あかの他人の犯罪の証拠隠滅などありえない
1.二つの判決
1-1業務上過失致死の無罪と証拠隠滅の有罪
東京女子医大の事件では、私は業務上過失致死の疑いで逮捕、起訴されましたが、2005年11月30日の判決は無罪。しかし、担当S講師は、証拠隠滅罪で逮捕、起訴され、2004年3月22日に有罪となりました。起訴されたのは、「他人の刑事事件の証拠を隠した」、すなわち、自分以外(=佐藤)の証拠を隠滅したということです。この二つの判決からは、矛盾を感じる人も多いでしょう。
実際、遺族も疑問を持っています。「無罪判決後の、遺族の記者会見では、『無罪というなら執刀医(S講師)は何を隠したかのか。隠滅のもとになった医師が無罪になるのは納得できない。』と語った。」(東京新聞 2005年12月1日 朝刊26面)
この「何を隠した。」の質問にお答えするのか今回のブログです。答えは簡単です。S講師は「『明香ちゃんの心臓手術中、脱血不良から脳浮腫をひきおこした責任追及に恐怖心が湧いてき〔て〕』、『自分の刑事責任を問われ大学をクビになる』ことを恐れ、『全て自分が刑事責任から逃れようとして』、『自分の保身のために』自分の刑事責任の証拠を隠したのです。(『』内は刑事裁判で証拠とされた調書より抜粋。)
1-2 証拠隠滅する者とされる者の関係
「証拠隠滅する者とされる者の間が親族関係などの絆で結ばれている場合には、不合理なこと、違法なことを敢えて行うということもありうるであろうが、S講師と佐藤の間にそのような関係はない。また、S講師が技士や看護師に改竄を命じたように、職制の上位者が下位者に違法な行為を命ずるということは想定可能であるが、助教授が不在の医局の筆頭講師(最高齢の講師)のSが助手の佐藤のために違法な行為をするという理由があるはずはないのである。」(最後のパラグラフは裁判の弁論要旨に佐藤が単語レベルで加筆)
2.弁論主義と分離公判
2-1弁論主義
「裁判所は真実を追究して、判決を下す。」とお考えの方もいると思いますが、それは誤りです。刑事裁判は「真実は何か。」を争う場ではありません。「刑事裁判の最終的な判断は、検察官が起訴状に記載した事実が合理的な疑いを容れる余地のない証明をなしえたかどうか。」です。(法律用語に慣れていない人には少し難しい用語が並びはじめますが、ちょっと我慢して読んでください。後ほどかみ砕いて書きます。)「起訴状に書かれている事実が、真実であろうがなかろうが、事実であると証明できればよい。」のです。
検察官が起訴状の公訴事実に記載した内容、例えば、「佐藤が業務行過失罪に問われることを恐れてS講師は証拠隠滅をした。」ということが真実でなくても、S講師が事実認定を争わなければその部分については、裁判上は真実とされるのです。 これシステムは、「弁論主義」と呼ばれます。
2-2分離公判
S講師の弁護団は、第一回公判で、公訴事実を全面的に認め「証拠隠滅罪」を争わない姿勢でした。反対に私は、「業務上過失致死罪」の疑いに対して真っ向から争う、全面対決となりました。 一応、「刑事裁判では、真実を解明することが目指される。」のが基本ですが、そうなると、S講師の判決は、私の判決が出た後になってしまう。私が無罪となると、S講師の責任が問題になる可能性もでてきます。
S講師の弁護団がそのように考えたかどうかは分かりませんが、結局は、裁判の途中で「業務上過失致死罪」と「証拠隠滅罪」の分離裁判を希望しました。(裁判は、当初は、二人の被告人が同時に出頭して公判が行われていました。)
弁論主義においての、「当事者双方に争いのない事実(佐藤が業務上過失罪に問われる可能性があると思い、隠滅したこと)については証拠調べをおこなわず、それを裁判の基礎とさせたのです。
簡単にいえば、S講師は業務上致死の罪には問われていないので、起訴状のまま裁判が進行すればS 講師の裁判においては、その罪は、一見佐藤にあるという方向に向かう印象が生じます。実際、S講師の判決では、佐藤の罪を裁判所が認めているとしか理解できない報道をした新聞社が幾つかありました。(ある全国紙と東北のK新聞、関東のJ新聞、中国地方のC新聞。)
弁論主義の補足(抽象的なので、法律にあまり興味がない人は飛ばし読みしてください。)
一応、「刑事裁判では、真実を解明することが目指される。」のが基本ですが、当事者双方に争いのない事実については証拠調べをおこなわず、それを裁判の基礎としなければならないのです。つまり、刑事訴訟の弁論主義とは、検察官と被告人の主張・立証に拘束され、その範囲内においてのみ判決することが許される訴訟の構造をいいます。しかし、刑事訴訟法は、実体的真実発見の立場から、民事訴訟のようにはこの主義に徹底していません。
