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2006年11月

2006年11月27日 (月)

否定された「内部報告書」の募集

医療事故に限らず、事故の発生後に内部調査が行われ、病院や企業の幹部が、組織を守るために虚偽の『内部報告書』を作成することがあると思います。

 「パロマ事件」や「三菱ふそう」や「慈恵医大青戸」事件などはそのように報道されています。(『日航機事件』?)『女子医大事件』もそうでした。

 このブログをお読みの方で、2002年6月以前に、「病院が発表した『内部報告書』が後で虚偽であったことが発覚した判例」「企業が発表した、『内部報告書』が後で虚偽であったことが発覚した判例」をご存じの方がいらっしゃいましたら御教示ください。大きく報道された事件であればあるほどよいと思います。連絡先はブログ内コメント欄でも私のフリーメールでも結構です。

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2006年11月17日 (金)

刑事も民事も「操作ミスはない」と認定。だが

毎日新聞 2006年11月17日 東京夕刊

東京女子医大・手術事故:元助手の名誉棄損認めず 講談社が勝訴

 東京女子医大病院で01年、群馬県高崎市の小学6年生、平柳明香さん(当時12歳)が心臓手術の際に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われ1審無罪となった元病院助手の佐藤一樹被告(43)が、写真週刊誌「フライデー」の記事で名誉を棄損されたとして発行元の講談社に1100万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁は17日、請求を棄却した。阿部潤裁判長は判決で「記事は病院の調査報告書に基づいており、佐藤被告による人工心肺装置の操作ミスが死亡原因と信じる相当の理由があった」と述べた。

 問題となったのは、同誌02年7月19日号の記事。東京地裁の無罪判決(05年11月、検察側が控訴)は死亡原因について、佐藤被告の操作ミスではなく同装置の欠陥と認定しており、この日の判決も「操作ミスがあったと認めるに足りる証拠はない」と指摘した。【高倉友彰】

 刑事でも民事のこの判決でも「女子医大の報告書は誤っているので、佐藤の人工心肺の操作ミスはない。」すなわち、法律用語でいえば、「真実性はない」と認定しながら、「名誉毀損は成立しない。」という判決です。一般人には理解できないと思います。法律の世界でいう、誤信相当性(=報告書が誤りであることを信じてしまったのはしょうがない)の抗弁を認めたということです。「科学も物理も医学も臨床医学の根拠などどうでもよく、大学病院の幹部が作成した書類ならどんないい加減な内容でも信じてもしょうがない。」ということが言いたいのでしょうか。

納得がいきません。

 ブログに「勝訴の自信がある。」と書きましたが、それには根拠があったので、早速、控訴のための委任状に捺印してきました。裁判官にはいろいろな人がいることがわかりました。冤罪が生まれる理由がわかりました。

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2006年11月15日 (水)

自由と正義と約束の重み

『自由と正義』日本弁護士会連合会会誌 2006年9月号 

巻頭 「ひと筆」p5-p8より

「「夢に可能性を!」 吉峰康博弁護士 

人間は常に夢を持てるか

?

私は少なくとも、いつも夢を持っていた。人には話せない、おかしな夢もたくさん見て来た。実現した夢もいくつもある。自分が努力さえすれば何でも現実になると信じられた時期もあった。・・・ 

 私は、平柳明香(あきか)さんの手術を執刀し、事件後カルテ改ざんで証拠隠滅罪に問われた被告人S講師の主任弁護人だった。・・・私は『医療過誤弁護団』の不良団員であったが、近年は『小児医療と法研究会』(代表鈴木利廣)の事務局を務め、私の事務所を例会会場としていた。

『任意の取調べ』とは?

