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2008年12月

2008年12月25日 (木)

連載第三回、第四回 「リヴァイアサンとの闘争―正当な治療行為で冤罪にならないために」

「第三回 事情聴取-「取調べ」は通常の会話ではない」

JAMIC JOURNAL 2008年12月号 に掲載されました。

「第四回 事情聴取-医師の”良識“が狙われる」

 JAMIC JOURNAL 2009年 1月号 に掲載されました。

003  事情聴取-「取調べ」は通常の会話ではない

敵陣に一人で入る 

日本では、捜査機関の取調べの際に弁護士の立会いが認められません。知り合いのアメリカ人にこの話をしたところ、仰天して「信じられない」「野蛮な国だ」という反応でした。アメリカでは、逮捕されて拘束下にある被疑者に対してですら、「あなたは弁護士の立会いを求める権利がある」と通告される「ミランダルール」が確立されていますが、日本にはこれに対応する規則はなく、嫌疑をかけられたら最後。警察署も検察庁も数十人から数百人の全て敵だけの城であり、そんな取調室には、一人で入らなくてはなりません。

確実な記憶だけを話す 

取調べでは、確実な記憶だけを話します。絶対に、わざと嘘をついてはいけません。調べは何十回も続くので、「虚偽」は必ず矛盾が生じるでしょう。もちろん、「知っていること」や「確実な記憶がある事実」を隠す必要はありません。しかし、「事実」とは「古い出来事」です。元々、見聞きしていないこと、忘れてしまったこと、記憶にないことがたくさんあります。これに対しては、堂々と「覚えていません。知りません」と答えるべきです。しかし、これは実に難しいことです。

 医学的知識に自信がない捜査官は、人海戦術で事件には全く関係ない「日常の飲酒量」「配偶者の元勤務先」といった些細なことから最近の医学論文まで、量的には徹底的に裏をとり、情報収集します。そして、大量の情報の断片を武器に「こっちは全部わかっているんだぞ」と強圧的な態度をとります。「基礎のない無際限の活動、活動的な無知ほどおそろしいものはない」(ゲーテ)。捜査官は、わかったつもりでいるかも知れません。しかし、「真実とは、複雑なもの。微妙なもの」です。捜査官が「文献にこう書いてある」「一緒に現場にいた別人がこういっているぞ」などと言おうとも「知らないものは知らない」。実際にも、捜査官の言い分に過ぎず、デタラメだったこともありました。

「取調べ」は通常の会話ではない 

取調べでは、何十回も呼び出されて、同じことを何度も繰り返して聞かれます。通常の会話なら、繰り返し同じことを何回も聞かれると、「わかってもらうために何か別の新しいことを答えなくてはならない」と思ってしまいますが、その必要は全くありません。新たに呼び出されて、前回と同じことを聞かれても、記憶に忠実に同じことを何度でも答えればよく、新しい説明をする必要はないのです。取調べは通常の会話ではありません。捜査官は自分がわからないこと、自分が創作したストーリーにそぐわない供述を聞くと、怒鳴ってその「ストーリー」を押し付けようとします。相手が激しく怒鳴っているのは困っている証拠ですから、醒めた態度で黙って雷嵐が過ぎるのを待てばよいのです。しかし、私達市民はゴルゴ13のようにはなれません。経験したことのない居心地の悪さに耐え切れなくなったり、捜査官との良好な人間関係を築こうと思ったりして、つい相手に話を合わせてしまいたくなるものです。

捜査官と人間関係を築くな! アンビバレンツの幻想を断ち切れ! 

何十回も顔を合わせる捜査官との関係は、敵対的でありつつどこかで共同的な感覚にもなってきます。この幻想は簡単に断ち切れません。「市民・医師」は警察、検察が社会の秩序安寧を守る組織と信じています。しかし、その社会的に“正しい”捜査機関から無実の罪を問われ、逮捕・勾留までされると、その点についてだけは、“間違い”だと思わざるを得ない。そこで、組織としての警察、検察を否定できず、「わかってもらえる」という幻想のもとに、医学的説明、科学的弁明、釈明に心を尽すことになります。しかし、捜査官はそんな面倒な話は聞きたくない。被疑者の罪を確信しています。どれほど立派な医学的科学的、根拠のある説明、釈明も、この「罪の確信」を揺るがすことはできません。彼らにとって、被疑者はすでに有罪なのです。

004  事情聴取--医師の“良識”が狙われる

優等生と「道徳の時間」 

「罪を憎んで人を憎まず」。捜査官には、被疑者を「本当は能力のあるよい人間(医師)なんだ」と評価する傾向があります。取り調べ中に怒鳴り上げるのは、「被疑者を憎んでいるのではなく、本当は良い人間でありながら誤りを犯しているのに認めないから」であり、警察や検察という道徳的権威の前で「被疑者は素直で従順な態度であれ」といった倫理的規範に訴えます。これは、学校で教師が生徒を叱責する論理と似ています。教師の問いかけに素直に従ってきた優等生の「良識」が権威に逆らうことを邪魔します。「古人は神の前に懺悔した。今人は社会の前に懺悔する。何びとも何かに懺悔せずには娑婆苦に堪えることができない(芥川龍之介『侏儒の言葉』)」。