3.一転無罪主張
3-1刑事事件と民事事件の証拠
「弁論主義」「分離裁判」を利用して進行してきたS講師の裁判ですが、最終弁論では一転無罪主張となりました。
「東京女子医大病院での手術ミスによる女児死亡事件で、看護記録などを改ざんしたとして証拠隠滅の罪に問われた元担当医S被告(47)の公判が2003年9月4日、東京地裁であり、2002年9月の初公判で起訴事実を認めた弁護側が、冒頭陳述で一転して無罪を主張した。弁護側は「カルテを書き換えたことは事実で、心の底から反省している」としたが、「(証拠隠滅罪の要件である)他人の刑事事件の証拠を隠すという認識はなかった。カルテ不実記載罪のようなものがない以上、無罪と言わざるを得ない」と述べた。
この報道だけでは、「他人の刑事事件の証拠を隠すという認識はなかった。」とは主張しているものの、よく分かりません。実際の弁論では、「他人(佐藤)の民事事件の証拠を隠そうとした。」ということでしたが、裁判の最後の最後になってそんなむちゃくちゃな主張が通るはずありません。
3-2主任教授との関係
また、S講師は、「証拠隠滅は元主任教授のI氏の指示だった」と主張していましたが、真実は違います。主任教授は当日は自分の手術があり、その後は、教授退官記念講義の準備に忙しくそんな指示はしていませんでした。判決の「S講師が、主任教授の指示を盾に取って看護師らに改ざんを命じた形跡はうかがわれず、事前の共謀は認められない」と判断したのはあたり前のことです。
4. 本件裁判における被告人などの供述の取り扱い-被告人の言い分より客観的証拠による無罪の証明
4-1 事故原因の認識
事故が発生した直後、患者さんがICUに入室する前の心臓外科医と臨床工学士の調査検討では、脱血不良の原因は「一回限りの使い捨て使用すべきフィルターを一週間再利用し、それが閉塞した」ということで全員が納得しました。フィルターの使用は、退職した元技士長がそのような慣習としていたので、誰に責任があるというような話にはなりませんでした。自分に責任があると感じていたであろう(*)S講師としては、当時の技士長が悪いとすると話が簡単なので、そういった行動をとっていました。
ところが、人工心肺を一回も使用したこともなく、専門家でない女子医大幹部が作成した「内部報告書」は、高校理科で学ぶ内容も理解していないような論理といい加減な実況検分によって、あたかも佐藤が「吸引ポンプの回転数を上昇させたことが死因」というような内容。
*心臓外科の多少の知識がある人のみ分かることですが、脳障害の原因または促進因子は、脱血不良発生時に脱血管の両方をクランプして上大静脈をパーシャルバイパスにしなかったことです。
4-2 AでなければB, BでなければA(弁論要旨 第1序より)
「本件は、手術室の中で生じた事故であり、これが犯罪になるかが問われている。ところで、手術室の中は、術野と人工心肺側の2つの部門に分かれ、後者はさらに人工心肺担当医と技士に別れる。
本件ではそもそも刑事事件となるか、すなわち術野と人工心肺側のいずれかに過失が存するかどうかが問題となる。「患者が死亡したから、誰かが責任を取らなければいけない」という論理は成り立たない。
しかし、強制捜査が行われ、起訴までされたということになると、「誰にも責任はない(かもしれない)」という懐疑は存在を許されず、「誰かが悪いはずだ」「悪いのは誰だ?」という糾問が始まる。
そして、手術室という限られた場所での出来事であれば、「犯人」になりうる人は限られる。術野か人工心肺側かのいずれかである(本件では、麻酔医と看護婦は除外される)。
そうすると、「人工心肺側に責任があれば術野には責任がなく、逆に人工心肺側に責任がなければ術野に責任がある」とか、「仮に人工心肺側に責任があるとしても、担当医に責任があれば技士に責任はなく、技士に責任があれば担当医に責任はない」といった思い込みが蔓延することになる。
したがって、術野の医師の証言の信用性を判断するにあたっては、人工心肺側に責任があるとされれば自らの責任を免れるという観点から証言が歪められていないかを検討する必要がある。技士についても同様である。
このため、本件の事実認定にあたっては、基本的に、手術の過程で作成されていた原始記録に依拠すべきである。さらに、供述については、まず、看護婦のような利害関係を持たない医療関係者の供述を重視すべきである。これに次ぐのは、本来は麻酔医であるが、研修医であった担当麻酔科医については麻酔医として十分に義務を果たしていたかについては疑問も残るので、その供述をそのまま真実と認めることはできない。
