共同通信の意見に対する反論と最高裁判決
配信サービスの抗弁
2007年9月19日の読売新聞の社会面では、私が、上毛新聞、静岡新聞、秋田魁新報に勝訴したことに対して、共同通信社の江渡悦正編集局次長と服部孝章・立教大大学教授(メディア法)の話が掲載されている。この二人の話は、所謂本邦における「配信サービスの抗弁」(wire service defense)の法理を全く理解していないとうい点でレベルが低い内容である。配信サービスの抗弁は、最高裁判決平成14年1月29日、最高裁判決平成14年3月8日の両判決で完全に否定されることを全く理解していない。共同通信の配信を受けている加盟社は、独自の取材をしないのであれば、クレジット(例えば、ロイター、共同通信等)を付け加えて、自社では取材をしていないことを明らかにすればよい話である。このようなことは、平成14年に確立したことなので、その時点で報道態度を変えるべきなのに、相変わらず、不法行為を繰り返していたことになる。
共同通信社の江渡悦正編集局次長の話「記事を配信した共同通信社の賠償責任を否定し、記事を掲載した加盟社に賠償を命じた今回の判決は極めて不当だ。通信社の配信機能を理解しない内容で、到底承服出来ない」→判決は最高裁の二つの判決に沿うもので、不当という意見は、法律的な無知からくるものと思われる。「通信社の配信機能を理解しない内容」と叫ぶのは、最高裁で二回も否定されたことを理解していないことになる。加盟社が、通信社の配信機能を利用するにあたりが不法行為を形成することがあることが最高裁判例で示されているのに無視して旧来の利用法を慣習的にしているから地方紙は敗訴したのである。
服部孝章・立教大学教授(メディア法)の話①「今回のような判決が続けば、地方新聞はすべての配信記事の裏付け取材をしなければならなくなり、通信社による配信制度が崩壊し、地方の読者の知る権利を侵害することにもつながる。」→そんな馬鹿なことがあるだろうか。「すべての配信記事の裏付け取材をしない」のであれば、クレジットを着ければよいだけの話で、「通信社による配信制度が崩壊し」たり、「地方の読者の知る権利を侵害することに」つながることはない。言葉は悪いかも知れないが、他社からの情報を『パクッて』記事を作成してお金を儲けるなら、パクッた情報元を明記すべきなのである。
服部孝章・立教大学教授の話の続き②「ただ、配信元の表記については日本のマスコミにはあいまいな所もあり、この点について議論を深めていく必要はあるだろう。」→メディア側の意見に追随するためのコメントなので、上記①と書いたが、まどろっこしく②が言わんとするところは、「日本のマスコミは配信元の表記をしないので、あいまいにせずにはっきり表記しなくてはならない。」ということである。すなわち、結局は、本件判決文の正当性を肯定することになっている。
法律素人の私が、「配信サービスの抗弁」を解説して説得力に欠けるかもしれない。ここでは、名誉毀損裁判の多くの最高裁判例を作られた、喜田村洋一先生の解説を御覧いただきたいと思います。準備書面からですが、訴訟に関わった人だけが読むにはもったいない内容です。法律家の読者もこれで満足されるでしょう。
準 備 書 面
1 上記当事者間の頭書事件において、被告株式会社上毛新聞社らは、平成18年7月7日付け被告新聞社第1準備書面において、「配信サービスの抗弁」を主張した。
しかし、憲法法理及び名誉毀損法理においてこの抗弁が存在する余地はない。以下、分説する。
2 被告新聞社(社団法人共同通信社の加盟新聞社であるので、以下、「加盟社」という)は、配信サービスの抗弁を肯定すべき理由として、報道の自由及び知る権利の確保を掲げ、「配信サービスの抗弁が否定された場合、加盟社は、記事の真実性を証明できない限り常に不法行為による賠償義務を負わされることになる。これを免れるためには、当該記事を掲載(放送)しないという選択をする以外に方法がないということになりかねず、その結果、報道が萎縮したものにな〔る〕」(加盟社第1準備書面3頁)と述べる。
しかし、この主張には何重もの誤りがある。
まず、日本において現在、配信サービスの抗弁は認められていない。しかし、配信サービスの抗弁が存在しないから、日本には報道の自由が存在しないとか、知る権利が確保できないという議論は、少なくとも原告は寡聞にして知らない。配信サービスの抗弁は、報道の自由や知る権利と全く無関係ではないにしても、これがなければ報道の自由が確保できないというものではないのである。