「担当した患者が目の前で亡くなった。その責任をとるのは、人として常識だろう」などと言われればそんな心境になってしまい、誘導されて捜査官のストーリーに乗ってしまう。これが、常識的・一般的な問いかけから「捜査官製事実」を導く、医療者から簡単に「自白調書」を作成する手法です。しかし、思い出してください。現実に起きたことはそんなに単純ではないはず。微妙で複雑な事実を知っているのは、捜査官でなく「医療行為をした」あなた自身です。実体験について供述する取り調べで、一般的な問いかけには答える必要はありません。そんなときは、答えずに質問の前提を確認し、限定する。抽象的な問いは具体的に聞き直す。相手の質問をよく聞いて、聞き返す。そのとき、何を見て、何を聞いて、何をしたか、5W1Hを大切にして確実な事実だけを簡潔に話す。嘘は言わない。わからないなら「わからない」と答える。知らないことは「知らない」でよい。言えないことは言わなくてよい。黙っていてもよい。黙秘権・供述拒否権・自己負罪拒否は、憲法第38条で認められています。

医療者の論理と捜査官の心理 

「ちゃんと話せば、医学的科学的論理を理解してもらえれば、わかってもらえる」との常識的な考え方が取り調べで通用すると思うのは大間違いです。相手は端からわかろうとはしていないので、仮に正確な知識を理路整然と話したとしても、屁理屈として取り扱われます。すでに、「有罪推定」を前提とする捜査官の職業的使命感や表面的な道徳的正義感が、事実の確定よりも先に駆け出しているからです。熱意や正義感を動機づけるものは基本的に主観的思い込みであって、客観的、合理的判断ではありません。「思い込み」には、客観的判断とのズレが必ず生じます。しかし、客観的判断で、感情の独走を抑制できるほど人は器用ではありません。「証明してやろうなどと意気込まずに、考えるままに率直に述べるのが常によいやり方である。なぜなら、私たちの持ち出す証明はことごとく、私たちの意見の変種に過ぎないのだから。そして、反対意見の持ち主は、そのどちらにも耳を傾けはしない。私がよく知っていることは、自分だけのために知っていることである。口に出した言葉が物ごとを促進することは稀で、大抵は、反論、停止、停滞を惹起する(ゲーテ『箴言と省察』)」。

 フランチャイズの「医学」ではなく、ビジターの「捜査」のスタジアムで、「捜査官との医学理論合戦」に完勝することは意味がありません。同じことを繰り返し聞いてきたとしても、色々な方法で説明するのではなく、同じことを100回でも200回でも繰り返し言えばよいのです。

最終的最重要事項「調書」づくり

 「供述した事実」や「話をした事実」は重要ではありますが、録音、録画、記録はされません。「話」は最終的には残りません。残るのは「書証」です。裁判上の証拠は、「実際に何を供述したか」ではなく、「調書に何が書かれているか」です。安易な署名と押印が人生を変えてしまわないように、いよいよ次回から「調書」づくりについて述べます。

「第五回 供述調書作成-「自分の調書」を書かせる」予告

005  供述調書作成-「自分の調書」を書かせる

刑事事件の天王山は「供述調書作成段階」

「供述録取」とは「捜査官の作文書き」 

「『告白語り』形式」から唐突な「『問答』形式」への変換に注意 

「訂正」が最大の山 

「リヴァイアサン」に対峙する“唯一の武器”は署名押印しないこと

第一回  冤罪事件経験者からの伝言

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/jamic-journal-2.html

第二回  医療事故冤罪-業務上過失致死罪における過失の有無

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/jamic-journal-0.html

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2008年12月24日 (水)

控訴審 弁論要旨概要

弁論要旨(全91頁)

 (全文は詳細で水ももらさない弁論でですが、心臓外科の専門知識や法律専門知識(特に刑事訴訟法)の基礎がないと、理解を超えそうな部分は相当量を削除ないし省略して大項目のみとした箇所があります。)

まず、「第1」と「第5」のみを閲覧してみてください。

第1 序

1 判決にあたっての要望

   原審の弁論において、被告人・弁護人は、裁判所に対し、判決にあたっては、

・ 事案の真相を明らかにすべきこと

   ・ 医学水準に立脚した認定を行うべきこと

  の2点を要望した。

   今、原判決から3年余を経て、事実審の審理を終えるにあたり、被告人・弁護人は、再びこの2点を裁判所に要望しておきたい。

   私たちは、原審以来、「本件手術の日に何が起こったか」という事実を再構築し、その上に立って、「患者はなぜ死亡したのか」「患者の死亡に責任を負うのは誰か」を明らかにしてきた。

   その結果、私たちは、本件が検察官の主張するような被告人の過失に基づくものではないことを疑問の余地なく証明した。原審も、これを真実として受け入れ、被告人に対して無罪を言い渡した。

当審においても、私たちの姿勢には変わりがない。医学水準に則って事実を探求すれば、必ず真実が明らかになるとの確信にはいささかの揺らぎもない。これまで私たちが明らかにした事実は、以下に述べるとおりであり、裁判の結論としては、原判決の維持以外にはありえないものである。

2 検察官の態度

   これに対し、本件における検察官の主張、立証は、遺憾ながら、これとは相反するものであった。

   当審の審理で焦点となった患者の死亡原因が何であるかについて、検察官は、その主張の裏付けとなる医学論文、専門書を遂に提出しなかった。証拠とされたのは、2人の医師の供述だけであるが、1人は、本件で問題とされた陰圧吸引脱血を用いた手術をした経験がなく、もう1人は心臓外科の専門医とは言えない一般外科医で人工心肺を操作したことのない者であった。さらに両者は、本件同様の小児心臓外科領域の胸骨部分縦切開の症例を経験したこともなかった。これらの者の証言は、医学的な裏付けがなく、独断あるいは狭い経験に基づき、「~と思う」というに過ぎないものであった(検察官弁論要旨〔以下同じ〕15頁)。

   このため、検察官弁論要旨も、「~がないと断じることはできない」(12頁)、「~とも考えられる」(13頁)、「場合もありうる」(16頁)、「可能性もある」(16頁、21頁)、「可能性もないとは言えない」(18頁)と、単なる可能性の提示ないし推論に留まる表現を多数含むものとなっている。このような態度は、証明責任を検察官が負うという刑事裁判の根本原理を忘れたものというべきであると共に、医学的水準に基づく事実の確定を放棄したものと批判されてもやむを得ないものである。