 ・・・被疑者は当初から、一貫してカルテ改ざんの事実を認めている。・・・被疑者を、警視庁は、逮捕に際し故意に顔をテレビカメラに写させたのである。しかも、身柄の拘束は再三の保釈請求にもかかわらず三ヶ月にも及んだ。

は再三の保釈請求にもかかわらず三ヶ月にも及んだ。

さて、私は、二〇〇二年一一月、この事件の裁判が週一回(午前一〇時~午後五時)のぺースで始まった直後に、(佐藤注:実際は月2回のペース)脳出血で倒れた。当時私はこの事件を含め身柄事件を三件抱えていた。土・日もなく連夜接見に通っていた。倒れて約三カ月近くは意識不明であった。この間「あの事件はどうなった?○○さんに連絡してくれ!」等としきりにうわごとを言っていたという(妻の話)。しかし次第に言葉を失い、全く話せなくなってしまった。意識が戻っても入院中は、夢を失い、新聞、テレビにすら興味を持てなかった。約一年弱入院し、退院後も毎週二回リハビリのため通院している。その間、弟の吉峯啓晴弁護士はじめ弁護団がこの事件をやり通してくれた。

・・・

『約束の重み』

さて、S医師の判決は、二〇〇四年四月、懲役一年(執行猶予三年)の刑が確定した。・・・翌年二月明香さんのご両親から手紙が弁護団宛に届いた。「御兄様の吉峰康博弁護士と、S医師に関しては医道審議会に上申書を出すとの約束をしておりましたので、厚生労働省に行政処分の軽減を上申します」。被害者側から「重く罰するより、良い医師として新たな道を歩ませる機会を与えることも大事」との上申書が提出された例はないという。私は「(病気のため)最後まで御一緒に闘うことの出来なかった私との約束をこんな形で果たして下さった平柳様御夫妻の御厚情を心底有り難く思い、深く御礼申し上げます。……この間の御両親様の悲しみと苦しみ、そしてその中でひたすら続けてこられた明香ちゃんの死を無駄にしないための闘いを思い頭が下がります。」とのお礼の手紙を出した。S医師は資格剥奪を免れ、この上申書のおかげで、三年間の資格停止の処分が一年半となった。私は約束の重みを感じ、自分の心がきれいに洗われた。

・・・

 私は現在、毎日が実に楽しい。依然として右半身は麻痺、視力は落ち聴力は不十分であるが、・・・毎日どれほど多くの人に自分の人生が支えられていることか。私の夢は一歩一歩実現している。・・・

 私の最終的な夢は『弁護士のブラックジャック』になることである。

IZa TOP page by 産経新聞 20061029 11:41より

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/life/health/25291/

≪死亡女児 両親の訴え実る≫

 カルテ改竄を主導した東京女子医大病院の元担当医に対する保険医登録の取り消しは、事故でまな娘、明香さんを失った両親による粘り強い訴えの成果だ。

 父親の平柳利明さん(56)と母親のむつ美さん(46)は、娘の死に対する病院側の説明に疑問を持ち、事故直後からカルテを証拠保全するなど真相究明に奔走してきた。

 そのカルテ自体が大幅に書き換えられていたことを知ったのは、警察の捜査が入ってからのことだ。

 平成14年6月に元担当医が証拠隠滅容疑で逮捕された後、利明さんらは同年10月、(佐藤注:吉峰康博弁護士が倒れたのは同年11月直後。)ミス隠しのために改竄されたカルテに基づいて、つじつま合わせの保険請求が行われた」として、東京都や東京社会保険事務局、厚生労働省に、改竄に関与した医師の処分と病院への監査を求めた。

 厚労省は当初、「現状では不正とはいえない。指導や監査も行えない」とはねつけたが、利明さんらは「カルテに本当のことを書いていなかったら、事故があっても真相の解明が難しくなる」と、監査を求め続けた。

 厚労省は昨年4月から複数回にわたり、健康保険法に基づく立ち入り監査を実施した。調査は不正請求の額よりも、医療事故の隠蔽(いんぺい)行為を重視して進められた。

 5年間の保険医登録取り消しは医師にとって「廃業」に等しいことだろう。「カルテを適正に書かないことは違反であること。改竄はリスクが高いことを知ってほしい」。利明さんはこう語っている。