3 このことは、加盟社が問題にしている地方メディアが世界的、全国的なニュースが報じることができるかという点についても全く同様である。繰り返し述べれば、日本では配信サービスの抗弁は認められていない。それでも、加盟社は、これまで共同通信社が配信する記事について、独自にその真実性を確認することなく掲載してきた。それはなぜか。共同通信社の配信する記事は大部分が真実であり、仮に訴訟になっても真実証明ができるから勝訴できる(したがって、そのような訴訟はあまり多くない)と考えているからである。すなわち、現在、加盟社が世界的ニュース、全国的ニュースを掲載しているのは、配信サービスの抗弁が存在するからではなく、共同通信社の配信記事の真実性を信頼しているからである。
ところで、加盟社は、「配信サービスの抗弁が否定された場合、加盟社は、記事の真実性を証明できない限り常に不法行為による賠償義務を負わされることになる。これを免れるためには、当該記事を掲載(放送)しないという選択をする以外に方法がない」と主張する。このうち、前半の「記事の真実性を証明できない限り常に不法行為による賠償義務を負わされることになる」というのは、配信サービスの抗弁とは関係なく、全ての報道機関に共通しているのであり、加盟社に限られたことではない。朝日新聞社も読売新聞社もNHKも、全て、「記事の真実性を証明できない限り常に不法行為による賠償義務を負わされ」ている。しかし、これらの報道機関は、「真実性の証明ができないと賠償義務を負わされるから報道(放送)するのは止めよう」という判断はしていない。その理由は、「取材を尽くすことによって誤報は最小限に止めることができているはずであるから、たとえ賠償義務を負わされるとしても、そのような事態は極度に例外である。その例外を恐れて、報道を控えることはできない」と考えているためである。
ところが、加盟社は、配信サービスの抗弁がなければ、「加盟社は、真実性を証明できないと賠償義務を負わされるから報道は差し控え、萎縮する」と主張する。しかし、同じ報道機関でありながら、加盟社は、なぜ報道を避けるのだろうか。その理由としては、共同通信社の配信記事については、その真実性を証明することができない場合が多々あり、敗訴する事例が多くなるから、賠償義務を避けるためには記事掲載を断念するしかないと考えているということしか考えられない。
しかし、これは配信サービスの抗弁の前提を崩すものである。もともと、この抗弁は、「定評ある通信社の配信記事は原則として信用できる」という実態に基づくとされていた。しかるに、加盟社が主張するように、「配信サービスの抗弁がなければ、共同通信社の記事を掲載することは怖くて出来ないという事態が生じる」のであれば、それは「共同通信社の配信記事は、それほど信用はできない」というのが加盟社の認識であると述べることと同値である。
このように、「配信サービスの抗弁が認められなければ、萎縮効果が生じる」との加盟社の主張自体が、配信サービスを認めることはできないという結論を導くのである。
4 加盟社は、配信サービスの抗弁を認める必要性があると主張するが、この抗弁を認める必要が本当にあるかを、場合に分けて検討する。
まず、共同通信社の配信記事が真実であった場合を考える。この場合には、当該記事には違法性がないことになるから、加盟社は、真実性を証明できれば名誉毀損の責任を負うことはない。そして、通常の場合は、加盟社だけが被告として提訴された場合でも、共同通信社は加盟社のために補助参加し、あるいは事実上、加盟社に協力するから、加盟社は、これに基づいて共同通信社の配信記事が真実であることを証明できる。
したがって、この場合には、真実性証明に基づく違法性阻却という名誉毀損における通常の抗弁と別に、配信サービスの抗弁という新たな抗弁を認める実益はない。
5 次に、共同通信社の配信記事が真実でなく、かつ、共同通信社にこれを真実と信じるについて相当の理由がなかった場合を考える。加盟社は、直接、取材に当たっていないのであるから、この配信記事を真実と信じるについての相当性はない。
では、この事例で、共同通信社と加盟社が共に被告として提訴されると、配信サービスの抗弁が認められると仮定した場合には、どのような結果になるだろうか。
まず、共同通信社については、通常の真実性ないし相当性の有無によって判断されるから、上記の事例の場合には、これが共に認められず共同通信社は敗訴する。
これに対し、加盟社は、配信サービスの抗弁が認められる結果、勝訴することになる。
しかし、この結論は正しいのだろうか。実際の取材を行い、記事を執筆し、これを配信した共同通信社は敗訴するが、取材を行わず、記事も執筆せず、単に配信された記事を掲載した加盟社が勝訴することは、どのように考えれば正当化されるのか。