   「遺憾」と評さざるを得ない所以である。

   以下、本件の事実を確定しながら、被告人が無罪であることを明らかにする。


第2 訴訟法的問題~無罪の原判決を破棄する証拠の不存在

1 フィルター閉塞の予見可能性に関する原判決の認定

   原判決は、

「被告人につき、本件患者に対する業務上過失致死罪に係る過失責任を問うためには、その前提として、本件手術の際に用いられた人工心肺回路のうちの陰圧吸引回路にガスフィルターが設置されており、人工心肺を操作する際には、陰圧吸引回路内に発生した水滴等がガスフィルターに吸着し、ガスフィルターが閉塞することにより、壁吸引の吸引力が人工心肺回路内に伝わらなくなって、回路内が陽圧の状態になり、脱血不能の状態に立ち至るという一連の機序につき、被告人において予見することが可能であったと認められることが必要である」

  とした(原判決37頁)。

その上で、原判決は被告人の供述を検討し、被告人が本件事故当時、

「フィルターが取り付けられていたこと自体は知っていたものの、そのフィルターの性質についての認識は全くなく、したがって、手術中に人工心肺回路内に結露が生じているのを見た経験はあっても、そのような状況でフィルター閉塞の危険性と結び付けて考えたことがなかったことは明らかである」

とした(原判決39頁)。

   進んで、原判決は、被告人以外の心研関係者(E技士、S技士、O医師、M医師、B博士、T技士、N技士)や、その余の医療関係者(N医師、N医師)らの供述を詳細に検討し、その結果、

「本件事故当時の臨床医療の一般水準という観点から、N医師やN医師の各供述を検討してみても、本件事故当時、被告人において、本件事故で問題となっているガスフィルター閉塞の危険性を予見し得たかどうかについては、これを積極に解することは困難であるというほかない」

と判断した(原判決44頁)。特に、原判決は、この結論を出すにあたって、検察側証人である南淵医師の証言を詳細に分析し、その真意を確認した上で、上記の結論を導いた。

2 地裁の無罪判決を控訴審で破棄することに関する最高裁判決

  最高裁1956年7月18日大法廷判決(刑集10巻7号1147頁)は、

第一審判決が被告人の犯罪事実の存在を確定せず無罪を言い渡した場合に、控訴裁判所が何ら事実の取調をすることなく、第一審判決を破棄し、訴訟記録並びに第一審裁判所において取り調べた証拠のみによって、直ちに被告事件について犯罪事実の存在を確定し有罪の判決をすることは、刑訴第400条但書の許さないところである

と判示した。

  さらに、最高裁1959年5月22日第二小法廷判決(刑集13巻5号773頁)は、

第一審判決が起訴にかかる第一の(一)ないし(五)の各収賄の公訴事実中(三)の所為につき犯罪の証明がないとして被告人に対し無罪を言い渡した場合に、控訴裁判所が右判決を破棄し、右(三)の所為につき被告人の職務権限について事実の取調をしただけで、事件の核心をなす金員の授受自体についてなんら事実の取調を行うことなく、訴訟記録及び第一審で取り調べた証拠のみによって、犯罪事実の存在を確定し、有罪の判決をすることは、刑訴第400条但書の許さないところである

と判示した。

このように、最高裁は、控訴審が、一審の無罪判決を破棄して有罪判決を下す場合には、控訴審において独自の証拠調べをしなければならないと判示しているのであり、特に1959年判決は、有罪判決を下すために控訴審は、「事件の核心」について事実の取調べをしなければならないことを命じている。

しかも、これについては、形式的に新規証拠の取調べを行ったことに藉口して全く新たな事実認定をすることは許されないところである。1959年最高裁判決は、控訴審がこのような取調べしか行っていないときに、一審判決を破棄することは許されないと判示しているのである(「最高裁判所判例解説 刑事編 昭和34年度」192頁、特に194~195頁参照)。

3 フィルター閉塞の予見可能性に関する当審の証拠

   上記のとおり、原判決は被告人にフィルター閉塞の予見可能性がないことを理由として無罪判決を下したのであるから、これを破棄するためには、「事件の核心」である、この予見可能性について新たな証拠調べを行い、これによってフィルター閉塞の予見可能性が認められることが必要である。

   しかし、当審においてこれについて調べられた証拠は、原審でも証言した南淵医師の証言だけである。しかも、南淵医師は、本件手術とは何ら関係していないのであり、その証言は、心臓外科手術の経験を有する医師(但し、陰圧吸引補助脱血法を用いた経験はない)として、そのような医師であれば通常有するであろう一般的認識を述べるに留まるものであるから、原審段階と当審段階でその供述が異なるということは凡そ考えられない(現に、以下に述べるとおり、当審において南淵医師は、フィルター閉塞を予見しえたかの点について、原審での供述をすべて再確認している)。

したがって、南淵医師の供述は、フィルター閉塞の予見可能性という原判決の核心を成す論点についての新たな証拠と見ることはできない。このような場合に、無罪の原判決を破棄して有罪にすることができないのは、上に引用した最高裁判決が命じるところである。

   実際の証言をみても、南淵医師は、地裁判決の該当部分を読み上げ、今の認識も変わりがないかと質問されたのに対し、全てにおいて「今もそのとおりである」旨を述べている(南淵・第5回・68~70頁)のであり、新たな証拠と評価されるべきものではない。