この国のシステム

 吉峰康博弁護士、S医師との間の「約束は守られた」。しかし、現在でも

吉峰弁護士は、「自分の心がきれいに洗われた。」「私は現在、毎日が実に楽しい。」「毎日どれほど多くの人に自分の人生が支えられていることか。」という文言を口にできるのでしょうか。

 平成17年2月3日 医道審議会医道分科会議事要旨によると、このときの出席者は、(以下敬称略)(委員) 岩井宜子、植松治雄、片山 仁、鎌田 薫、見城美枝子、赫 彰郎、堀田 力、山路憲夫 (厚生労働省) 岩尾医政局長、岡島審議官、原総務課長、中垣医事課長、日髙歯科保健課長、宮澤試験免許室長、

田原医師資質向上対策室長他ある通り、斯界の権威によって構成されています。それがなぜ、個人の上申書によって覆ってしまうのでしょうか。この国家のシステムは、専門家の集まりによって決定された国民全体に関わる事柄を、何の知識も有さないが、被害者という印籠を振りかざされた途端に変更してしまうほど脆弱なものなのでしょうか。(→*http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat3889615/index.html「大野病院事件」初公判に向けてのエール 「医療事故と検察批判 」―東京女子医大事件、血友病エイズ事件、両無罪判決より- 8月15日ブログ参照)

 医道審議会の時点で、「3年間とか5年間の医業停止」と決定されただけでよかったはずです。胸くそ悪い思いをしているのは、吉峰弁護士だけではないと思います。

 心臓外科学における「斯界の権威」によって構成された3学会合同 陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会は、女子医大内部の人間ではなく、外部の委員のみで報告書の「オリジナル版」の作成に尽力を傾け、専門家とし客観的に作成されました。

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat3890233/index.html

 女子医大内部の黒澤博身教授と専門領域とは何ら関係のない、当時、「女子医大の変革が、当時の東間院長や黒澤教授によって行われている」という趣旨の番組を制作していたNHKの職員が、ちょこっとやってきて、報告書の配布の中止をもとめたり、自分に都合の悪い文言を訂正させたりしました。このことも、3学会委員や学会員にとっては本当に胸くそ悪いことだと思います。このような行動をおこした黒澤博身教授が、3学会の一つである心臓血管外科学会の会長をしようというのですから、酷いものです。なお、公開質問状に「第2 黒澤博身心臓血管外科主任教授への質問(エ)「黒澤訂正プリント」を発行させたのは、御自分の判断ですか、女子医大上層部の指示ですか、NHKの要望ですか。」に対してもお答えをいただいておりませんが、黒澤博身教授が悪の枢軸であることは間違えありません。

→「追悼!噂の真相」 (休刊記念別冊)

「孤軍奮闘編集長の深層心理」弘中惇一朗弁護士

「この国では、「被害者」という言葉が、特に最近は、非理性的に強くて、「被害者」という言葉をふりかざしたとたんに、国家権力に対してもさっと道を開いてしまう危うさがある。権力との対峙は、どこまでも理性的でなければならないのであるが、権力が暴走しないために作ったせっかくの枠組みを、「被害者」というエモーショナルなもので、ぐちゃぐちゃにしてしまう実情がある。」

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2006年11月14日 (火)

東京女子医大事件 名誉毀損民事事件

民事訴訟判決第一弾

 いよいよ今週民事事件第一弾の判決です。

先週、新聞では2つの名誉毀損事件が報道されていましたが、両方とも原告勝訴でした。

 私も勝利する自信があります。

「フライデー」事件(講談社)

日時:2006年11月17日金曜日 午前10時 

場所:東京地方裁判所   631号法廷

事件:平成18年(ワ)第4141号 損害賠償請求事件

その他の本人訴訟情報

「女性セブン事件」(小学館)

日時:2006年11月14日火曜日 午後16時 

場所:東京地方裁判所   611号法廷

事件:平成18年(ワ)第5887号 損害賠償請求事件

             

