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2006年10月

2006年10月31日 (火)

「控訴趣意書に対する答弁書提出」と「S医師保険医登録抹消」-ひとり考える

1.控訴趣意書に対する答弁書提出

 このブログの更新が緩慢になっていた最大の理由は、控訴審の準備のためです。欧米では認められない刑事事件における検察官の控訴が日本では当たり前のようになされます。

 控訴は一審判決に対する意義を申し立てるシステムですから、基本的には東京地方裁判所刑事第15部の裁判官に対して文句をいっている訳です。文句の内容が「控訴趣意書」。

 これに対して、被告人、刑事ですから勿論弁護人が、これに対して「答弁書」を提出しますが、この締め切りが10月31日で無事提出していただきました。

 内容についてはこのブログで発表したいところですが、そこは慎重に行きたいと思います。

2.保険医登録取り消しへ 東京女子医大・心臓手術ミス医師

 このブログを閲覧する方なら、多くの方がご存じだと思いますが、10月29日に突然「S元講師の保険医登録取り消し」が報道されました。何故か、医療情報ならどんな些末なことまでも扱われる m3.comにはこの報道に関するスレッドがありませんが、共同通信もしっかりと各社には配信しています。「登録の取り消し後は原則5年間、健康保険の請求ができなくなる。」

3.公判でS夫人から謝罪されたこと

 私のブログでは、「公開質問状」をはじめとして、「東京女子医大幹部不正事件」では、東間 紘元病院長、黒澤博身心臓血管外科教授、笠貫 宏元心研所長の悪行を指摘してきました。しかし、所謂「女子医大事件」では、最も憎んでいるのはS元講師でした。

 S元講師の奥さんが50回あった公判で一回だけ、傍聴にいらしたことがありました。「佐藤先生には大変ご迷惑をおかけしました。お詫びいたします。」と大変腰の低い態度で、真摯な様子でした。傍聴は一回だけなので、目的は謝罪だったのかもしれません。

 勿論、事件そのものの謝罪に、裁判においても虚偽をいい続けていること関する謝罪が含まれるのかは聞きませんでしたが、この謝罪により憎しみが緩和されました。勿論私とS講師は、裁判中は話をしてはいけないことになっているので、直接の謝罪は今もありません。

4.嘆願書で1年6か月から一転5年

2004年4月

有罪-懲役1年執行猶予3年

 遺族からは、「S被告が医師を続けるのなら、明香のためにも多くの幼い命を救ってほしい。」とのコメント(毎日新聞より)

 有罪判決直後に、これだけの慈悲の言葉はなかなか言えないのではないでしょうか。私は同遺族から声をかけられたことがあります。亡くなった患者さんをお参りしたとき。「佐藤先生も子供のころに手術を受けて苦しい思いをしたことがあるのなら、明香のためにもこれからも頑張って子供達を助けてください。」旨呼びとめられて自発的に発言されました。当時私は、「調査報告書」で犯人扱いされていましたから、彼女も当然そう考えていたでしょう。本当なら嫌みの一つもいってもおかしくない場面だったので、非常に立派で、気丈な方だと思いました。

2005年2月

医道審議会後に厚生労働省行政処分発表-医業停止1年6か月

「医業停止1年6か月は、処分が甘いとの声もあったが、遺族から嘆願書も提出され短期となった。」旨報道の掲載があった。

 公判中に、別の遺族から「S(元講師)さんには謝罪してもらったが、佐藤さんには謝罪してもらっていない。謝罪してもらえば、有罪になって医道審議会にかけられても嘆願書を出させてもらうつもりだが、謝罪してもらっていないので、嘆願書はだせません。謝罪してもらって一緒にI(教授)を告発してほしい」旨連絡されたことがありました。医学的知識がなく、その内容の真偽について調べるこなく「調査報告書」を信じたりS元講師の虚偽の信じたとしたら、私が業務上過失致死の犯人で、I教授が隠蔽を指示したと考えても無理はないでしょう。私についても、I教授についても誤った認識をもたれているので、私は、謝罪しませんでした。

 しかし、嘆願書が出ていたということが真実なら、S元講師との約束を守ったということでしょう。

2006年11月中旬予定

東京社会保険事務局東京地方社会保険医療協議会諮問。答申を受けて保険医登録抹消正式決定―5年間

 S講師。勿論許さない、許されない。憎んでも憎みきれない。しかし。現在の彼を読者はご存じだろうか。何があったかは、私は間接的に聞いた。その中で、「医業停止1年6か月」は短期で唯一の救いだったかもしれない。