   なお、同医師は、これと並んで、医師としてはフィルターが詰まることを認識すべきであるという、「べき」論を述べているが(南淵・第2回・55頁)、そのように認識すべき根拠としては、「そのフィルターが何を除去する目的であろうが・・・どういった形状であろうが、フィルターがそこにあること自体、それがしばらく交換されていないものなのか、あるいは出したばかりの新品であろうが、関係なく、新品だって不具合の製品もあるわけで、そういうことからしてフィルターがあること自体において、そのフィルターが目詰まりをする可能性があるということは認識すべきだったんではないかと思います」(南淵・第2回・56頁)、「フィルターがそこにあるということはフィルターが何らかの理由で詰まって、従来の、そこの、要するに吸引脱血ですから空気ですね、空気の通りを妨げるかもしれないということは当然想定すべきだった」(南淵・第2回・60頁)というものに過ぎない。

   このように、南淵医師が述べているのは、フィルターというものが存在する以上、それが詰まることは当然に想定しうるという、ある意味では当たり前のことを述べているに過ぎない。水蒸気がフィルターを通過したら閉塞するのか、水滴がフィルターを通過したら閉塞するのか、それを予見できたのかという、原判決が無罪判決の根拠としたポイントについては何も述べていないに等しいものである。これらの点については、上に述べたとおり、地裁における「詰まるのか詰まらないのか、どの程度で、じゃあ、詰まるのかということに関しての、実際の予測に関しては、事前には全く分からない、想像の域を出ない、つまり、詰まったとしても不思議はないし、いや、水蒸気、がんがん流れていきましたけど、フィルターは全く詰まらなかったですよというふうな事態が起こったとしても、ああ、それはそういうものなのかなというふうに考えるであろう」(南淵・原審第45回・18頁)等の供述を、南淵医師はそのまま維持しているのである。

そして、南淵医師自身も、自らの地裁での証言は「全く今日と同じ趣旨で言ったと思います」(南淵・第2回・58頁)と述べているとおり、フィルター閉塞の予見可能性に関しては、同医師の地裁証言と高裁証言は同一のものであることを認めている。

4 小括

以上のとおり、フィルター閉塞の予見可能性について、原判決はこれを否定して被告人を無罪としたものであるところ、当審において、この核心部分に関する新規の証拠は提出されていない。

南淵医師の証言は、同医師が自ら認めるとおり、地裁での証言と同一である。これに依拠して被告人にフィルター閉塞の予見可能性を認めることは、実質的に、事後審査審である控訴裁判所が、同一の証拠について別異の解釈を施すことと同様であり、これが禁止されていることは、上に引用した最高裁判決から明らかである。

よって、その余の点について論ずるまでもなく、原判決が維持されるべきである。


第3 実体的問題 その1~患者の死亡原因

1 序

 詳細省略

2 死亡原因に関する弁護側の主張とその根拠

(1)      死亡原因の要旨

詳細省略

(2) 上大静脈症候群によって脳障害が生じること

 上大静脈症候群によって脳障害が生じることは、基本的な医学文献にも記載されており、複数の医師も指摘している。

すなわち、「セーフティテクニック 心臓手術アトラス」には、

脱血管の過剰挿入

上大静脈への脱血管過剰挿入は奇静脈や無名静脈の血流障害を惹起し、上半身からの静脈灌流を阻害するおそれがある。上大静脈圧を常にモニターしておけば圧の上昇がとらえられ、外科医に注意を喚起することができる。通常脱血管を少し動かすだけで血流障害は解除されるが、さもないと中枢神経がうっ血して脳障害を起こす危険性がある。

との記載がある(当審弁13・27頁)。

(3) 上大静脈症候群に気づかないことがあること(以下、一部詳細省略、項目のみ)

(4) 本件では上大静脈症候群が生じていたと考えられること

(5)      本件手術における脱血管の位置と上大静脈症候群の発生

(6) 検察官の批判はあたらないこと

ア 南淵医師

イ 藤崎医師

ウ MICSにおけるダイレクトカニュレーションの困難性

エ 術野担当医師の確認方法の問題点

オ 弁護側証人に対する検察官の批判

カ その他

キ 小括

以上のとおり、検察官の批判はいずれも失当である。そもそも医学の教科書に指摘されている事実を、小児の手術や小切開の手術経験が乏しい2名の外科医師が疑問視していること等から否定できるものでない。

3 検察官主張は成立しえないこと

4 下半身のうっ血症状の不存在

5 虚血は原因にならないこと

6 小括


第4 実体的問題 その2~フィルター閉塞の予見可能性

1 序

  本件回路に設置されていたフィルターが閉塞する可能性があることを予見しえたかについて、原判決は、心研の臨床工学技士及び医師(E,S,O,M,B,T,N各証人)の供述、それまで心研においてフィルターと水滴との関係について注意を喚起するような方策が講じられていなかったこと、心研以外の医療関係者の供述、さらには当時の日本全国の施設でフィルターを設置している割合などを詳細に検討したうえで、陰圧回路にこのフィルターを取り付けた人工心肺が危険で瑕疵のある構造のものであることを認識し、対処すべき注意義務が、佐藤医師にあったとはいえないとした。

  原判決は、このように、原審に現れた全ての証拠を的確に分析し、上記のような結論を導いたものであって、検討の方法もその結果も適正なものである。

  これに対し、検察官は、控訴審において、この点に関する新証拠と呼びうるものを何も提出していない。書証は水蒸気の液化に関する一般論でしかなく、陰圧吸引回路に設置されたフィルターを閉塞させる機序を述べるものではなく、ましてフィルター閉塞の予見可能性と結びつくものではない。この点に関する唯一の証人である南淵医師は、後に見るとおり、基本的に原審の供述をそのまま維持しているのであり、原判決の認定を覆すに足るものではない。