 「被告側が今回の準備書面3で「もし原告の主張するとおり、乙4調査報告書が誤りであったとすれば遺憾なことであるが、そうであれば原告はよろしく東京女子医大を責めるべきであり、非難の相手を間違っているというほか無い。」と記載があります。

 「東京女子医大を責めるべきであり」ということは認めるどころか、本件記事が掲載される以前の2002年12月からその誤りを指摘し、現在までに、充分「責めている」最中です。しかし、非難の相手を間違ってはいません。新聞社や雑誌社は、事件報道があってから、逮捕まで、充分な時間があったのにもかかわらず、心臓外科医や臨床工学士の誰にも取材を行わない上に、私本人への取材をも怠たり、東京女子医大の専門家以外の幹部が作成した「報告書」に依存した報道をしたのですから、非難されるべきです。

FNNスーパーニュース他事件」(フジテレビ)

日時:2006年11月15日水曜日 午後16時 

場所:東京地方裁判所   民事第6部(弁論準備期日)

事件:平成18年(ワ)第5889号 損害賠償請求事件

 無罪判決直後に、私が「投書は罪を認めて謝罪したのに裁判では一転無罪を主張した」旨真実でないことを放送し、社会的名誉を低下させました。また拘置所敷地内を歩行する私の映像を放送して肖像権を侵害しました。

「ニュース セブン事件」(NHK

日時:2006年12月6日水曜日 午前10時40分

場所:東京地方裁判所   626号法廷

事件:平成18年(ワ)第5888号 損害賠償請求事件

 逮捕時に、ありもしない人工心肺の動画を提示して、科学的に誤った機序の説明を行い、私の社会的名誉を低下させました。また、私の居住していた病院敷地内の官舎から出てくる私を病院敷地内で撮影し、放送して私の肖像権を侵害しました。

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2006年11月 9日 (木)

監獄と食事と音楽

1.           忘れていた音楽鑑賞

 仕事を詰めてやっていると潤いや余裕のある生活ができなくなります。大きな仕事でも先が見えずにやっているときはそうでもないですが、締め切りが迫っている状況では、私はいつもそうなります。

 控訴趣意書に対する答弁書を提出するまでの3ヶ月間もそのような状態でした。現在、週のほとんどを自家用車で通勤していますが、行きはラジオ放送でニュースをチェック。帰りの運転中はCDを聞いています。おそらく3ヶ月間たった1枚のCDしか聞きませんでした。鑑賞するというよりただ聞き流していました。勿論、気に入っているCDということもありますが、運転中はいつも訴訟のことで頭がいっぱいだったのでよく知っている音が心の平静を保てたのかもしれません。

(ちなみにそのCDとはマレイ・ペライアの「ゴールドベルク変奏曲」。*)

2.           食べ物の恨み

 このブログやm3.com.のスレッドにも書きましたが、留置所(代用監獄)の食事は量も内容的にも栄養学的にも最低でした。拘置所は、美味とはいえないが、量も内容も栄養学的にも問題はありません(留置所から移管するとこれが美味しく感じる)。拘置所では、娑婆で調理関係の職業をしていた受刑者が自ら食べるものも含めて調理しているという噂。よくテレビ番組等でも紹介されるためか、法務省の検食があるためか知りませんが、ある程度愛情を感じる。できたてで暖かいからかもしれません。ただし、最初は本当に分厚い金属の弁当箱の中に「ウジ」が乗っていると間違うような麦がのかったご飯は量が多いこともあり、完食するのは大変でした。娑婆で健康食として食べる麦とはわけがちがうので、見た目は最低でした。

3.           牛込警察留置所 献立表

朝食:365日毎日同様(と行政警察員がいっていた)

ご飯-ほっかほか弁当と同じような白い容器に明らかに前日詰め込んだものを保温してカピカピしている。

菜-ご飯の上に毎日昆布と沢庵2-3切れ、のりたまふりかけが乗っている。昆布は鰹節のにおいがついた2cm四方の大きいものか、細く切って少量の胡麻があえてあるものが一日おきにでる。沢庵はいかにも合成着色料を使用してご飯が黄色染まっている。