術野側にいた医師については、上記のとおり、「人工心肺か術野か」という関係が存するから、被告人と同等の立場に置かれているものとして、その信用性を判断すべきである。したがって、個々の証言の真実性を考えるにあたっては、原始記録等の客観的記録、医学的常識との関係を常に念頭に置き、その上で、相互の供述の矛盾、本人の供述の変遷などがないかを検討したうえで、真偽を判断すべきである。
5.S講師のカルテ改ざんの供述の変遷
私の判決前の最終弁論における弁論要旨は、10章からなり、資料1として学術論文の解説、資料2として裁判所のおこなった検証実験のまとめをいれると307頁からなります。第5章「検察官が依拠する証言者の信用性」は、3項目からなり、その2は「S講師」でその中にもさらに3項目がありその「(3)カルテを改ざんした理由」に加筆しました。
5-1 供述の変遷のアウトライン(佐藤解説)
逮捕歴がない一般の人は知らないと思いますが、逮捕から起訴までの間には、警察官の取り調べと検察官の取り調べは、交互になったりしながら、別々に調書が作成されます。警察と検察の連絡がうまくいっていないと、供述の整合性がなく齟齬が生じます。このことは、逮捕後被告人は、強制捜査により警察や検察のいいなりの供述調書に署名したことの証拠になります。
1. 逮捕前の任意出頭初期―「事故の責任は佐藤にある」という段階
2. S講師が担当弁護士を一時解任したと思われる時期-「カルテの改ざんは、自己保身のため」という段階
3. 逮捕の次の日 警察員最初の取り調べ6月29日-「カルテの改ざんは技士長を守るため」という段階
4. 逮捕の次の次の日 検察官最初の取り調べ後6月30日-「カルテの改ざんは佐藤を守るため」という段階
5. 検察の方針変更後 7月13日-「カルテの改ざんは人事上の不利益を蒙らないため」という段階
6. 爆笑 7月14日-検察官の事件の見立てについていけない警察官
5-2 供述変遷の詳細(弁論要旨 第5章 2.S講師 に加筆)
「(3)カルテを改ざんした理由
カルテを改ざんした理由についてS講師は種々述べているが、その内容は著しい変遷を重ねている。以下、本件事故について責任を負うのは誰かという論点にも触れながら、カルテを改ざんした理由についてのS講師の供述を検討する。
ア 逮捕前の任意出頭初期「事故の責任は佐藤にある」という段階
S講師は、乙第16号証(2002年2月26日付け警察官調書)では、佐藤からフィルターが詰まっていたという話を聞いたが、その後、Sh医師と佐藤の話を聞いていると、佐藤が陰圧吸引補助脱血法を使っていたことがわかったとした上で、
「短気な性格の自分でも、この話を聞いて怒る気もなくなり先ほどの佐藤一樹医師の報告(一週間使用したフィルターが閉塞したこと)は、自分を正当化するためのもので、責任を技士長にさせるつもりであることがわかった
のです」(乙16・19頁)
と述べている。
すなわち、この段階では、「事故の原因は、佐藤が無断で陰圧吸引補助脱血法に変更したことにあり、事故の責任は佐藤にあると思っていた」としていたのである。(佐藤追加 ちなみに、陰圧吸引補助脱血法に変更すると判断するのは人工心肺担当医が行い、それを術野に報告した。勿論、使用されていた回路は、ルーチーンの者で、落差脱血法と吸引脱血法との切り替えを行える前提は医局員全員の認識)
イ S講師が担当弁護士を一時解任したと思われる時期「カルテの改ざんは、自己保身のため」という段階
ところが、上記の供述から10日程しか経っていない甲第132号証において、S講師は
「この頃から明香ちゃんの治療に自信がなくなりかけてきて
明香ちゃんの心臓手術中、脱血不良から脳浮腫をひきおこした責任追及に恐怖心が湧いてきた
のです。
・・・チームリーダーとしての責任追及が一番怖かった
のです。
術野側の自分は、手術中自分の技術力を全部出しきって手術に望みました。しかし手術の失敗は、チームリーダーの責任にされてしまうのです。
・・・東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所小児外科に入局してから20年間小児外科で頑張ってきました。・・・
それがこの手術の失敗で崩れ去ってしまうのです。大学を首になり明香ちゃんの手術の失敗による医療過誤事件の犯人になる虞があったのです。
医師としてのモラルを問われるかもしれませんが、このころから、自分自身の保身のため・・・ICU記録録に記載しないでよいとの指示を出し始めたのです。・・・看護婦に脳浮腫の軽減を図るグリセオール、マニトンの薬品を記載しないでよいといった理由は、
