂行する複数人の責任範囲あるいは危険分担の確定という問題が注目されだしたことに起因する」

(適用場面の特色)

「第1に道路交通の場合と異なり、各人の分担業務が確立しており、共同作業の能率化のためそれに対する信頼を保障する必要性が存在する点、第2に業務分担者間に指揮命令ないし監督関係の存在する場合、命令者ないし監督者はどの程度責任を負うかという側面、換言すれば、特に他者の行為の監督に対する注意義務の存在の証明される限りで、信頼の原則の適用は排除されるという側面の存在する点、第3に、道路交通の場合と異なり、通例、損害の切迫が客観的に確定し、他人の将来の行為が既に全く問題ではなくなっている状況に対してもこの原則が適用されるという点である。...実質的に、被害者の犠牲において企業組織の過失責任があいまいにされてしまうという意味で、信頼の原則の適用の適否を具体的に慎重に検討すべきであろう。」

裁判所書記官研修所監修

『刑法総論講義案(改訂版)H10

 「・・・本来、その適用は必ずしも〔交通業過事件〕に限られるものではない。例えば、共同作業を前提とする危険な事務を遂行するような場合は、相互に各人の適切な結果回避措置を信頼してこれをしなければ事務それ自体が成り立たないのであるから、これらの事務には信頼の原則を適用する余地があるといえよう。近時、後述の【42】日本アエロジルエ場塩素ガス流出事件において、最高裁が、初めて交通関係の事件以外にも信頼の原則の適用を認めるに至ったことが注目される。」

福田平・大塚仁

『刑法総論1一現代社会と犯罪』S54

 「信頼の原則は、交通事犯に限らず、過失犯の他の領域においても適用される可能性をもっている。そのうち、とくに医療事故に関して一言しておこう。、医学が進歩し、医療のための技術が発達すればする程、複雑な医療行為の実施には、何人かの医師の共同作業が必要となり、また、医師とその他の医療関係者である看護婦・薬剤師・検査技術者等との協力が要求される。このような場合、共同医療にあたる医師同士や、医師とその他の医療関係者との間には、それぞれの分担するところについて、相互に信頼し合う関係がみとめられる。たとえば、医師は、処方箋によって薬剤師に調剤を依頼した以上、その薬が正確に指示どおりの内容・分量のものとして調合されていると信頼してよいし、熟練した看護婦に手術器具の消毒を命じた以上、確実に無菌状態になっていると信頼しうるものといわなければならない。もし、その結果について、医師にいちいち確認すべき義務を課するとすれば、医師の負担はほとんど無限となり、とうてい円滑な医療行為はなしがたいであろう。すなわち、医師は、薬剤師・熟練した看護婦などの行ったところについて、一見して過誤がみとめられないかぎり、通常、これらの者の処置は適正であると信頼して、自己の医療行為を進めうるものといえよう。こうして、医療行為における過失責任に関しても、信頼の原則を適用しうるのである。」

大谷實

『医療行為と法〔新版補正第2版〕』H9

 「医療も分担業務である以上、各分担者が適切な行動をとるであろうことを信頼してはじめて業務が成り立つ。それゆえ、看護婦等のパラメディカル・スタッフのそれぞれの任務に属する行為については、その判断と行為を信頼して医療行為を行ってよいのは当然であり、その誤りを予見しうる特段の事情がないかぎり、看護婦等の過誤について医師は共同の責任を負うことはない。ただ、医療においては、個々の補助者の行為が医師の義務に集約されること、補助業務ないし補助行為の結果が医師の視認範囲にあり、多くの場合、注意すれば薬液の取違いなどを予見することができるので、・他の組織的業務の分野ほど信頼の原則に基づく注意義務の否定ないし緩和にむすびいつかないといえるであろう。

...医療一体性の原則からは、この原則を適用する余地はないとする見解(飯田)、手術中の医師に限って適用すべきであるとする見解(町野)があるが、医師が細部にわたって確認・点検をするときは、救急時の処置等診療を適切に行うことができないこと、分業の確立状況、担当者の資格能力、補助行為の危険の程度などを考慮して、かなり限定してではあるがこの原則の適用を認めてよいであろう。」(引用略)