みそ汁-唯一香りがする。出汁が結構でているが、みそは色が、やっとついている程度。具は月曜から土曜は2-3枚のちいさなわかめのみ。日曜は作っている場所が違うとのことで、これに麩が1-2個浮いている。毎日この程度の食事だとこれでも嬉しい。

白湯-留置所で飲めるものは、基本的に「水」と「白湯」だけである。勿論「お茶」すら飲めない。(5日に一回の入浴直後には、自弁(自分でお金を払って購入する)で、200mlのジュースを一本飲める。缶コーヒーを一回飲んだ。拘置所に移管が決定したときに、担当刑事との面会があって取り調べ室に呼ばれたときに、出された。私と術野のM医師とのメールを盗聴した警察。その内容を元に、M医師に「佐藤の弁護士に会わないように」と手術前の早朝に電話したA刑事は私の担当ではないのに缶コーヒーを購入して持ってきた。「これが、盗聴したことの詫びかよ。」と叩き返してやろうと一瞬思ったが、彼のようなうだつの上がらなそうな刑事は単なる連絡係で、指揮をとっているのは別の刑事であるはずなのでやめた。飲んだがうまくもなんともなかった。)

昼食:365日毎日同様(と行政警察員がいっていた)

パン:昭和40年代から50年代に小学校にいっていた人ならあの「大コッペパン」を思いだせるでしょう。あれそのものが毎日2個。月曜から日曜まで同じ。

ジャム:毎日マーガリン一個とジャムが小さいビニールパックで一つ。イチゴジャムとオレンジマーマレードの繰り返し。当然、朝昼は飽きる。拘置所に移管するときの法務省内では、はちみつとQBBチーズステイックがでた。)

白湯-朝昼夕ともに飲めるのは、「水」か「白湯」のみ。

自弁-実は昼は「自弁」で外注の弁当をとれます。ただし指定された業者からのみ。また、土曜日は特定の中華料理屋に注文できます。しかし、外注の弁当もまずくて質の悪い油だらけで最悪でした。同房に勾留されている人達も誰も頼んでいない上、私も食べると手掌に油が浮いてくるような感じになるので、やめました。理由のもう一つは、当然、無職になることが予想されたので、経済的不安からも600円の自弁も購入するのは贅沢に感じたことがあります。

夕食:二日連続同じものは出ないが・・

 酷かった。妻が面会に来た時に、偶然見たそうだが、「まさかこれを食べさせられているとは思わなかった。」という代物。おそらく、コンビニエンスストアに置いてあったら間違えなく売れ残って、アルバイトの店員がもったいないから持ち帰ったとしても、帰宅途中にいた野良犬に与えたとしても食べないだろう。

ご飯-白飯だが、カピカピ。

おかず(例)-油にまみれてしなしなになった小さなレタスの上にべとべとの油であげたかき揚げが冷めてのっている。ちいさなさくらエビが2-3入っているだけであとはほとんどたまねぎ。ちくわの揚げたものもさめている。うぐいすまめ5-6個。しば漬けが2-3ついているが歯ごたえがなくぐねぐねしている。以上。

私の父は新潟出身で、子供のころから「お百姓さんが一生懸命作ったお米は一粒残さず食べる。」のが常識となっていたので、出されたものは全て残さず食べました。(もちろん、この程度の食事では痩せる。)

4.           ござの食卓で聞けた唯一のCDimage

 起訴されるまでは、取り調べ時間も深夜におよぶので、精神的にも辛い上、こんな食事での扱いを受けると人権侵害といいたくなりますね。社民党の福島瑞穂議員が刑務所に処遇について本を書いていますが、社会民主党(私は嫌いですが)の党首としては、視線が明後日の方向ではないかと思います。人権侵害の最たるは、逮捕から代用監獄での起訴まででしょう。(このことは、本稿の主題ではないので、改めて書きます。)