加盟社は、共同通信社の取材が十分になされたと信用したのであろうが、実際には、ここで想定している事例では、共同通信社の取材は不十分であったのであり、記事は真実でなく、共同通信社は、これを真実と信じるについても相当の理由を有していなかった。そうすると、加盟社が信用したのは、共同通信社という機関に対する一般的、抽象的信用ということになるが、そこに止まるのであり、上記の事例では、共同通信社の個別的、具体的取材は信用できるものではなかったのである。
もちろん共同通信社は、当該記事を配信したときは、その内容が真実であると確信していたであろう。しかし、名誉毀損における相当性は、主観的に真実と信じたということによって認められるのではなく、真実と信じても止むを得ないだけの客観的状況が存したかによって判定される。そして、相当性が認められなかった場合とは、共同通信社の当該記事に関する取材が客観的に見て不十分であったという場合である。このように客観的に見て不十分であった共同通信社の取材が、なぜ、「共同通信社の取材であるから」という理由だけで信頼できるものになるのだろうか。このような信頼が不合理なものであることは明らかである。
いずれにせよ、取材にあたった共同通信社が敗訴するとき、取材をしなかった加盟社が勝訴するという結論は、不合理であり正当化できない。この不合理な結論は、配信サービスの抗弁が正しいと仮定したところから導かれたものである。したがって、その前提が誤っていたことになるのであり、配信サービスの抗弁は認められない。
6 上に見たとおり、配信サービスの抗弁は誤りであることが明らかになったが、最後の事例として、共同通信社の配信記事が真実でなく、かつ、共同通信社にこれを真実と信じるについて相当の理由が存していた場合を考える。この場合でも、加盟社は、直接、取材に当たっていないのであるから、この配信記事を真実と信じるについての相当性はない。
この事例では、共同通信社が被告とされれば相当性が認められ勝訴するから、加盟社も同様に勝訴すべきであって、そのために配信サービスの抗弁を認めることの実益があると加盟社は主張しているように思われる(加盟社第1準備書面4頁2項参照)。
ここでも加盟社の信頼は、共同通信社の個別の配信記事における取材についての信頼ではなく、共同通信社という機関に対する信頼である。その内容は、端的に言えば、「定評ある通信社の配信記事は、文面上に不合理が見られる場合などを除けば、真実と信じてよい」というものである。
しかし、5で述べたように、相当性は、真実性についての主観的な確信によって認定されるのではなく、そのように考えるについて客観的な合理性が認められることによって、初めて認定されるのである。
それでは、共同通信社という報道機関について、「その配信記事は、具体的な取材の有無や結果などを離れて、一般的、抽象的に真実と信頼できる」と客観的に言えるであろうか。
これについては、共同通信社と、全国新聞を発行している朝日新聞社、読売新聞社、毎日新聞社等と比較すれば、その答は明らかである。共同通信社とこれらの全国新聞社は、全国と全世界の各地に本社、支局を持ち、取材を行っているが、その取材体制において格別の差はない。たとえば、東京では、これらの社は、いずれも裁判所、警視庁、各種官庁などの記者クラブに所属している外、遊軍記者も抱えて、継続的、複合的な取材を行っている。記者の資質も同様であり、通信社であるから、新聞社であるからという区別はない。要するに、共同通信社と全国新聞社は、報道機関としてはほぼ同一ランクとみなされているのである。
そして、全国新聞社の記事については、全体として見れば信頼性が高く、内容は真実である場合が多いという信頼は勝ち得ているであろうが、それを超えて、「○○新聞の記事だから、どんなときでも真実だ」という信頼を得ている社は存在しない。すなわち、○○新聞社であるからという理由だけで、個別の記事について真実と信じることに合理性はないとされているのである。
この点は、共同通信社についても、全く同様である。定評ある通信社というのはそのとおりであろうが、「共同通信社の配信記事だから真実だ」という信頼性が社会一般にあるということはできない。ここでも、「全体的な信頼性は高いが、個別の記事については個別に判断する」というのが一般読者の普通の認識なのである。
このように、共同通信社の配信記事について、「すべて真実とみなしてよい」という認識が社会に存在していないとき、ひとり加盟社だけが、「共同通信社の配信記事は、共同通信社のものであるが故に真実と考えてよい」と信頼しているのであれば、その信頼は不合理なものである。全国新聞社の記事に誤りがあるのと同様に、共同通信社の配信記事にも誤りはある。この現実に目をつぶり、「共同通信社に対する信頼は合理的である」と強弁することはできない。
このように、共同通信社の配信記事であるからという理由で、その記事を真実とみなすことはできないのであるから、この3番目の事例においても、配信サービスの抗弁を認めることはできない。