術中のトラブルを最後まで隠したかった
からです」(甲132・6~8頁。下線弁護人)
と述べるようになった。
すなわち、ここでは、S講師がカルテの改ざんをしたのは、自分自身に対する責任を追及され、医療過誤事件の犯人にされてしまう虞があったからであるとされている。
この「カルテ改ざんは自己保身のため」という供述は、その後も任意捜査の段階を通じて一貫している。たとえば、甲第133号証(2002年4月23日付け警察官調書)では、
「自分の保身のためにしたカルテ等の改ざん」(甲133・1頁。下線弁護人)
「チームリーダーという責任名目で解雇されたあげく業務上過失致死罪の犯人となり大学病院の医師としての使命を終えてしまうのです。・・・
情けないことですが、この様な状況から、
もしも明香ちゃんが死んだら自分の刑事責任を問われ大学をクビになる
という変な考えの恐怖心ばかりが湧いてきたのです。・・・
一人の医師として自分のやったことは、言語道断の許されぬものです。全て自分が刑事責任から逃れようとしてやったことですから全部正直に話します」(甲133・2頁。下線弁護人)
「自分が刑事責任を免れるためにしたことは・・・
ICU看護婦に〔脳浮腫改善の薬品投与を〕記載しなくともいいと命じた理由は人工心肺装置の脱血不良状態が続いた結果、脳浮腫になった事を最後まで隠し通したかったからです」(甲133・3頁。下線弁護人)
とされている。
ウ 逮捕の次の日 警察員最初の取り調べ「カルテの改ざんは技士長を守るため」という段階
ところが、上のように、「自己保身のためのカルテ改ざん」という理由は、強制捜査に入ると一変する。まず最初に出てくるのは、技士長を守るためという理由づけである。
甲第134号証(2002年6月29日付け警察官調書)で、
「当時は臨床工学技士がフィルターを交換せず、そのまま人工心肺装置で使用したためフィルターが詰まり脱血不良になったことが原因で技士長が刑事責任を問われると思いICU記録等を改ざんしましたが、結果的には佐藤一樹医師の人工心肺操作ミスを隠し通すことになってしまいました」(甲134・1頁。下線弁護人)
とされているのが、これである。
エ 逮捕の次の次の日 検察官最初の取り調べ「カルテの改ざんは佐藤を守るため」という段階
しかし、佐藤が業務上過失致死の被疑事実で逮捕され、S講師がその証拠隠滅の被疑事実で逮捕されているのに、S講師のカルテ改ざんの目的が臨床工学技士長を守ることというのでは事件が成立しない。
このためであろうか、甲第134号証の翌日に作成された甲第139号証(2002年6月30日付け検察官調書)では、一転して、佐藤を守るためにやりましたということになる。ここでは、
「その脳障害の原因の1つを作った佐藤一樹先生の刑事責任を含む責任追及を免れさせてやろうと思い・・・改ざんをさせたり、私自ら改ざんをしたりし・・・改ざんをした新しい人工心肺記録を作成させたのでした」(甲139・2頁。下線弁護人)
とされるに至った。
ところで、このように検察官調書は、「佐藤=本犯、S講師=佐藤を助けるためのカルテ改ざん」という図式になっているが、警察官調書は「技士長=本犯、S講師=技士長を助けるためのカルテ改ざん」となっているので、このままでは矛盾が生じる。そのため、甲第139号証が作成されてから3日後、今度は警察官調書が180度変更される。甲第135号証(2002年7月3日付け警察官調書)の、
「前回取調べ時、明香ちゃんの死亡原因は、
当時臨床工学技士がフィルターを交換せず、そのまま人工心肺装置で使用したためフィルターが詰まり脱血不良になったことが原因で臨床工学技士が刑事責任を問われると思いICU記録等を改ざんしましたが、結果的には佐藤一樹医師の人工心肺操作ミスを隠し通すことになってしまいました
と話しましたが真実は、最初から人工心肺を操作した佐藤一樹を救うためにICU看護記録の瞳孔数値や脳浮腫を軽減するための薬品を明香ちゃんに投与したにも関わらず、これをICU看護記録に記載しないように命じたり、瞳孔数値を書き直させたり自分で書き直したり、人工心肺記録紙を臨床工学士に新たな記録紙に書き直させて偽造させました。
これが真実です。逮捕されたショックで頭が混乱していたため刑事さんに臨床工学技士を助けるためにしたと話してしまいました。最初から佐藤一樹医師を助けるためにしたことです」(甲135・1~2頁。下線弁護人)
というのが、そのための取り繕い供述である。
オ 検察の方針変更後「カルテの改ざんは人事上の利益を蒙らないため」という段階