 食事の時間になっても、鉄格子の外には出られません。朝夕の布団の上げ下げと体操という名の午前の喫煙タイム(吸わない人は他房者との会話タイム。)と午後一回ある官本を返る時。それ以外は、取り調べと面会と5日に一回の入浴以外は房の中。

 食事の合図とともに、す巻きになった「ござ」が、40x30cmぐらいの窓から入れられて、これを開いて食卓完成。胡座をかいて「えさ」にありつく。朝昼はいつも同じなので、一切期待はしない。夕飯は前日と同じメニューのことはないので、期待をするが、45日間の留置場勾留期間全てむなしい思いをしました。

 また留置所で音楽が聴けるのも食事の時間のみ。しかも、一枚のCDを繰り返し45日間聞いていた。

 「image」というオムニバス盤で、主に映画音楽や最近のクラッシックの曲をアレンジした曲が多い。よく売れたので聞いたことがある人も多いでしょう。「パリは燃えているか」「放課後の音楽室」「風笛」私の映画Best 3でもある「ニューシネマパラダイスのテーマ」等好きな曲が多いので今聞いてもここちよい。

 これを聞くと「ござ」の上で、マーガリンとジャムをどのような塗り方やミックスの仕方で食べると飽きずに食べられるかという馬鹿馬鹿しい工夫を、中国人の陸さんやイラン人のナセル(参照「獄中執筆記-傷害防止特殊ボールペンによる医学書院「医学大事典」の執筆-」http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat4382001/index.html)と情報交換したことを思い出す。

5.           勇気づけられた放送「人間どきゅめんと」とテーマ曲「黄昏のワルツ」

 この「image」を毎日聞いていて勇気づけられたのは「黄昏のワルツ」。最近Sergei NakariakovCDにも収録されましたが、加古隆のオリジナル盤は、NHK総合で放送していた「人間どきゅめんと」のテーマ曲になっていました。

 私は、普段ほとんとテレビを見ません。スポーツ中継で気にいったものがあればみる程度。1970年代から1980年代はボクシングが好きで、後楽園ホールでよく観戦、投稿していたボクシングマガジンの編集長ともその日の試合について感想を述べ合ったりしたこともありました。このところ気に入ったボクサーが全くいませんが、ここ10年で応援しようと思えるファイターが1人います。

坂本博之。彼のがこの「人間どきゅめんと」に出ていた。

6.           「親に捨てられた兄弟よりも今の自分は辛くないはず。」

 昭和30年代40年代のボクサーといえば、ファイティング原田や大場政夫のように貧困脱出から栄光へのサクセスストーリー。(大場はチャンプのまま23歳で交通事故死)長嶋と新春対談といったレベルのスター扱いだった。日本チャンピョンの座につけばその瞬間に一戸立てが建つ時代だったが今はアルバイトしないと生活できない。

 坂本は飽食の時代に生まれたけれど、親に捨てられた。飢えていた。タイガーマスクの漫画の世界を再現するような「みなしご」の施設に入る。彼が小学生の時に幼い弟が「飢え」てほしがった「肉まん」を店から盗んで食べさせたエピソードが「人間どきゅめんと」で流された。

 坂本の戦歴は下に記した**の通り。スタイリッシュ王者畑山に挑戦。日本人同士の対戦ではここ10年で最高と思われる劇的なカード。無骨だが鉈で一撃必殺タイプの坂本と現代的なアウトボクシングスタイルの畑山。

 坂本は、試合がある度に育った「孤児の施設」を訪れ、ファイトマネーを寄付し、子供達に学用品や玩具をプレゼントする。子供達は世界戦では二階席からそろって鉢巻きをして、両手を会わせ祈りながら泣きながら坂本を応援する。その中、リングに倒れた。

 以後椎間板ヘルニアで満足にトレーニングでなきかった坂本の復活戦までの闘病生活を描いた「人間どきゅめんと」坂本の入場テーマ曲は現代のボクサーとしては珍しいドボルザーク。復活戦で勝利する坂本の映像とともに流れた「黄昏のワルツ」は涙をさそった。