7 以上のように、記事の真実性と相当性について場合分けして検討すれば、配信サービスを認める実益はないし、また、認めるべきでないことは明らかである。すなわち、記事が真実であるならば、加盟社は共同通信社と共同してその真実性を立証すればよいのであって、それと独立に配信サービスの抗弁を認める必要はない。配信サービスの抗弁が成り立つ前提として、「共同通信社は定評ある通信社であって、その配信記事は(大部分が)真実である」というのであるから、少なくとも大部分の訴訟は、真実性の抗弁が成立して加盟社が勝訴するはずである。加盟社は、配信サービスの抗弁がなくとも、記事の真実性を証明できない場合を慮って記事掲載を躊躇する必要はないのであり、日本全国どの地方の読者も世界のニュース、全国のニュースを目にすることができるのであって、それが日本の現状である。
他方、記事が真実でなく、相当性が問題になる場合には、共同通信社と加盟社の双方について、相当性の有無を判断すべきであり、またそれで足りる。配信サービスの抗弁とは、実際には、相当性が認められない加盟社にも相当性が認められるべきであるという主張に他ならないが、このような主張は相当性は個別に判断すべきであるとする名誉毀損法理に真っ向から反するものであり、認められるべき余地はない。
また、「共同通信社の配信であるから真実と信頼できる」という加盟社の主張は、完全には信頼できないものをすべて信頼せよというに等しいものであり、不合理なものであるから、これについても認められない。
8 以上のとおり、配信サービスの抗弁が認められないことは明らかであるが、念のため、なおいくつかの点を補足する。
まず、加盟社の掲載記事で名誉を毀損された被害者が加盟社を提訴した場合、配信サービスの抗弁が認められるならば、この抗弁が提出された時点で被害者は、新たに同額の印紙を貼って共同通信社を被告に加え(あるいは別訴を提起し)なければならない。これは既に被害を蒙っている者に不要な出費を強いるものであり、このような取扱いは認められない。
この点について加盟社は、交渉過程で加盟社は共同通信社の名称を開示するのが慣習となっているとするが(加盟社第1準備書面4頁)、そのような交渉前置主義は日本では取られていない。直ちに加盟社を提訴することも認められており、現にそのような例もあるのであるから、被害者の不要な負担をなくすことはできない。
何よりも、加盟社は、自ら認めるとおり、共同通信社の定款施行細則10条の定めにかかわらず、国内では、ニュースごとに「共同」のクレジットを付していない(加盟社第1準備書面2頁)。加盟社の引用する2002年の第二小法廷判決においては、2人の裁判官から、「クレジットを付していない記事は新聞社自身の記事として扱うべきであり、配信記事を掲載したものであることを理由とする抗弁はいかなるものも提出することはできない」との意見が出されたにも関わらず、それから4年を経た現在も、クレジットを付さないという取扱いを変更しようとしていない。
このように加盟社は、自らの細則にも反し、またこの点を指摘する最高裁判事の意見の存在にも関わらず、共同通信社配信記事であることを一般読者に告知しようとしていないのであり、そのような加盟社が、報道被害者に印紙代金の二重支払いを強制する可能性のある配信サービスの抗弁を主張することは許されないというべきである。
9 次に、配信サービスの抗弁が認められる場合に、通信社が倒産した場合には、被害者は誰からも賠償を受けられないこととなる。加盟社は、「定評ある通信社が倒産することは想定し難い」と主張するかもしれないが、加盟社第1準備書面で、配信サービスを認めるべき論拠として引用された梶谷裁判官の意見において「定評ある通信社」の例として挙げられたUPI社(加盟社第1準備書面11頁)は、1991年に倒産し、その後、いくつかのグループが買収したが、最終的には某宗教団体の関連会社に買収され、通信社としては全く信用を失ったとされている。日本においても、経営問題を指摘される通信社は存在する。
このように通信社が倒産したとき、被害者は、たとえそこから配信を受け、名誉毀損記事を掲載した新聞社が存在し、賠償能力を有していても、補償を受けられなくとも止むを得ないとされることになる。報道の自由は、このような結果を強制するというのが加盟社の主張なのであろうか。
さらに現実性の高い問題として、外国通信社の場合がある。外国通信社であっても、定評があるものであれば、配信サービスの抗弁は認められるべきであるというのが加盟社の立場であろう。外国通信社の配信記事が日本の新聞社に掲載され、この記事が名誉を毀損された者は、不法行為地として自らの住所地を管轄する裁判所に外国通信社を被告として提訴することができるかもしれない。しかし、たとえその訴訟で勝ったとしても、当該外国通信社の財産が日本国内に存在しなければ、被害者は満足を得ることはできない。