川端博

疑問からはじまる刑法 I [総論] 成文堂 2006

3款信頼の原則

 信頼の原則は,主として交通事犯に関して,形成・適用されてきたものである。しかし,この原則の適用は,これにかぎられない。信頼の原則は「過失一般,とくに被害者または第三者の行動が結果惹起に関係するような態様における過失の認定一般について広く用いること」のできるものなのである。(西原)すなわち、「信頼の原則は・交通事故特有の法理ではなく・危険防止について協力分担関係にあるすべての分野において問題となる法理である」 (藤木)。現在,この点について争いはないといってよい。複数の人間が相互に相手の行動を信頼しつつ分業でことを行う場合の例についていえば、たとえば、外科手術を担当する医師、特別の事情がないかぎり、用意された器具が消毒済みであることを信頼してよいし、局方品を注文した食品製造業者は、局方品のレッテルの貼られた薬品の中味が真実局方品である」ことを信頼してよいことになる(西原)

     否定的ないし限定的見解

飯田英雄

「医療過誤に関する研究」(当時千葉地方検察庁検事)S49

 「医師は自己の監督下にある他の医師、看護婦その他医療従事者に対して、自己を防止するための適切な指導、助言を与える義務を負っていると考えられるから、自己の監督下にある医療従事者の具体的失策に対しては、これを適切な指導監督によって是正することが可能なかぎり、これを怠ったことにつき注意義務違反の責任は免れない...医師が信頼の原則により補助者の過失についての責任を免れうる場合は、現実にはきわめて稀ではないかと考えられる。」

飯田英男

『シリーズ操作実務全書 10 環境・医事犯罪』 東京法令出版  1999

第2章2.医業過誤と刑事責任 2医療過誤と刑事責任298

(1)   医療過誤における「許された危険」と「信頼の原則」

イ信頼の原則

 信頼の原則は、本来、道路交通における責任分配の原理として判例上形成され、発展してきたものであるが、自動車交通の増大に伴う交通事故の激増という近代社会における避け難い現象を前提にして、道路交通の円滑化・能率化という社会的要請を受けて、行為者の注意義務の範囲をある程度限定して、事故の責任をすべて行為者の負担とすることの不合理性の是正を図ろうとするものであり、社会生活上有用な行為については、法益侵害の危険があっても必要な注意を払って行われる場合には一定の範囲で許されるとする点で、「許された危険」の法理とも基盤を同じくするものである。

 信頼の原則は、道路交通の領域だけでなく、複数の人が危険な共同作業を分担して行うことが必要とされる領域においても適用されるとして、医療過誤の分野にも信頼の原則が適用されるとする見解が有力であるが、人の生命・身体を直接の対象とする医療の分野において、信頼の原則を適用する余地があるかについては、場合を分けて慎重に検討されなければならないと考える。

()医師と患者の関係

医師と患者の間では、医師は医学上の専門的知識と技能を独占的に保有するのに対して、患者は疾病に侵されて自己の生命・身体のすべてを医師に委ねざるを得ない立場にある上、疾病あるいは医療行為による心神喪失ないし心神耗弱状態にあることも多い。また、医療が患者の協力なしには成り立ち得ないことも事実であるが、信頼のできる医師をもたないために多数の医師をめぐり歩くような現実の医療状況とで、一方で、「一時間待ち三分診療」などといわれるように、医師側がインフォームド・コンセント(医師の十分な説明とこれに基づいた患者の同意)について、その必要性を十分認識して、誠実に実行しているとは言い難い医療の現状を考えると、医師と患者の間において基本的な信頼関係が確立していると解し得る一般的状況にあるとは到底思われない。したがって、患者が医師の指示を十分に理解していながら自己の信念に基づいて敢えて指示に従わないというような特別の場合は別として、一般的に医師と患者の間においては信頼の原則が適用されるとすることは相当ではなく、仮に患者側に医師の指示通り服薬しないとか、医師の指示に反する等の過失があったとしても情状として考慮すれば足りるのであって、信頼の原則を適用しなければ解決できない問題とは解されない。