  したがって、実体面に踏み込んで考察した場合であっても、佐藤医師にフィルター閉塞の予見可能性が認められないのは当然である。

  以下、検察官弁論要旨に触れながら、原判決の認定が正しいことを明らかにする。

2 心研の臨床工学技士等がフィルター閉塞を予見していなかったこと

1) フィルター導入の経緯

2) 臨床工学技士の認識

3) 佐藤医師が臨床工学技士からフィルター閉塞の危険性を伝えられることはありえないこと

以上のように、本件回路におけるフィルターは臨床工学技士が設置を決めたものであり、その後も、臨床工学技士がその閉塞の可能性を認識することはなかった。

検察官は、「被告人は、心臓外科医師であり本件人工心肺装置の操作を行う立場にあったから、本件人工心肺装置の基本的構造や取り扱い上の注意について、少なくとも臨床工学技士との意見交換などを通じて知識の涵養を図り、その過程で本件フィルターについて尋ねるなどする必要があり、これを行っていれば、本件フィルターがガスフィルターであり、水滴を吸着して閉塞する可能性があることを容易に認識できたにもかかわらず、それらのことさえ怠っていた」(検察官弁論要旨29頁)と主張する。

しかし、上記のとおり臨床工学技士自身、本件フィルターが水滴で閉塞する可能性があるなどと考えていなかったのであるから、たとえ佐藤医師が臨床工学技士と陰圧吸引回路について話したとしても、これらの者が佐藤医師に本件フィルターが水滴で詰まる可能性があるなどと言うはずはない。さらに、陰圧吸引回路にフィルターが新たに設置されたとしても、そのことによって、人工心肺装置の操作に何らかの変化が生じるものでもないから、佐藤医師が臨床工学技士と話をする機会があったとしても、フィルターについて話が及ぶということ自体が考えにくいところである。

いずれにせよ、「被告人は、臨床工学技士から本件フィルター閉塞の可能性を学ぶことができた」とする検察官の立論は、臨床工学技士がそのような認識を有していないのであるから、前提を欠くものである。

3 陰圧吸引脱血の利用時間が短いためにフィルター閉塞の危険性を認識しなかったわけではないこと

1) 陰圧吸引脱血法が短時間しか利用しないものではないこと

(2)            仮に短時間の利用であっても、そのことのためにフィルターの閉塞の可能性がないものではない

3) 陰圧吸引脱血を、吸引ポンプ100回転、1時間半という利用をすることとフィルター閉塞の認識は結びつかない

4 陰圧吸引回路にフィルターを用いる施設は多数存在していた

1) 大阪大学の回路

2) 日本の施設のフィルター利用状況

大阪大学の回路図の影響もあってか、本件手術当時、陰圧吸引回路にフィルターを入れることは例外的なことでなかった。このことは、3学会が行った日本胸部外科学会認定施設・関連施設に対するアンケートで、約35%の施設がフィルター(但し、種類は不明である)を吸引ラインに入れていた(原審弁25・8頁)ことから明らかである。

3学会が「陰圧吸引補助ラインにはガスフィルターを使用せず、ウォータートラップを装着する」と勧告し、陰圧吸引回路中でのガスフィルターの使用を直ちに中止するよう求めたのも(原審弁25・25頁)、ガスフィルターの使用が相当広範囲で行われているという現実に対処するためである。

5 本件回路の構造によりフィルターが閉塞することは考えられていなかった

1) フィルターの位置

2) 同一構造の回路を用いた実験ではフィルターは閉塞していない

3) 3学会の実験

6 南淵医師の供述は、佐藤医師にフィルター閉塞の予見可能性があったと認識させるものではない

1) 回路組立てによってフィルターの危険性は認識できない

2) 南淵医師の供述は、フィルター閉塞を予見することが不可能であることを裏づけている

南淵医師は、原審において、

(フィルターの特性とかを考えてこういう事態になることが予測できるか?)「医学的知識を持って通常に考えて、絶対にこんなものは水を通さないというふうに、今日思うかもしれないけど、あしたは思わないかもしれないというふうなレベル」(南淵・原審第45回・30頁)

(結露によって詰まってしまうということは予測できたと思いますか?)「正直申し上げて、ないと思います」(南淵・原審第45回・31頁)

(落差脱血が効くのかどうか?)「どの程度の落差が機能するか、あるいは全くしないのか、これはだれにも予測つかない状況になる」(南淵・原審第45回・33頁)

(フィルターが詰まった後、どうなるか?)「正確に、あるいは常識として、必ず詰まるんだというふうな結論をみんなが持ったとは思いません。いや、結露して完全に閉塞して詰まったんだよというふうなことに対して、ああ、それはそうだね、当然そういうことが起こるだろうねというふうな認識はみんな持ったと思います」(南淵・原審第45回・33~34頁)

(水を通すかどうか?)「実際の予測に関しては、事前には全く分からない、想像の域を出ない、つまり、詰まったとしても不思議はないし、いや、水蒸気、がんがん流れていきましたけど、フィルターは全く詰まらなかったですよというふうな事態が起こったとしても、ああ、それはそういうものなのかなというふうに考えるであろう」(南淵・原審第46回・18頁)

と供述しているのであり、当審においても、これらの原審供述をすべて肯定している(南淵・第5回・68~70頁)。

結局、南淵医師の供述を素直に理解すれば、水蒸気や水滴がフィルターを通過するかどうかを事前に予測することはできなかったし、本件事故があったことを踏まえて振り返ってみれば、水滴によってフィルターが閉塞するとされても、それを奇異に感じることはないということに過ぎない。