このように、カルテを改ざんした理由は、「自分の保身」→「技士長を守る」→「佐藤を守る」と変遷を重ねてきた。この最後の理由は、佐藤が業務上過失致死事件であるという検察官の構図と符合する。このためか、その後しばらくは、カルテ改ざんの理由について調書では触れられなくなった。
しかし、よく考えてみると、佐藤を守るためにカルテを改ざんしたというのは、不自然な理由である。S講師も認めているように、カルテの改ざんは、医師として「言語道断の許されぬもの」である。そのようなことを、自分のミスを隠そうとして行ったというのであれば、許されるかどうかということとは別に、一応、了解可能な範囲である。しかし、第三者である佐藤の責任を免れさせるためにそのような許されぬことに手を染めるというのは、普通は考えられない。証拠隠滅する者とされる者の間が親族関係などの絆で結ばれている場合には、不合理なこと、違法なことを敢えて行うということもありうるであろうが、S講師と佐藤の間にそのような関係はない。また、S講師が技士や看護師に命じたように、職制の上位者が下位者に違法な行為を命ずるということは想定可能であるが、講師のSが助手の佐藤のために違法な行為をするという理由はない。
そうすると、最初の段階の「自分の保身」という理由が正しい方向であるということになる。しかし、警察官調書のように、「全て自分が刑事責任から逃れようとしてやったことです」というのでは、佐藤の刑事責任がなくなってしまう可能性がある。医師2人の逮捕に踏み切った検察当局にそれはできない。
そこで生まれたのが、「カルテを改ざんしたのは、人事上の不利益を蒙らないようにするためでした」という新たな理由づけである。乙第21号証(2002年7月13日付け検察官調書)では、この点について、
「医療過誤が発生した場合、それが患者の家族に発覚して、家族から民事裁判を提訴され、その民事裁判の過程で医療過誤が明らかになったりすれば、チームリーダー自身には手術中にミスがなく、チームリーダー以外の者の手術中のミスで医療過誤が発生した場合でも、東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所・・・の小児外科では、チームリーダー以外の者の責任は余り問題にならず、チームリーダーが小児外科内から責めを負わされ、東京女子医科大学付属病院以外の病院に飛ばされて左遷させられるなどの人事上の不利益な扱いをされる風潮がありました」(乙21・6頁)
「私は、そのようにチームリーダーであった私が心研外科内から責めを負わされ、人事上の不利益を受けることがないようにしようと思い、その民事裁判や刑事告訴後の警察の捜査で手術中の脱血不良により平栁明香さんに重篤な脳障害を負わせたという医療過誤が明らかにならないようにするため、その民事裁判や刑事告訴後の警察の捜査で証拠になるであろうICU記録に平栁明香さんに脳障害が発生していた事実が明らかになるような記載は残さないようにしようと思いました」(乙21・9頁。下線弁護人)
と説明されている。
こうして、カルテ改ざんの理由は、最終的に、「人事上の不利益を蒙らないようにするため」ということになった。
もっとも、乙第21号証の翌日の警察官調書(甲136・2002年7月14日付け)では、「明香ちゃんが死亡後人工心肺担当医の佐藤一樹医師をかばうためにICU看護記録の瞳孔の改ざんを命じたり自分自身改ざんし」と「佐藤を守るため」に逆戻りしている。これは、甲第134号警察官調書(臨床工学技士長を守るため)→甲第139号検察官調書(佐藤を守るため)→甲第135号警察官調書(臨床工学技士長を守るためというのは間違いで、佐藤を守るためが正しい)と同じく、検察官の事件の見立てについていけない警察官が、一段階前の理由づけを書いてしまったものである。
カ 検討
(ア)供述の変遷が信用性に与える影響
以上のように、カルテ改ざんの理由についてのS講師の説明は変遷に変遷を重ね、最終的には、「自分にはミスはないが、医療過誤がわかると、心研ではチームリーダーが責任を取らされ、人事上の不利益を蒙るので、カルテを改ざんした」というものになった。
一般に供述の変遷は、それだけで供述内容の信用性を減殺する。特に、カルテ改ざんを何のために行ったのかという中核的な理由づけが上に見たように目まぐるしく変転している場合には、供述全体について信用性を認めることができない。
(イ)人事上の不利益の証拠はない
したがって、カルテ改ざんの理由に関するS講師供述全体が信用できないとしてよいが、ここでは、最後の理由である「人事上の不利益を蒙らないためにカルテを改ざんした」ということが成り立ちうるのかを検討する。