()医療関係者相互間

共同作業者間における信頼の原則の適用を認める立場からは、医療関係者相互間における信頼の原則の適用の範囲が最も間題となる。この点について積極的に適用すべきであるとする立場からは、医師と看護婦など医療補助者の間あるいはチーム医療における医療従事者相互間においては、各人の分担業務が確立しており、互いに相手の行為を信頼し合う関係なくしては近代的な医療システムは機能し得ないとする。北海道大学電気メス事件(札幌高判昭51.3.18高刑集29.1.78)は、介助看護婦が電気メス器のメス側ケーブルと対極板ケーブルを交互に誤接続したことに気付かないまま、執刀医が電気メスを使用して患者に重度の熱傷を生じさせたものであるが、判決は、介助看護婦については、ケーブルの誤接続により本体からケーブルを経て患者の身体に流入する電流の状態に異常を来し、電流の作用による傷害を被らせるおそれがあることは予見可能であったとしながら、執刀医がベテラン看護婦を信頼してケーブルの接続の正否を点検しなかった点に注意義務違反があったとはいえないとしている。この判決をめぐっては、信頼の原則の適用を認める立場と否定する立場、限定的な適用を認める立場と様々な見解がある(拙著「北海道大学電気メス事件」唄孝一ほか編『医療過誤判例百選〔第2版〕』50頁・有斐閣)

そこで、まず医師と看護婦など医療補助者の関係についてみると、医療行政上は医療の専門性にかんがみ診療の責任は医師に一元化されており、両者は対等の関係ではなく、看護婦の業務は「療養上の世話又は診療の補助」(保助看法5)に限定され、看護婦はあくまで医師の手足として医師と一体となって行動すべきものとされている(「医療の一体性」)。また、看護婦の行う診療の補助行為は医師の視認範囲内にあることが多く、特に、危険性のある補助行為については、医師の直接の監視下で行われることから、医師が十分に注意していれば補助者の誤りは是正することができるといえよう。このような観点から、医師は、医療補助者の行為が適切に行われるように絶えず補助者を指導・訓練し、不適切な行為に対しては具体的にこれを補足・是正して、患者に危険を及ぼさないようにする義務があるが、その反面、医師が医療補助者の行為のすべてについて、細部にわたり自ら直接確認すべきであるとすることが困難な場合(具体的には、現に執刀中の医師など極めて例外的な場合に限られる)には、十分に訓練された医療補助者の行為に対しては、補助行為の危険の程度等をも考慮して一定の範囲で信頼することが許されると解する余地がないとはいえないと思われる。しかしながら、医療の現場においては、前記のように診療の責任が医師に一元化されていることもあって、本来、医師が行うべき医療行為の相当部分が医師の指示・監督の下に医療補助者によって行われていること(過去の刑事医療過誤に関する裁判例には、かかる事例が多数含まれている)を前提にすると、そもそも信頼の原則が適用される前提になる医療従事者相互間の業務分担が確立しているといえるのかという疑問がある。医療行為の分野では、このように医療従事者相互間の業務分担自体があいまいなのは、両者の業務形態そのものが医療現場の状況によって異なっているため、いわば慣行に基づいて行われている場合が多く、業務分担を基礎づける内規等を欠いているか、内規等がある場合でも抽象的な内容であることが多く、事故防止の観点をも考慮した具体的な内容にはなっていないことによるものと思われる。例えば、前記の北海道大学電気メス事件においても、手術機械・器具類のセット責任が手術部、診療科のいずれにあるかについて、内部的な意見の対立があったとされている上、医療チーム内部における執刀医とその他の共同医療従事者の業務分担も明確でなく、チームを指揮統率する責任者が誰であるかすら特定することができない状況にある(本件判決では、指導医がチームの指揮統率についていかなる権限を持っていたのか断定できないとしながら、指導医がいる以上執刀医は指揮統率すべき地位になかったとするが、チームには指揮統率者が必要と解するのであれば、指導医に指揮統率する権限がなければ、執刀医が指揮統率していたと解するのが当然であり、これを否定するのであればチームの指揮統率者は不要と解さざるを得ないことになるのではないだろうか)。このような状況下においては、具体的な危険の発生を防止するのに必要な医療従事者相互間の業務分担が確立していたとは認められず、信頼の原則を適用できる条件が整っていたと解することには疑問があるといわざるを得ない。