現代はネット全盛となったから、通信社の本体機能はすべて外国に存在し、日本の新聞社は、ネットで配信される記事をそのまま掲載するという事態は容易に想定しうる。この場合には、被害者は、外国通信社を訴えることができ、勝訴することができたとしても、日本で執行できなければ、外国通信社の存在する国に執行判決を求めなければならない。すべての被害者がこのルートを辿ることができるとは考えられないし、むしろ大部分の被害者は、実益がないことを予測して、日本の裁判所に提訴することすらあきらめてしまうであろう。たとえ名誉毀損記事を掲載した日本の新聞社に十分な賠償能力があっても、このような結果を甘受せよというのが配信サービスの抗弁である。
10 以上のように、配信サービスの抗弁は、理論的に誤りであると共に、これを認める実益はなく、さらには、これが認められるならば、配信記事によって被害を蒙った者に不当な負担を強いるだけでなく、そもそも賠償を受けられない事態を招来しかねない。
したがって、あらゆる観点から見て、この抗弁は認められないものである。
なお、加盟社は、「米国では配信サービスの抗弁が確立された判例法理となっている」(加盟社第1準備書面5頁)と述べるが、英米法の専門家である紙谷教授は、「採用している法域を見るかぎり、全国的に確立した法理とまでは断言できない」と述べている(紙谷雅子「名誉毀損と配信サービスの抗弁」法律時報69巻7号90頁、94頁)。いずれにせよ同教授が述べるとおり、米国における配信サービスの抗弁は、「名誉毀損を繰り返すと、善意であっても、厳格責任が課せられるという伝統的なコモン・ローのルールの存在なしには理解しえないもの」(同所)なのであり、法系も法文化も異なる日本にこの抗弁をそのまま移植できるものではないことを最後に付言する。
最高裁平成7年(オ)第14221号同14年1月29日第三小法廷判決
-ロス疑惑共同通信事件-(最高裁民集56巻1号185頁、判例時報1778号28頁、判例タイムズ1086号96頁、別冊ジュリストメディア判例百選192頁)
判示事項:通信社から配信を受けた記事をそのまま掲載した新聞社にその内容を真実と信ずるについて相当の理由があるとはいえないとされた事例。
裁判要旨:新聞社が通信社から配信を受けて自己の発行する新聞紙にそのまま掲載した記事が私人の犯罪行為やスキャンダルないしこれに関連する事実を内容とするものである場合には,当該記事が取材のための人的物的体制が整備され,一般的にはその報道内容に一定の信頼性を有しているとされる通信社から配信された記事に基づくものであるとの一事をもって,当該新聞社に同事実を真実と信ずるについて相当の理由があったものとはいえない。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/FBD8E85657C78BFC49256BF200267997.pdf
主文:
原判決中被上告人らに関する部分を破棄する。
前項の部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由:
上告代理人弘中惇一郎の上告理由について
1 本件は,通信社である被上告補助参加人が被上告人らに配信し,被上告人らの発行する各新聞紙に掲載された記事が上告人の名誉を毀損するものであるとして,上告人が被上告人らに対して不法行為に基づく損害賠償を請求する訴訟である。原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 被上告補助参加人は,昭和20年に設立され,平成5年9月現在,地方新聞,日本放送協会,スポーツ新聞など全国の報道機関62社を社員(加盟社)とする社団法人である。
被上告補助参加人は,東京に本社を置き,札幌市,仙台市,名古屋市,大阪市及び福岡市に支社を,各府県庁所在地など48都市と海外38都市に支局を設置して,国内及び国外のニュースを取材し,作成した記事を加盟社並びに記事配信契約を締結した新聞社及び民間放送局等に提供する業務を行っている我が国の代表的な通信社である。東京本社には政治,経済,社会,外信,文化,写真等の部があり,国会,中央官庁,裁判所,経済団体等に設けられた記者クラブを拠点に取材活動を行っている。
(2) 被上告人株式会社デイリースポーツ社は,日刊紙「デイリースポーツ」を,同株式会社日刊スポーツ新聞社は,日刊紙「日刊スポーツ」を発行し,販売する新聞社である。