もともと、S講師は、自分に手術ミスはなく、刑事事件になれば、佐藤に責任があることはわかると思っていた(乙21・13頁)というのである。したがって、このことは民事裁判でも同様のはずであり、医療過誤裁判が提起されてもS講師は、自分に不利益が生じることはないと確信していたはずである。
それにもかかわらずS講師がカルテの改ざんを行ったのは、心研が、責任が誰にあるかを問わず、チームリーダーに責任を押しつけるという不合理なことをするので、人事上の不利益を蒙らないようにするためであるとされている。
しかし、「心研という組織がそのような不当な取扱いをしている」というのは、S講師が言っているだけであり、客観的な裏づけはない。S講師は、主任教授のS講師に対する発言を問題にしているようであるが、A医師が述べているように、主任教授が言っていたのは「手術を統括する、いわゆる術者として下の者を指導したりとか、術者として、人工心肺も麻酔も、関係しているすべての人たちを患者さんのためにいい治療ができるように協力させていくというのも術者としての非常に重要な、オーケストラの指揮者的な役割がある。そういったものを重要視しての発言」ということなのであって(A医師・13回・4-11~12頁)、極めて当然のことである。この発言が、チームリーダーはどんな場合でも責任を取らされ、左遷させられてしまうことの根拠になるものではない。
(ウ)人事上の不利益は「カルテ改ざん=犯罪」の理由にならない
さらに、S講師の供述を100%信用したところで、そこで問題にされているのは、せいぜい「人事上の不利益」である。どこか関連病院に飛ばされるという程度のことである。
これに対し、カルテの改ざんは、通常の医師であれば考えられない行為であり、それだけで懲戒解雇されたり、刑事事件で起訴されたり、医道審議会で処分されたりすることが確実に予想される行為である。
このように人事上の不利益とは比較にならないほど厳しい結果が生じることが確実で、医師の基本的倫理に反する行為が軽々になされるはずがない。まして、それが自分の責任を逃れるためでなく、他人(佐藤)の刑事責任を逃れさせるためなどということは絶対にありえないことである。
このように、将来、関連病院に飛ばされるという不利益を避けるために、医師の身分に影響を与えることが確実なカルテの改ざんを行ったというS講師の説明が著しく不合理なことは明らかである。しかも、S講師の行為は、十分に考える時間的余裕がある中で行われたものであり、激情犯のようなものではない。このようなことを、医師たるものが行うはずがないのである。
もちろん、「犯罪は常に引き合わないものであり、犯罪に手を染めるときの判断は不合理なものである」という言い方は可能である。しかし、その場合でも、「このままだと○○となるから、そうならないために、□□しよう」という判断は行われている。将来、発生するかどうかもわからないし、また、左遷といってもどこに行くのかもわからない「人事上の不利益」を避けるために、今、ここでカルテを書き直させるという判断はありえないことである。医師としての身分を失わせるかもしれないカルテ改ざんの理由は、これに匹敵する目前の不利益を防ぐということでしかありえない。
すなわち、S講師は、患者死亡の原因が脱血不良であり、これが自らのミスによって生じたことが明らかになることによって生じる一切の不利益を回避するためにカルテの改ざんを行ったものと考えるのが自然である。そして、これは、正に任意捜査の段階、すなわち、事件の見立てができていないために、捜査機関の誘導が比較的少ないと思われる段階での、S講師自身の供述と同じなのである。S講師は、そこで述べているように、「明香ちゃんの心臓手術中、脱血不良から脳浮腫をひきおこした責任追及に恐怖心が湧いてき〔て〕」、「自分の刑事責任を問われ大学をクビになる」ことを恐れ、「全て自分が刑事責任から逃れようとして」、「自分の保身のために」カルテを改ざんしたのである。
このように解してこそ、S講師が、医師の身分を賭してまで、カルテの改ざんを行った理由が了解されるのである。
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コメント
こんにちは
Kazu先生
「いなか小児科医」のbefuです。
トラックバックありがとうございました。大野事件の裁判も動き始めました。先生の関係する事件も今後の日本の医療にとって、非常に大きな影響をもたらすものですね....