   これをもって、佐藤医師がフィルター閉塞の可能性を認識しえたとすることができないことは明らかである。

   当然のことながら、南淵医師は、当審において、フィルター閉塞の認識可能性について新たな証言をしているわけではない。同医師は、陰圧吸引回路を利用した手術の経験がないのであるから、フィルター閉塞の認識可能性に関する証言は、単なる推測に留まるものである。その内容が地裁と高裁で変化することはありえないし、現に、証言を見ても実質的な変化はない。したがって、同医師の高裁証言の内容にわたって検討した場合であっても、佐藤医師の過失を基礎づける事実を認定できるものではない。

   なお、検察官は、南淵医師が、不測の事態に備えることこそが重要であるとして、当審第2回の48~49頁を引用する(検察官弁論要旨35頁)。当該箇所の南淵医師の供述をそのようにまとめられるかについては疑問があるが、「不測の事態に備えることこそが重要」というのが、どんな稀有の状況にも備えなければならないということを意味するのであれば、これは精神論ないし心構えの話であり、刑事事件における過失の存否の認定において依拠すべき原理ではない。これが認められるのであれば、すべての状況において過失が認められることとなるのである。

   検察官が引用した上記の箇所で南淵医師が述べているのは、「フィルターというのは詰まる可能性のあるものです。ということからすると、やはりそこの場所にフィルターがあるということ自体詰まる可能性を想定すべき」(南淵・第2回・55頁)というものであり、これは、裁判長が述べるとおり、「一般的」な話に過ぎない。

次いで、裁判長が、「水蒸気によって、水滴によってフィルターが詰まって陽圧化するという、そこら辺りは予想できたんでしょうか」と尋ねても、同医師は、「ガスフィルターは水蒸気によって詰まるかもしれないという認識は持つべきであったと思うわけです」「べき論から語るとそういったことになると思う」「問題の認識を当然持つべきであったと思います」「掃除機やあるいはエアコンなど家電製品にもあるフィルターというのは必ず目詰まりを起こすわけですね」「フィルターがあること自体において、そのフィルターが目詰まりをする可能性があるということは認識すべきだったんではないかと思います」(南淵・第2回・55~56頁)と、最後まで「フィルターは詰まる可能性があるという認識を持つべき」という「べき論」を述べ、「予想できたのか」という裁判長の質問に正面から答えようとしていない。

   フィルター閉塞の予見可能性について、検察官が唯一の証人として、原審に続いて、当審においても供述を求めた南淵医師がこのようにしか答えられないことこそ、「フィルターが水滴によって閉塞し陽圧化することは予想できなかった」ことの何よりの証左である。

7 小括

  以上のとおり、心研において、フィルター付近に水滴があるところを見た者もいなかったし、フィルターが水滴によって閉塞することを予見した者もいなかった。

  さらには、日本全体を見ても、フィルターの使用は決して例外的なものではなかった。

  このような状況において、当時の大学病院における医学水準として、フィルターが水滴によって閉塞する可能性を予見しえたということはありえないし、佐藤医師においてこれを予見すべきであったといえないことも明らかである。


第5 結論

   冒頭に述べたとおり、本件における検察官の主張、立証は、医学的水準に立脚した事実の解明にほど遠いものであった。

   検察官は、非科学的な東京女子医大の報告書に安易に立脚し、その論理と結論を無批判に受け入れた。このことは、学会で全く支持されることがなかった「吸引ポンプの回転数を上げたことが陽圧をもたらした」との結論、さらには物理学の初歩も弁えない「圧の(不)等式」が東京女子医大の報告書と検察官の冒頭陳述要旨だけに現れていることからも明白である(報告書〔甲17添付〕14頁、12頁、冒頭陳述要旨6~7頁)。

   医学の水準を無視し、それどころか自然科学の考え方すら無視するという非科学的な捜査、起訴によって、佐藤医師は、6年半以上にわたって被疑者、被告人の地位に止め置かれ、また、医師に対する業務上過失致死罪としては異例の逮捕までされ、90日間にわたって身柄拘束までされたのであり、家族を含めこれによる苦痛は厳しいものがある。検察官は、これについて真摯に反省すべきである。

   しかも、検察官による過誤による被害を受けたのは佐藤医師とその家族だけではない。事案の真相が明らかになることを望む患者家族と社会も、佐藤医師の無罪が確定すれば、本件手術の責任を誰が負うのかという点について何らの回答も与えられないこととなる。このような状態をもたらした検察官は、その捜査と公判について真剣に反省すべきである。

本件におけるこのような社会的意味合いとは別に、刑事裁判は、法と証拠のみによって判断されるべきである。貴裁判所が、本件に現れた全ての証拠を吟味すれば、そこから生まれる結論は一つしかない。

   佐藤医師は無罪である。

                                              以上

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一粒の麦:控訴審:最終陳述

2008年のクリスマスイブで私の刑事事件控訴審は結審しました。

結審とは、弁護側の最終弁論が終了したことを意味します。

一審では、一般的にこの最終弁論の後に被告人の陳述があります。

控訴審では基本的に被告人の陳述がありません。

しかし、当審裁判長は、被告人自身に検察側証人に対して、尋問することを提案されました。そのことから、結審に際して、被告人に対して陳述を求めることがあるかもしれないと推測して、準備をしました。

 結局、型のごとく、被告人の陳述は、なしとういことになりました。

ここに、幻の控訴審最終陳述を掲載します。

控訴審:最終陳述

2008年12月24日

 

はじめに、手術で亡くなりました、明香さんのご冥福をお祈りしたします。

患者さんが医療事故で亡くなったことは大変悲しいことです。

しかし、私たちは、地に落ちた一粒の麦[i]を実らせなくてはなりません。

心研の心臓外科医や日本の心臓外科専門学会と関係省庁、心臓外科医療機器の会社はこのような事故が二度と起こらないように、情報や知識を涵養し、原因を解明し主に3つの具体的な対処をしてきました。