被上告人らは,被上告補助参加人との間で,被上告補助参加人が作成した記事の提供を受ける契約を締結している。同契約には,① 被上告人らは,被上告補助参加人から提供を受けたニュースを新聞紙面への掲載以外の目的に使用せず,新聞紙面に掲載するに当たっては,同ニュースの内容をゆがめたり,故意に主観を交えたり,わい曲して編集するなどのことを一切行わない,② 被上告人らは,原則として,ニュースごとに被上告補助参加人の配信記事であることを明記する旨の定めがある。被上告人らは,いずれも警視庁記者クラブに所属していないため,警視庁当局の情報については,同クラブに所属している被上告補助参加人から配信された記事を原則としてそのまま新聞紙に掲載することによって報道している。被上告人らが被上告補助参加人から配信された記事について裏付け取材をせずにそのまま新聞紙に掲載する理由は,同配信記事自体を信頼していること,被上告人らが裏付け取材をするだけの人的能力に乏しいこと,同配信記事の取材源に配信を受けた各社の裏付け取材が殺到すると,取材源に迷惑を掛け,配信を受けた各社と被上告補助参加人との信頼関係及び被上告補助参加人と取材源との信頼関係が破壊されることになることなどにある。
(3) 上告人の妻Bは,昭和56年8月に米国ロス・アンジェルス市で殴打され負傷し(以下「殴打事件」という。),同年11月に同市で銃撃され,その後死亡した(以下,殴打事件と上記銃撃事件を併せて「ロス疑惑」という。)。被上告補助参加人は,週刊文春誌が「疑惑の銃弾」と題するロス疑惑に関する特集記事の連載を開始したことを契機に,昭和59年1月ころからロス疑惑や上告人に関するその他の事件についての取材を開始した。
上告人は,昭和60年9月11日,殴打事件に関し,殺人未遂事件の被疑者として警視庁に逮捕され,その後勾留されていた。
(4) 被上告補助参加人は,昭和60年9月17日,被上告人らに対し,「A,大麻草を自宅に隠す。元の妻が目撃証言」との標題を付した次の内容の記事(以下「本件配信記事」という。)を配信した。本件配信記事には,次の①ないし⑥の記載がある。① 殴打事件で逮捕された上告人と共犯のCが大麻パーティーで結び付いたことが明らかになったが,警視庁特捜本部は,上告人がかなり以前から女性と知り合うきっかけに大麻を使用していたり,自宅に大麻を隠し持っていた事実を関係者証言などから突き止めた。② 上告人の乱脈な生活ぶりを知る手掛かりとして,特捜本部がこうした証言を重視している。③ 上告人の大麻所持について証言したのは,殴打事件の4年前の昭和52年当時上告人と生活していた2番目の妻Dらであり,上告人とDが同53年2月ころ別居状態になる直前,Dが,台所の冷蔵庫を開けて,青色のビニール包みの中に両手いっぱいくらいの茶色の大麻草が隠してあったことを発見し,これを上告人に問いただすと,上告人が大麻草であることを認め,「これは高く売れるんだ。もし警察に見付かりそうになったトイレの水と一緒に流せばいい。」と指示した。④ 特捜本部は,上告人が昭和51年ころから毎年7回から11回,ハワイやロス・アンジェルスに渡航していた事実をつかんでおり,上告人が米国で手に入れた大麻を日本に持ち帰った可能性があると見ている。⑤ 上告人が自宅に大麻を持っていた昭和52年は,ロス・アンジェルスで変死体で発見されたEが前夫と別居して上告人と親しくなった時期である。⑥ 特捜本部の調べに対し,Cは,上告人と知り合ったのが昭和56年5月に都内のホテルで内密に開かれた大麻パーティーだったことを自供し,ロス・アンジェルス時代から上告人の周辺にいた関係者らも,上告人が大麻を持っていたことをほのめかしている。
(5) 被上告人デイリースポーツ社は,昭和60年9月18日付けのデイリースポーツ紙に,「A自宅に大麻草隠す」,「二番目の妻目撃証言」,「女性と知り合う小道具。米国で入手。現行犯しか適用できず」と見出しを付して,本件配信記事をそのまま掲載した。
被上告人日刊スポーツ新聞社は,昭和60年9月18日付けの日刊スポーツ紙に,「大麻漬けA」,「自宅の冷蔵庫に隠していた(52ころ)」,「2番目の妻が証言」等と見出しを付して,本件配信記事のうち上記⑤以外の部分を,順序と表現を若干変更した上で掲載した。
なお,被上告人らは,上記各記事(以下「本件各記事」という。)の掲載に当たり,被上告補助参加人からの配信に基づく記事である旨の表示をしなかった。
(6) 本件配信記事及び本件各記事は,上告人が昭和52年末から同53年初めにかけて,自宅の冷蔵庫内に所持,使用が禁止された多量の大麻草を隠し持っていたという犯罪事実を指摘し,かつ,その後も上告人が大麻の所持,使用に深くかかわっていたこと,ひいては,犯罪者的悪性を有する者であることを読者に印象付ける内容のものであり,上告人の社会的評価を低下させ,その名誉を毀損する。
