「控訴趣意書に対する答弁書提出」と「S医師保険医登録抹消」-ひとり考える
このブログの更新が緩慢になっていた最大の理由は、控訴審の準備のためです。欧米では認められない刑事事件における検察官の控訴が日本では当たり前のようになされます。 控訴は一審判決に対する意義を申し立てるシステムですから、基本的には東京地方裁判所刑事第15部の裁判官に対して文句をいっている訳です。文句の内容が「控訴趣意書」。 これに対して、被告人、刑事ですから勿論弁護人が、これに対して「答弁書」を提出しますが、この締め切りが10月31日で無事提出していただきました。 内容についてはこのブログで発表したいところですが、そこは慎重に行きたいと思います。 2.保険医登録取り消しへ 東京女子医大・心臓手術ミス医師 このブログを閲覧する方なら、多くの方がご存じだと思いますが、10月29日に突然「S元講師の保険医登録取り消し」が報道されました。何故か、医療情報ならどんな些末なことまでも扱われる m3.comにはこの報道に関するスレッドがありませんが、共同通信もしっかりと各社には配信しています。「登録の取り消し後は原則5年間、健康保険の請求ができなくなる。」 3.公判でS夫人から謝罪されたこと 私のブログでは、「公開質問状」をはじめとして、「東京女子医大幹部不正事件」では、東間 紘元病院長、黒澤博身心臓血管外科教授、笠貫 宏元心研所長の悪行を指摘してきました。しかし、所謂「女子医大事件」では、最も憎んでいるのはS元講師でした。 S元講師の奥さんが50回あった公判で一回だけ、傍聴にいらしたことがありました。「佐藤先生には大変ご迷惑をおかけしました。お詫びいたします。」と大変腰の低い態度で、真摯な様子でした。傍聴は一回だけなので、目的は謝罪だったのかもしれません。 勿論、事件そのものの謝罪に、裁判においても虚偽をいい続けていること関する謝罪が含まれるのかは聞きませんでしたが、この謝罪により憎しみが緩和されました。勿論私とS講師は、裁判中は話をしてはいけないことになっているので、直接の謝罪は今もありません。 4.嘆願書で1年6か月から一転5年 2004年4月 有罪-懲役1年執行猶予3年 遺族からは、「S被告が医師を続けるのなら、明香のためにも多くの幼い命を救ってほしい。」とのコメント(毎日新聞より) 有罪判決直後に、これだけの慈悲の言葉はなかなか言えないのではないでしょうか。私は同遺族から声をかけられたことがあります。亡くなった患者さんをお参りしたとき。「佐藤先生も子供のころに手術を受けて苦しい思いをしたことがあるのなら、明香のためにもこれからも頑張って子供達を助けてください。」旨呼びとめられて自発的に発言されました。当時私は、「調査報告書」で犯人扱いされていましたから、彼女も当然そう考えていたでしょう。本当なら嫌みの一つもいってもおかしくない場面だったので、非常に立派で、気丈な方だと思いました。 2005年2月 医道審議会後に厚生労働省行政処分発表-医業停止1年6か月 「医業停止1年6か月は、処分が甘いとの声もあったが、遺族から嘆願書も提出され短期となった。」旨報道の掲載があった。 公判中に、別の遺族から「S(元講師)さんには謝罪してもらったが、佐藤さんには謝罪してもらっていない。謝罪してもらえば、有罪になって医道審議会にかけられても嘆願書を出させてもらうつもりだが、謝罪してもらっていないので、嘆願書はだせません。謝罪してもらって一緒にI(教授)を告発してほしい」旨連絡されたことがありました。医学的知識がなく、その内容の真偽について調べるこなく「調査報告書」を信じたりS元講師の虚偽の信じたとしたら、私が業務上過失致死の犯人で、I教授が隠蔽を指示したと考えても無理はないでしょう。私についても、I教授についても誤った認識をもたれているので、私は、謝罪しませんでした。 しかし、嘆願書が出ていたということが真実なら、S元講師との約束を守ったということでしょう。 2006年11月中旬予定 東京社会保険事務局東京地方社会保険医療協議会諮問。答申を受けて保険医登録抹消正式決定―5年間 S講師。勿論許さない、許されない。憎んでも憎みきれない。しかし。現在の彼を読者はご存じだろうか。何があったかは、私は間接的に聞いた。その中で、「医業停止1年6か月」は短期で唯一の救いだったかもしれない。 (2006年10月29日 明香さんの両親はそれとは別に、病院と医師らに対する医療保険上の監査と処分を求めていた。「保険医の登録が取り消されれば、カルテ改ざんを抑止する重要なきっかけになると思う。病院全体で改ざんを防ぐ何らかの手だてにつながればうれしい」 コメントできない。
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