   東京女子医大の人工心肺を用いた小児心臓外科手術では、全てに上大静脈圧のモニターを行うようになりました。

   私の陳述書にも紹介させていただきましたメドトロニック社では、先端が手術方法や各症例の特徴に対応するために、術野で、自由自在に先端の長さや角度を変えられる脱血管を発売しました。

   日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本人工臓器学会の作成した報告書をもとに、厚生労働省は、陰圧ラインにフィルターを装着しないことを勧告しました。

臨床医療における反省は、現場に従事する専門家が科学的に行うべきす。

しかし、非専門家の東京女子医大幹部が行ったことは、大学病院側の責任を逃れるためだけの内部報告書の作成、特定機能病院取り下げを回避するための裏工作、この事件を顧みずにおこなった報道による病院宣伝でした。

警察官や検察官の行ったことは、医学的、物理学的、工学的な背景、知識もなく、科学的な論理展開もないものです。

判決に当たりましては、この事故の真相が明らかになるようお願い申しあげます。


[i] 一粒の麦-新約聖書からとった都立西高校の「学友歌」に出てきます。オリジナルは「ヨハネ伝」「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてありなん。もし死なば果を結ぶべし。おのが生命を愛するものは、これを失い、この世にてその生命を憎むものは、これ保ちて、とこしえの生命に至るべし。」⇒西高学友歌「地に落ちよ一粒の麦、実れ我が命の枝に」

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2008年12月12日 (金)

100万円基準を500万円基準にー名誉毀損裁判 損害賠償額ー

今回の集英社と毎日新聞記者5人を被告として名誉毀損裁判で勝訴いたしましたが、その損害賠償金額が80万円と低い金額だったことに関して、m3.comほかのネット上で論じられています。

これは、以前から、裁判所の方でも認識されていたことで、専門雑誌(ジュリストなど)でも論文が発表されていました。これらを利用して、一般論や事例を用いて本件ではどの程度なのかを検討して準備書面として提出したのですが、判決にはあまり反映されなかったようです。議論と盛り上げるきっかけにもなると思いますので、以前フジテレビ訴訟での準備書面に手を加えたブログ「日本の名誉毀損損害賠償額算定学」http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-7046.html

に加えて今回の訴訟での準備書面における主張を掲載します。

特に、名誉毀損裁判の経験がある法曹界の方々からご意見をいただければと思います。

第5 損害賠償額について

原告は訴状において1000万円の損害賠償金と民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた。以下、損害賠償額について主張する。

1.名誉毀損裁判における慰謝料額の検討

 我が国において,名誉毀損をはじめ人格権侵害の損害賠償額,特に慰謝料額については,顕著に低額であることが指摘されてから久しい。現在から20年以上前に,「北方ジャーナル事件」最高裁大法廷1986年6月11日判決(民集40巻4号872頁,判例時報1193頁)において大橋裁判官は補足意見の結びに「わが国において名誉毀損裁判に対する損害賠償は,それが認容される場合においても,しばしば名目的な低額に失するとの非難を受けているのが実情と考えられるのであるが,これが本来表現の自由の保障の範囲外ともいうべき言論の横行を許す結果となっているのであって,この点は官権者の深く思いを致すべきところと」と判示されている。

 稀な例外を除けば,せいぜい数十万円から100万円程度にとどまってきた名誉毀損に対する従来の損害賠償の「相場」は,近時の高度情報化した我が国の社会において,情報,名誉,信用等に対する価値が増大していることに対応していなかったため,その妥当性が再検討されるべきであった。実際に,平成13年司法制度改革審議会の最終意見で,「損害賠償額の認定は低すぎるとの批判があり,必要な検討が望まれる」ことが指摘され,マスメディアによる名誉毀損を中心とした損害額の算定についての裁判官による研究会が活発に行われた。その結果,名誉毀損での高額化の提案が相次いでなされた。

 例えば,東京地方裁判所損害賠償訴訟研究会「マスメディアによる名誉毀損訴訟の研究と提言」(ジュリスト1209号63頁)は,基本額として400万円から500万円程度を提案し,司法研究所「損倍賠償請求訴訟における損害額の算定」(判例タイムズ1070号4頁)も高額化を提起するとともに,慰謝料額の定型化の算定基準も示された。また,元裁判官の塩崎勤弁護士による「名誉毀損による損害額の算定について」では,一般的な平均基準額として500万円程度が示され,井上繁規東京高等裁判所判事による「名誉毀損による慰謝料算定の定型化及び定額化の試論」(判例タイムズ1070号14頁)では慰謝料算定の定型化及び定額化の算定基準が提示された。

2.過去の判例の分析的損害額算定と平成13年以前の裁判例

 一般的な平均基準額として500万円が示されたとはいえ,名誉毀損による損害賠償事件における算定は,裁判所が各事件における事情を斟酌し,その自由な心証に委ねられてきたことは,確立した判例が示してきた。損害額の算定に,考慮されるべき事情は多種多様で,様々な要素が考慮された結果として,最終的な算定に至るものであり,一般的かつ汎用性のある損害賠償の基準・標準を,過去の判例の算定額から単純に導きだすことは困難である。しかしながら,本件と同様の事例に限定して抽出した分析結果は、本件における慰謝料算定を考えるに当たり意味がある。

 例えば,前述の東京地方裁判所損害賠償訴訟研究会「マスメディアによる名誉毀損訴訟の研究と提言」「5.損害額算定の裁判例の分析のまとめ」ジュリスト1209号72頁では,本件同様の事例,