(7) 本件配信記事及び本件各記事は,その内容が公共の利害に関する事実に係り,その配信及び記事掲載は専ら公益を図る目的に出たものであるが,本件配信記事に摘示された上告人の大麻所持の事実が真実であることの証明はないし,被上告補助参加人において,同事実を真実と信ずるについて相当の理由があったとはいえない。
(8) 被上告人らは,被上告補助参加人が昭和59年1月以降,ロス疑惑について,捜査当局や関係者に対して精力的な取材活動をし,多くの記事を配信していたことから,本件配信記事も捜査当局に取材した結果得た情報によるものであると受け止めていた。
2 原審は,次のように判断して,被上告人らには名誉毀損による不法行為が成立しないとし,上告人の請求を棄却した。
被上告補助参加人は,多数の報道機関が加盟する我が国の代表的な通信社であり,人的物的に取材体制も整備され,その配信記事の信頼性は高く評価され,その内容の正確性については被上告補助参加人が専ら責任を負い,記事の配信を受ける報道機関は裏付け取材を要しないものとする前提の下に報道体制が組み立てられている。このような報道体制には相当の合理性が認められるから,一般的にいって,被上告補助参加人からの配信記事について,被上告人らが真実であると信頼することについては,相当の理由がある。そして,被上告補助参加人は,ロス疑惑について精力的な取材活動を行い,多くの記事を配信し,本件配信記事が出る前にも上告人と大麻との関係については,数多くの報道がされており,警察も関心を持って捜査に当たっていて,本件配信記事の内容を真実と信ずることを妨げるような特段の状況があったとは認められないから,被上告人らにおいて本件配信記事が真実であると信頼したことは合理的である。したがって,被上告人らが発行する各新聞紙に掲載された本件配信記事に基づく本件各記事については,被上告人らにおいてそこに摘示された事実が真実であると信ずるについて相当の理由がある。
3 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。民事上の不法行為たる名誉毀損については,その行為が公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図るものである場合には,摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があれば,同行為には違法性がなく,また,真実であることの証明がなくても,行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは,同行為には故意又は過失がなく,不法行為は成立しないとするのが当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)。
ところが,本件各記事は,被上告補助参加人が配信した記事を,被上告人らにおいて裏付け取材をすることなく,そのまま紙面に掲載したものである。そうすると,このような事情のみで,他に特段の事情もないのに,直ちに被上告人らに上記相当の理由があるといい得るかについて検討すべきところ,今日までの我が国の現状に照らすと,少なくとも,本件配信記事のように,社会の関心と興味をひく私人の犯罪行為やスキャンダルないしこれに関連する事実を内容とする分野における報道については,通信社からの配信記事を含めて,報道が加熱する余り,取材に慎重さを欠いた真実でない内容の報道がまま見られるのであって,取材のための人的物的体制が整備され,一般的にはその報道内容に一定の信頼性を有しているとされる通信社からの配信記事であっても,我が国においては当該配信記事に摘示された事実の真実性について高い信頼性が確立しているということはできないのである。【要旨】したがって,現時点においては,新聞社が通信社から配信を受けて自己の発行する新聞紙に掲載した記事が上記のような報道分野のものであり,これが他人の名誉を毀損する内容を有するものである場合には,当該掲載記事が上記のような通信社から配信された記事に基づくものであるとの一事をもってしては,記事を掲載した新聞社が当該配信記事に摘示された事実に確実な資料,根拠があるものと受け止め,同事実を真実と信じたことに無理からぬものがあるとまではいえないのであって,当該新聞社に同事実を真実と信ずるについて相当の理由があるとは認められないというべきである。
仮に,その他の報道分野の記事については,いわゆる配信サービスの抗弁,すなわち,報道機関が定評ある通信社から配信された記事を実質的な変更を加えずに掲載した場合に,その掲載記事が他人の名誉を毀損するものであったとしても,配信記事の文面上一見してその内容が真実でないと分かる場合や掲載紙自身が誤報であることを知っている等の事情がある場合を除き,当該他人に対する損害賠償義務を負わないとする法理を採用し得る余地があるとしても,私人の犯罪行為等に関する報道分野における記事については,そのような法理を認め得るための,配信記事の信頼性に関する定評という一つの重要な前提が欠けているといわなければならない。