加藤久雄

『新訂版ポストゲノム社会における医事刑法入門』2005

「本書も、学説の多数説を支持し、チーム医療における刑事責任の分配原理としてこの『信頼の原則』の法理を軽々に適用すべきではないとの立場である。けだし、医療過誤事件では、医療側の医療行為ミスから患者の法益が侵害されるのであり、患者(被害者)の被害救済をどうすべきかの視点こそが重大であるからである。医療側で責任のなすりつけ合いをして、実質的に責任が軽減されることになっては、被害者側は納得しないであろうし、刑法の重大な機能である『一般予防効果』や『再犯防止機能』などが形骸化されていく危険性があるからである。そして、この原則を医療側の責任分配の原理として使う場合には示談等により「和解」が成立し、被害者の救済が実質的に済んでいる場合に限るべきであろう。」町野朔

「過失犯における予見可能性と信頼の原則」ジュリスト575.72(S49)

 「医療における分業の機能、医療の円滑な遂行という利益は、窮極的には患者の利益のものであるから、補助者を信頼することによって患者に生じた侵害結果は正当化されない、責任が阻却されるにとどまるという者がいる。もちろん、常に、医師に補助者に対する監督義務があるわけではない。しかし、医師が補助者を信頼することが許されるばあいがあるのは、医師が本来の職務である手術等に没頭しなければならないという事情があるためであって、『信頼の原則』の適用があるとしても、主に手術中の医師に限られるべきであろう。」

大嶋一泰(岩手大教授)

「医療過誤判例百選」26

 「チーム医療など監督関係にある者の共同・分業作業における危険業務遂行上の信頼関係には、道路交通関与者間の運転者同士の対等の信頼関係とは異なるものがある。被害者である患者に対する関係では、チーム医療を行った医療スタッフの間に信頼の原則を導入して責任のなすり合いを認めることは、責任の所在をあいまいにし、不明確にする危険性をはらんでいる。チーム医療その他の医療における共同と分業においては、ドクターとその補助者の役割を担う者との間の関係は、ドクター優位の原則の支配する監督関係としてとらえられなければならない。従って、ここでは『信頼の原則』は、被害者である患者に対して誰が責任を負うべきかを判定する発見的手段としての機能を担うべきである。共同と分業の形態を取って治療を行った過程で生じた医療過誤について、患者に対して誰が責任を負担すべきかを判定するにあたって、医師の監督責任を追及することは事の性質上当然であり、分業、の否定になるわけではない。」

3 医療事案への適用にあたっての類型化等

松倉豊治(兵庫医科大学教授・法医学)

医療過誤判例研究(15)判タタイムス340

 「医師看護婦等の関わり方は実に多種多様...

()医師看護婦の業務.

..(看護婦の補助業務との比較で)レントゲン技師、衛星検査技師、臨床検査技師等の行為で広義の医療という観点からこれらが医師の診療に対する補助行為となっている場面が少なくない。ただし、医師の行為と法的に一線を画した範囲で固有の専門領域を持っていることはいうまでもない。

()医師と看護婦その他の補助行為者と連繋作業の類型

D行為場所による連繋類型

(1)同時共同作業

(2)面前ないし近接作業

(3)異所性、非面前作業

E資格・能力による連繋類型

(2)通常有資格者(看護婦、准看護婦、保健婦、助産婦)

(3)特殊有資格者行為(検査技師、レントゲン技師、整復師その他の療術師、保母、養護教員等).

