東京女子医科大学からの返答
「counterreply_from_twmu.pdf」をダウンロード
前回のプログにも記載しましたように、6月27日付けで女子医大から返答が来ました。
まったく予想通りでした。以下写しです。
平成18年6月27日
佐藤一樹殿
学校法人東京女子医科
平成18年6月2日付で当法人理事長宛に送付された
公開質問状については、同質問状に係る刑事裁判が現在
係属中でありますので、回答は差し控えます。
「公開質問状に係る刑事裁判が現在係属中でありますので、」
とありますが、質問に答えると女子医大にとって刑事責任が追及され悪影響があるとしか理解できません。
「女子医大は、公開質問状に答えると、病院が佐藤に責任をなすり付け、病院の責任を隠し通そうしたことが、裁判で明らかにされていくから、質問に答えない。」というようにこの返答をうけとります。
女子医大の現在までの態度は、内部報告書を作成しそれを受け渡したり公表した以下の人や機関に属する全員に対する侮辱と言えます。
1.亡くなった患者さん
女子医大の東間元病院長、笠貫教授、黒澤教授は、この内部報告書を手に亡くなった患者さんの墓前にもう一度立つことができるでしょうか。
2.遺族
遺族は本当の事故の原因を知りたいと思っているはずです。この内部報告書で混乱させられてしまったはずです。
3. 厚生労働省
2001年12月特定機能病院の認定剥奪を回避するためにこの報告書は提出されました。これを取り下げないのであれば、厚生労働省は絶対に再認定することはないでしょう。
4.日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本人工臓器学会
学会は、科学者として、労力を惜しまずにこの事件を真面目に検討し報告書を作成しました。これに対してその調査に非協力的であった女子医大、特に黒澤教授はどういう評価を下しているのでしょうか。非協力的であったことは、結果をだされるのを恐れていたからに他ならないのでしょう。
5.メディア各社
メディアを通し誤った情報を提供された国民も同様です。
6.警察
警察も途中からこの報告書が誤りであることに気づいていました。詳細は執筆に記載しようと思いますが、警察と女子医大は私と医局員の電子メールを許可なく閲覧し、私と女子医大内の内線電話を検閲していました。(さすがに頭に来た医局員が浅井という司法警察員にくってかかったところ「警察だからねー。」との答え。警察だから不正をやってもよいという意味にしかとれません。
現段階において、検察が味方に付けようとする機関は全世界中、女子医大のみでしょう。個人的には、フィルターを設置した臨床工学士さんに頼らなければならないのでしょう。検察官は、控訴後に最低でも2回彼を訪れ、
「三学会の報告書の内容は本当か。」旨
質問したそうです。逮捕前の捜査段階では、この技士さんの責任について検討がされていたようです。彼が現場検証でどんな発言をし、どのように追いつめられ、何を話ししたかは警察調書、検察調書や公判で私には分かっています。そのことをとやかくいうことは避けますが、そのような立場の臨床工学士の発言と、東京大学と慶応大学と東京医科歯科大学と埼玉医科大学の各教授の名前で発表された「三学会報告書」を比較する検察官も破れかぶれになっていると思います。
ブログでは、「失ったものを取り返す」の続きを書こうと思っていましたが、次回は公開質問状の送付直後にあった、私と黒澤教授の電話について書こうと思っています。
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コメント
この事件はとうの昔に解決済みだと思っていましたが、m3.comを見て初めてこの事件に「とかげのしっぽ切り」が存在することを知りました。ところで、ブログを最初から見たいのですが、どこが最初か分かりません。事件当時の経緯や、なぜこのブログを書き出したかなどが書かれたところですが、たどり着けないです。
知り合い達にこの問題を知らせることで微力ながら応援しています。がんばってください。
投稿: 匿名 | 2006年7月 8日 (土) 02時05分
コメント有難うございました。お知り合いにもの問題を知らせていただいているとのこと深謝いたします。このブログの書き出しは、2006年6月2日http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_2f8b.htmlからです。バックナンバーの2006年6月から入ってみてください。公開質問状を出すにあたり、立ち上げました。女子医大に「内部報告書」を撤回させる目的で、弁護士さんを通じて「内容証明郵便」などで、交渉していましたが、全く無視しているので、公開質問状という形にしてみました。事件当時の経緯については、いっぺんには書けないほど、複雑なので、執筆を予定していますが、ブログを全部読むとアウトラインはわかると思います。
投稿: | 2006年7月 8日 (土) 14時45分