(2006年10月29日

共同通信配信記事より)

 明香さんの両親はそれとは別に、病院と医師らに対する医療保険上の監査と処分を求めていた。「保険医の登録が取り消されれば、カルテ改ざんを抑止する重要なきっかけになると思う。病院全体で改ざんを防ぐ何らかの手だてにつながればうれしい」

コメントできない。

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2006年10月14日 (土)

拘置所の出所場面の放送と嬉しかったこと

1.無罪判決直後の放送

 私が提訴している民事訴訟のほとんどは、逮捕直後の名誉毀損に関するものです。ひとつだけ、判決後のものがあります。フジテレビが相手です。

 フジテレビは、判決当日に、「佐藤は最初、罪を認めて謝罪したが、裁判では一転して無罪を主張した。」という真実ではないことを放送したり、「危険回避義務をおこった」とか「未熟な医師」とか現役の医師の私を「元医師」などと放送したりしました。また、無罪判決放送時に、私が小菅の東京拘置所を出所する場面を何回も使用したので、名誉毀損の上に、肖像権侵害であることも主張しています。

2.お褒めの言葉

 その裁判(弁論準備期日)が10月3日にありました。弁論準備期日とは、普通の家庭にある食卓よりやや大きいくらいのテーブルを囲んで、裁判官(2人)原告の私と被告代理人(2人)の計5人が膝をつきあわせるようにして、お互いの主張を「準備書面」に書いて主張しあう等する裁判の形態をいいます。(テーブルの脇にはフジテレビの社員も1人いました。)

 法廷よりもザックバランな雰囲気で、「会話」します。今回は私が書いた「準備書面(2)」とともに、「刑事事件無罪判決文」を証拠として提出しました。裁判長は実直な感じの方です。

 無罪判決文には、私の主任弁護士さんの名前が記載されています。法曹界では知らない人がいないスペシャリストで、名誉毀損裁判でも日本の歴史を作ってきた人です。

裁判長  「刑事事件はK弁護人が担当のようですね。」

佐藤   「はいそうです。」

裁判長  「この訴訟でもお世話になっているのですか。」

佐藤   「いいえ。フジテレビではお世話になっていないです。」

裁判長  法曹界の人間でもなかなか書けないような立派な準備書面を提出されているので・・・。コメントでもいただいているのですか。」

(左陪席と被告代理人が二人とも頷いている。)

佐藤   K先生には、コメントもいただいてないです。」

3.本人訴訟と実用文

 これは、嬉しかった。

 人に文章を褒められたのは久しぶりだった。学会の発表では、発表の題目や論文内容については評価されたことはあったが、文章そのものを褒めてくれる人はいなかった。小学校3年生の時に日本全国カトリック教会主催の作文コンクールで入選したときや、大学生の時に湾岸戦争に関して書いた「ヒューマニズムの原点に返れ」という投書が全国紙に掲載されたとき以上に嬉しかった。

 

 名誉毀損の提訴を決意して、K先生ともう1人の先生には各社をお願いしましたが、都合でNHK, フジテレビ、小学館は本人訴訟をすることになりました。自分で、弁護士さんや法律事務所の秘書さんがやる仕事をしなくてはなりません。

 刑事事件の書類作成過程で、K先生の文章を読んで、いつも「素晴らしい文章の書き手」だと思っていました。私も刑事事件に関する「陳述書」の作成などで文章を沢山書いてきましたが、先生の足元にも及ばず、いつもその差に愕然としていました。そのころから、「実用文について研究」する必要性を感じていたので「文章法」「文章読本」「文章の書き方」関連の本を40冊ほど読んできました。名誉毀損の本人訴訟を提訴するに当たっても相当数の関連書籍や判例を、素人なりに勉強してきました。「法曹界の人間でもなかなか書けない立派な準備書面」と評価されたことは、「訴訟を有利に進めている」という意味も含まれるとは思いますが、勉強の成果が上がっていると考えてもよいでしょう。(こういって、勝訴しなければ恥ずかしいことになりますが。)

「名誉毀損の本人訴訟」のための勉強には、幾つかの分野の書籍をそれぞれ何冊か読んできましたが、その分野とは、

①実用文一般の勉強

②裁判手続きの勉強

③本人訴訟の勉強

④名誉毀損の勉強

⑤名誉毀損裁判判例の勉強

⑥報道被害の勉強

⑦実際の準備書面作成の勉強

等があると思います。機会を改めて書籍の紹介をしようと思います。

 

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