医療行為に伴う事故や過誤については、法曹界の方々でまず審査するのではなく、医療の経験や知識を一定以上持ち合わせたヒトのグループが審査するべきである。と考えています。
頑張ってください。応援しております。
投稿: befu | 2006年7月22日 (土) 08時35分
befu先生コメント有難うございました。
医療側は皆が、「医療事故か過誤か、事実として何が起きたのか」等の調査は「医療の経験や知識を一定以上持ち合わせたヒトのグループが審査するべきである」というのは当たり前の考え方です。一方、警察側と検察側は、医療における「業務上過失傷害罪」「業務上過失致死罪」自分たちの縄張りを確立しようとしているところ、医療界にそれ簡単に奪われることをよしとしないはずです。警視庁捜査第一課には「業過」を専門としている分野があるので、その医療部門を解散させることになるのです。向こうはそれを職業としていますが、医療側は、そうではありません。「医療の経験や知識を一定以上持ち合わせたヒトのグループが審査するべきである」ことがいかに必要かを強烈に引っ張っていく人物が必要だと思います。警察、検察は役人ですから、これに対抗するには、学会レベルだけでは不充分なので、医療界以外からも理解のある厚生労働省の幹部や政治家(医師免許をもっている方も何人かいます。)メディアの協力なしには実現は難しいと思います。
投稿: 紫色の顔の友達を助けたい | 2006年7月22日 (土) 10時49分
長い文書、お疲れ様です。
こういうある意味不要であるはずの裁判が行われる原因は(私が考えるに)非常に簡単です。国民が医療というものの不確実性を知らないからです。
医療事故(過誤も含む)発生
→刑事事件になるので隠す
→告訴される
→国家権力が間違っているのだが、それを訴える勇気がない
→力の弱いもの(部下であったりさまざま)に責任を押しつける
→国家権力の無知から有罪になる
というようなプロセスでしょうか?しかし、国家権力に間違っていることを訴えなかった故に
→萎縮医療が増える
→患者が最終的に不利益を被る
という悪循環に陥ります。そして、医療側は可能な限り証拠隠滅をますます図ろうとします。
インターネットの普及はこの連鎖を断ち切る力を持っているものと私は期待しております。従来国家権力、マスコミといった権力に黙殺されてきた医師の不満がようやく一般国民の目にもさらされ始めたと感じております。
外科医を逮捕・起訴・有罪にすると言うことは医師にとって他人事ではなく、自分たちのみにもいつ降りかかるか解らないことだから多くの臨床医は黙っていません。自分たち(医師たち)が犠牲になって(有罪になって)患者が助かるのならともかく、実際には犠牲になったところでいわゆる無駄死状態になってしまい、最終的にむしろ患者に不利益な状態になる、現実にそうなってきています。
医師の名誉と多くの患者のために最後までがんばってください。
投稿: やまちゃん | 2006年7月22日 (土) 13時33分
やまちゃん先生コメント有難うございました。
国家権力は、リヴァイアサンであり、とても個人が太刀打ちできるような代物ではありません。また、本来権力が猛威をふるって個人を攻撃するときに、メディアはそれを監視し、個人を防御する機構としての存在意義もあると思います。しかし、この個人が犯罪被疑者や医療過誤を起こしたと疑われた医師である場合は全くその逆になり権力側を後押しする側につき、自らの権力を増大させたスーパー・リヴァイアサン(私のオリジナルの造語)と化します。その根底には、ジャーナリストとしての公正な視点や正義感を維持できずに「被害を受けた患者側は、可哀想で、そのいうことは、全て正しいしい。」「その患者側についている警察の言っていることは正しい。」さらに今回のように、専門家ではないが、「医師個人の責任とした病院の幹部がいっていることは正しい。」という姿勢になります。本来医学は自然科学の分野ですから、科学的な物の見方に立ち返るべきです。そういったアプローチをまったくせずに、感情的患者擁護主義から、意識的にあるいは無意識に話しをでっち上げていくのです。日本人の精神年齢が12歳といわれるゆえんはこのような物の考え方と行動のも表れていると思います。