なお,通信社から配信を受けた記事が私人の犯罪行為等に関する報道分野におけるものである場合にも,その事情のいかんによっては,その配信記事に基づく記事を掲載した新聞社が名誉毀損による損害賠償義務を免れ得る余地があるとしても,被上告補助参加人において本件配信記事に摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由がなく,かつ,被上告人らの不法行為の否定につながる他の特段の事情も存しない本件においては,被上告人らが本件配信記事に基づいて本件各記事を掲載し上告人の名誉を毀損したことについて,損害賠償義務を免れることはできない。
4 そうすると,被上告人らに損害賠償義務がないとした原審の判断には,不法行為に関する法令の解釈適用を誤った違法があり,この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり,原判決中被上告人らに関する部分は破棄を免れない。そして,被上告人らの上告人に対する各損害賠償の額について更に審理判断させるため,上記部分につき本件を原審に差し戻すべきである。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 千種秀夫 裁判官 奥田昌道 裁判官 濱田邦夫)
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コメント
大変勉強になりました。
確かにごもっともです。
ありがとうございました。
投稿: ロハスメディア・川口 | 2007年9月19日 (水) 13時19分
管理人様
配信サービスの抗弁についてはやっと理解できました。しかし配信元の共同通信社の記事も、名誉毀損という点では該当しないのでしょうか?また、たとえば各加盟社がクレジットを付けていた場合、名誉毀損については各社同列程度になるのか、それでも共同通信社はその時点での警察発表の取材に基づいたものであるからという理由で、退けることができるのでしょうか?
医学でもそうですが、引用文献は必ず記載します。しない場合は、同じことを同程度の信頼性で基礎実験をして、検証をした上でないと次の推論には進んではいけないと理解しているのですが、そのようなことと同じことと考えました。
投稿: 雪の夜道 | 2007年9月19日 (水) 13時31分
ロハスメディカル川口様
コメント有り難うございました。法律の専門家でない私が出すぎたことをお知らせしてしまったかもしれません。しかし、法律でも名誉毀損については、一般の方々や法律を職業としていない方々よりは、それなりの勉強をさせていただきました。素人なりの解釈という点でお許しください。
投稿: 紫色の顔の友達を助けたい | 2007年9月19日 (水) 21時43分
雪の夜道先生
コメント有り難うございました。「配信サービスの抗弁」が本邦で認められないことは、少し専門書を開いたり、インターネットで調べるだけでも理解できるものだと思います。今日の朝刊で、「配信サービスの抗弁」とう文言を使用した新聞は、東京新聞だけでした。同新聞には実力のある記者さんがいるはずだと、以前から思っています。
そして、勿論、共同通信事態に対する判決は不服です。警察発表の取材さえしていればよいかどうかは、争点ですが、警察発表以上の記事を書いていますし、警察発表は科学的でないことがらが山積みありますので、真実相当性はないと考えています。
引用文献を必ず明記するのは、医学の世界では当たり前です。配信各社が、クレジットを明記すべきことは、共同通信の定款施行細則で、「配信記事には配信元の表記を付ける」と規定されていますので、3地方紙が行ったことは、自業自得のはずです。
投稿: 紫色の顔の友達を助けたい | 2007年9月19日 (水) 21時50分
非常に勉強になりました。
本当は、共同通信社も敗訴だと思うんですけどねー。
しかし、マスコミのいい訳には、呆れますね。
3社は自業自得です。
投稿: Dr. I | 2007年9月19日 (水) 23時05分
Dr.I先生コメントありがとうございました。
喜田村先生の準備書面と、最高裁判決(これも喜田村先生のお仕事の一つですが)を熟読すれば、「配信サービスの抗弁」が否定されることが、理解されます。共同通信の加盟社は平成14年1月29日判決をうけてクレジットを明記すれば、解決する簡単なことができないようです。
共同に対する判決は勿論容認できません。続きます。
投稿: 紫色の顔の友達を助けたい | 2007年9月19日 (水) 23時41分