..有資格者の非面前行為には、指示が適確なる限り、それに多くの信頼をおくのもまた当然である、といった作業類型毎の考慮がそこで働くべきであろう。臨床検査技師による検査成績が、現実に患者の状況を把握せる医師において特別の不審を抱くべき一般的理由がない限り、それを信じて診療に援用するのもその典型の1つ・である...チームである以上その構成員の間に相互信頼の姿のあるべきことも当然である。」

II判例

◇医療事故に信頼の原則を適用した最判はないが、交通事故以外の事案に適用したものとして、日本アエロジルエ場塩素ガス流出事件がある。高裁レベルでは、医療事故に信頼の原則を適用したものとして北大病院電気メス禍事件があり、適用可能性を認めたもの(?)として千葉大採血ミス事件がある。

*:判決文それ自体は未確認

最高裁S63.10.27

日本アエロジルエ場塩素ガス流出事件*

     最高裁が、初めて交通関係の事件以外にも信頼の原則の適用を認めるに至ったとされる事案(塩素ガスが流出し、付近住民等に傷害を負わせたもの)

「〔1,2審の〕判決が、両被告人は右の安全教育又はその指示を行っただけでは足りず、、液体塩素の受入れ作業の現場を巡回して監視する義務がある旨を判示している点は、過大な義務を課すものであって、正当とはいえない。すなわち、右の安全教育又は指示を徹底しておきさえすれば、通常、熟練技術員らの側においてこれを遵守するものと信頼することが許されるのであり、それでもなお信頼することができない特別の事情があるときは、そもそも未熟練技術員を技術班に配置すること自体が許されないということになるからである」

千葉地裁S47.9.18

千葉大採血ミス事件*

吸引・噴射の両機能を有する電気器具を利用して採血作業を行うにあたり、看護婦が器具の調整を誤ったため、採血にあたった医師が被害者の静脈内に空気を噴射させ、被採血者を死亡させてしまった事件。採血器の準備、操作はすべて看護婦にまかされていたという慣行があった。裁判所は、点検確認義務違反を理由として医師の過失を肯定

札幌高裁S51.3.18

北大病院電気メス禍事件

     看護婦による電気手術器のケーブル誤接続に起因する患者の傷害事故につき執刀医の過失責任を否定した事例

「三執刀医X...の介助看護婦に対する信頼の当否

()電気手術器の危険性の実態とその認識...本件事故当時まで医学界においては、電気手術器により重大な事故を起こした事例は知られておらず、電気手術器は安全なものと考えられ...

()ケーブル接続に関する業務の分担

(2)看護婦の補助行為の範囲と医師の監督責任の限度

 およそ危険を内在する補助行為については、事情の如何を問わずことごとく医師において具体的な点検・確認を行うべく、看護婦の措置を信頼する余地を許さないとすることは、当該医療行為における医師の役割や医師による点検の実施が当該医療行為自体に及ぼす影響をも無視することになり首肯しうるところではない。医師が看護婦の補助行為に対する監督としてどのような措置をとることが義務付けられるかは、結局、補助行為の性質、当該医療行為の性質、作業の状況、医師の立場等の具体的状況に照らして判断されるべきである。

(5)手術直前における執刀医の本来的任務

...執刀医は、手術開始後は術野に注意を集中して執刀に専念することが望まれ、術野以外の分野に注意を分散することは手術の成功を阻害する原因ともなりかねない...〔本件手術では〕執刀直前の時点において、...手術自体以外の分野に注意を向ける精神的余裕は乏しかったものと認められ...

(6)介助看護婦の能力と作業の性質

...同人がベテランの看護婦であることは承知していた...ケーブルの接続は...極めて単純容易な作業

(8)執刀医の負担と事故防止方策

...器械自体にかかる事故防止の手段は本来手術部の講ずべきもの_執刀医にのみその負担を代替させることは...本件のように重大な手術遂行に重い負担を負う執刀医の立場に照らし合理的であるとはいえない。

四被告人Xの負うべき刑法上の過失責任の有無

...執刀直前の時点において、極めて単純容易な補助的作業に属する電気手術器のケーブルの接続に関し、経験を積んだベテランの看護婦である被告人Yの作業を信頼したのは当時の具体的状況に徴し無理からぬものであったことを否定できない。...当時の外科手術の執刀医一般について電気手術器のケーブルの誤雛に起因する儲事故の発生を予見しうる可能性が必ずしも高度のものでなかった,..

(判例評釈)

西原「監督責任の限界設定と信頼の原則()