国家権力もマスコミもせいぜい欧米並に成熟してもらいたいものです。
投稿: 紫色の顔の友達を助けたい | 2006年7月22日 (土) 14時49分
はじめまして。
循環器内科医のDr. Iと申します。
TBありがとうございました。
もしかして、昨日か一昨日もコメントしたかも(汗)
なんか病院でブログ見て、コメント考えていたら、投稿したかどうか自信がなくなってしまって。
2回目なら、すいません。
ブログ、全部拝見させて頂きました。
やはり当事者の言葉は重みが違いますね。
なにか報道で違和感を感じてはいたのですが、詳細がわからなかったのでなんとも言えませんでしたが。
私も昨今のマスコミの報道に関しては、憤りを感じます。
少いずつで良いので、こういうブログなどで、医療の現場の声を世間に伝える事が出来れば良いと思っています。
お互い頑張りましょう。
投稿: Dr. I | 2006年7月23日 (日) 14時04分
結局、よく言われるように、日本においての刑事告発は「仇討ち」的な要素があるのだと私は思います。ついでに言うとアメリカでの告発(民事)は「金銭目当て」ですよね。
マスコミや警察、検察も仇討ちということで患者側の行動を正当化し、その結果、医者が悪者になってしまうのかもしれません。しかし、世の中は歴史が語っているように、例えば「戦争」という行為をとってみてもどちらが正しいとか間違っているとか単純には言えないことが多いのです。だから第三者的に見て「仇討ち=悪いお代官様をやっつける」ということが単純に正しいとは言えません。ただ、世界の東西を問わず言えることは「負けた者が悪い」ということになるのでしょうか?
そういえば日本に限らず、韓国などのマスコミも精神年齢が低いですね。アジアの特性なのでしょうか?よく分かりませんが・・・。
投稿: やまちゃん | 2006年7月24日 (月) 14時36分
Dr.Iさんコメント有難うございました。私の場合はマスコミももちろんですが、それ以上に女子医大に対する憤り、警察に対する憤りは強いものがあります。
「今のマスコミの報道に関しては、憤りを感じます。少いずつで良いので、こういうブログなどで、医療の現場の声を世間に伝える事が出来れば良いと思っています。」とのご意見はもっともですが、我々がこのようなブログ等で世間に伝えても彼ら「スーパー・リヴァイアサン」はへっちゃらです。しかし裁判となると個人も大手メディアも同等です。 もちろん、真摯な活動をしているマスコミをありますが、それはそれで尊重すべきだとは思います。そして、私と同じような立場になられた方々は、国家成立のシステムとしての裁判所を使わない手はありません。その前提の上で、どんどんブログや他のメディア等で声を広めていくべきだと思います。
投稿: 紫色の顔の友達を助けたい | 2006年7月24日 (月) 16時01分
DR.やまちゃんコメント有難うございました。「日本においての刑事告発は「仇討ち」的な要素があるのだと私は思います。ついでに言うとアメリカでの告発(民事)は「金銭目当て」ですよね。」
ところが、本件では、「仇討ち」と「金銭目当て」の両方がありました。
「マスコミや警察、検察も仇討ちということで患者側の行動を正当化し、その結果、医者が悪者になってしまうのかもしれません。」確かにその通りです。以前に新書で「大岡裁きの裁判所」(今外にいるので題名が不確か」のメンタリティでことが運ばれるのです。
ところが、本件では、民事関係の交渉がさきにはじまりました。民事紛争の進行が思い通りにいかないときに、「刑事告訴」することを警察では、「民事くずれ」といわれ、告訴した側は警察にはいいかをされないようです。本件では、そのようなこともあり、警察と告訴人の間も微妙でした。
しかし、刑事が嗚咽して、「俺たちも、言いなりの金額で示談がすんでいるのに、こんな難しいことやりたくない。でも、これだけマスコミに報道されたら、誰かが悪者にならなくてはならないんだ。」旨、泣き叫んでいました。
事実、真実は非常に複雑で、十派ひとかれげにはいっていないのです。詳細は執筆しようと思います。
投稿: 紫色の顔の友達を助けたい | 2006年7月24日 (月) 16時12分