 彼の苦しみをこの曲と共に毎日思い出した。留置所のクサイ飯は確かにまずいが飢えはしない。彼のように必ず復活する日、自分の主張を言える日を待つこととした。その第一歩が初公判であることは、9月5日のブログ「ホリエモンと同じ気持ちの『初公判』」http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat3889615/index.htmlに書いた。

7.           「ショーシャンクの空に」「フィガロの結婚」

 留置所(代用監獄)にいると、特に起訴以前は精神的にそうとうつらい。映画に出てくるような銀行の金庫の銀色に光る分厚い扉に似ているドアから留置所内に入ると、地震が起きた時にここに閉じこめられたまま押し潰される夢を見る。弁護士さん以外は、家族も含めて面会は禁止。楽しみは、食事と5日に一回の風呂くらいしかない。娑婆での生活が恋しくなる。音楽が清涼剤にはなるが、代用監獄では「image」のみ。

 拘置所にいくと、ラジオ放送が聴けるようになる。各部屋に音量を調節する装置があって、NHKのニュースや相撲、野球放送が流れる。こういうときには娑婆にいたときに聞いた曲が流れたり、懐かしのメロディが流れたりすると郷愁感が生まれて感動するのかと思っていた。そうでもない。

 丁度、小学生から中学生にかけてよく聞いていたフォークソングがよくかかったが、ノルタルジーはあまり感じなかった。平井堅の「大きな古時計」が流行していた。だが、これも中学校の合唱コンクールで歌った思い出がある曲だが無感動だった。

 本当の芸術。監獄ではこれが一番感動する。一流の芸術が聞けるのはやはりクラッシックだ。映画「ショーシャンクの空に」で主人公のアンディが規則を破って放送室から刑務所全体に響き渡るように「フィガロの結婚」のレコードをプレーヤーにかけて、'duettino - Sull 'aria' を流すシーンがある。全受刑者が仕事の手を止めて聞き入る。このシーンが実感をもって理解できた。監獄にいるときに一番必要な音楽は真の芸術である。

 私は保釈されて娑婆に出てからしばらく聞かなかったクラッシック音楽のを再び聞き始め、以前よりも好きになった。

    「ゴールドベルク変奏曲」は、振り返ると10数年前に、アンドラーシュ・シフのCDを聞く機会があったはずなのに、その時はなんとも思わず押入の奥に隠れていました。当時知らなかったグレン・グールドの81年録音盤を後から聞いて衝撃を受けて、グールド1955年版、シフの再録音版はもちろん、年代的にも1920年代のワンダ・ランドフスカから2005年にリリースされた新人マルティン・シュタットフェルトまでの正統派、その他、キース・ジャレットが日本で録音したものややギター演奏のCDまで幅広く聞いて、中村道夫のクリスマスコンサートにもいきましたが、このペライア盤はグールド81年盤に比肩する名盤だと思います。(私は音楽の才能はないのですが、自分では勝手にそう思っています。)

   

全日本ライト級新人王、日本ライト級王座獲得、東洋太平洋ライト級王座獲得ととんとん拍子に実力を付け、WBC世界ライト級王座に初挑戦は、12R判定敗け 世界ランキングを1位に上げ、WBC世界ライト級王座に再挑戦。12R判定でまたも王座獲得ならず。三度目の世界挑戦はWBA世界ライト級王者から1Rに2度のダウンを奪うが、坂本は4Rにセラノのアッパーで目を負傷。5Rには更に傷口が深くなり、レフェリーストップによるTKO負けを喫する。王座獲得ならず。 再起してWBA世界ライト級王者となった畑山隆則がそのリングで一回目の防衛戦で会場にいた坂本を指名。1Rから両者は激しい打撃戦を演じ、10Rに坂本は畑山のワンツーでダウンを喫する。10RTKO負けで王座獲得ならず。

   

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