「紫色の顔の友達」K君
約30年ぶりに小学校に行ってみました。30年前の自分と全く同じように、少年が野球の練習をしている声がすがすがしい。
バックネットから見るレフト側には、「紫色の顔の友達」K君が苦しそうに歩いていた桜並木が残っていました。その向こうに見える中学校の風景も変わらない。K君の休み休み歩いていた光景。30年ぶりに自分で歩いて見ました。
私のブログをみた小学校、中学校のクラスメートTさんからメールがありました。学級委員、優等生だった彼女は、自宅がK君の近所で、彼女の2歳下の妹さんとK君はクラスメートだったそうです。Tさんの妹さんは、K君を誕生日パーティに呼ぶなど仲良しだったとのこと。K君は優秀で勉強が良くできた。彼は何を夢見て勉強していたのだろうか。絶対に将来の夢を見ていたはずだ。苦しい時は、真っ正面を見ながら歩くしかない。
K君は、私の通った中学校に進学した。中学校の校長先生は、私の妻の父だった。そして、私が高校生の時、妻と知り合ったころ、バレーボールに情熱を注ぎ、同級生と夜空の下で将来の夢を語り合っていたころ、K君は手術を受け、帰宅することなく亡くなった。延命のための苦し紛れの手術だったと思われる。妻の父、中学校の校長先生は、K君の死を全校生徒に伝えた。
私の母と交流のあったTさんの御母様も、私の母が突然死した翌年、やはり突然死されたらしい。数年後、妻の父、中学校の校長先生も現役中に亡くなられた。妻の母は、私達の結婚式の3週間前に亡くなった。
望郷に身を置きたくなることもある。亡くなった人の魂を大切にしたい。家族や恩師、友人を大切にしたい。そのためにも、より強くなりたい。
K君のことは、「はじめてのブログ」を参照してください。
http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_2f8b.html
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コメント
涼しくなってきました。お元気でしょうか?
遠い、遠い子供の頃を思い出し、来し方を振り返ることは力をくれるようです。
私も卒後45年間、何回か小学校を訪れました。最初はわかっていたのに、今では自分で彫った卒業記念の自画像もどれが自分のものだったかわからなくなっているけれど、友達と毎日野球をしていた歓声が聞こえます。汗だくの自分が水飲み場にいるようで。
お仕事と復権の日々、健やかにお過ごしください。
投稿: 雪の夜道 | 2007年9月10日 (月) 10時50分
雪の夜道先生いつもコメント有り難うございます。
ノスタルジアにただ浸るのではなく、これを支えや力にすることは、前進することだと思います。現在の自分より、辛かった自分や、他人がいることを思えば、現在の立場は、まだましです。
投稿: 紫色の顔の友達を助けたい | 2007年9月12日 (水) 22時08分