   名誉毀損行為の伝播性が全国的なものであった事例

   被毀損者が社会的信用のある者などの著名性を有していたもの

   何らかの減額要因(報道の正当性,断定的な表現でないこと,被害者側の落ち度,謝罪広告の請求を認容すること等)が積極的には認定されていない事例

以上の①②③に限定し抽出した7事例が分析されている。これらの修正単純平均額は485万7142円で,中間値(メジアン)は300万円であった。

 本件をこれと照らし合わせると,①日本有数の出版社である被告が出版したもので、累計発行部数28000冊(乙第19号証)、全国紙特別な大きな文字を使用して広告した(乙第2号証の1、乙第2号証の2)ことから推測できる閲覧者数は莫大で、伝播性が全国的であることはあきらかであり、②被毀損者が一般に社会的信用のある医師であり,③何らかの減額要因がない事例であり,この東京地方裁判所損害賠償訴訟研究会の論文における「限定して抽出された事例」の範疇に含まれるものである。

3.平成13年以後の主な名誉毀損裁判の損害額について

 平成13年に活発発表された裁判官らの論文の研究対象になった名誉毀損訴訟判例の後も,名誉毀損裁判の認容損害額は高額化し,研究対象となった判例に比較しても総体として高額となっている。以下に主な判例の「認容損害額」「被毀損者」「事件の内容」等を列挙する。

   1650万円(被毀損者 市長)「鎌倉市長がビルの所有者,政治団体,任意団体の代表者の垂れ幕で名誉を毀損された事件」 横浜地方裁判所 2001年10月11日判決(判例タイムズ1109号186頁)

   920万円(被毀損者 大学教授 *)「私立大学の教授が発掘調査された遺跡から発見した石器の捏造に関連した旨等を摘示した週刊誌記事の事件」最高裁判所2004年7月15日第一小法廷判決(別冊ジュリストNo.179「メディア判例百選」144頁),福岡高等裁判所 2002年2月23日判決(判例タイムズ1149号224頁) (* 本件の原告は,被毀損者の遺族3人である)

   600万円(被毀損者 プロ野球選手)「プロ野球選手のトレーニングに関する週刊誌記事の事件」東京高等裁判所 2001年12月26日判決(判例時報 1778号78頁,判例タイムズ1092号100頁)

   600万円(被毀損者 プロ野球選手)「プロ野球選手が野球賭博に関与したとの主旨の週刊誌記事の事件」東京高等裁判所 2002年3月28日判決(判例時報1778号79頁)。

   550万円および440万円(被毀損者 医療法人理事長および医療法人)「医療法人の職員4人が死亡した事故と保険金の関係等の写真週刊誌記事の事件」熊本地方裁判所 2002年12月27日判決

   550万円および110万円被毀損者 電気通信事業会社社長および会社)「電気通信事業会社社長が原告会社の子会社の株を操作した旨の週刊誌記事とファミリー企業がソープランドを買収した旨の週刊誌記事の事件」東京地方裁判所 2003年7月25日(判例タイムズ1156号185頁)

   550万円(被毀損者 テレビ番組制作会社)「テレビ番組制作会社に関する裏金要求疑惑や窃盗疑惑などの週刊誌記事の事件」 東京地方裁判所 2005年4月19日判決 (判例時報1905号108頁)

   500万円および500万円((被毀損者 建築家および建築家名建築都市設計事務所) 「橋の設計等に関与した建築家を誹謗した週刊誌の記事等の事件」(東京地方裁判所 2001年10月22日判決(判例時報1793号103頁)

   500万円(被毀損者 国会議員)民主党所属の国会議員が,賛成派議員と郵政民営化法案通過の打ち上げに参加していた旨を摘示した週刊誌記事の事件」東京地方裁判所民事第34部 2007年1月17日判決

   500万円(被毀損者 国会議員)「地下鉄建設工事に関して利益を得た旨の雑誌記事の事件」京都地方裁判所2002年6月25日判決(判例時報1799号135頁)

   500万円(被毀損者 テレビ放送局社員)「放送局の社員が自宅マンションの騒音をめぐる紛争につき建設省を通じて施工業者に圧力を掛けた等の言動を内容とした写真週刊誌記事の事件」東京地方裁判所 2001年12月6日判決(判例時報1801号83頁)

   440万円(被毀損者 医療法人) 医療法人の経営する病院に勤務する医師が無断アルバイトを理由に退職したにもかかわらず,医療過誤の事実を患者側に伝えて解雇されたなどと週刊誌の取材やテレビで発言した場合,病院の社会的評価を低下させたとして,医療法人の医師に対する損害賠償請求が認容された事例」 横浜地方裁判所 2004年8月4日判決(判例時報1875号119頁)

参照:「検察官の異議申し立ては棄却! 第5回控訴審速報 自ら報告」

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/5_de20.html

   440万円(被毀損者 評論家)「書籍やインターネット上で評論家の名誉を毀損する事実を摘示した事件」 東京地方裁判所 2001年12月25日判決

   330万円(被毀損者 弁護士)「新弁護士会館に飾られる裸婦画をめぐる女性弁護士に関連した週刊誌記事の事件」 京都地方裁判所 2005年10月18日判決(判例時報1916号122頁)

   300万円(被毀損者 金融会社)「消費者金融会社の企業経営を批判する月刊誌記事の事件」東京地裁 2002年7月12日判決(判例時報1796号102頁)

   300万円(被毀損者 弁護士)「弁護士に関する単行本のルポ中の記述の事件」東京地方裁判所 2003年12月17日判決(判例タイムズ 1176号234頁)

4.本件書籍の損害額算定における考慮要素の分析

  名誉毀損の損害額算定にあたって考慮される増額要素には様々なものがあるが,以下項目別に本件で考慮されるべき増額要素について論じる。

(1)事実流布の範囲、情報伝播力

 本件書籍は、本邦最大級の出版社である被告による出版で、累計発行部数28000冊(乙第19号証)、朝日新聞(乙第2号証の1)日本経済新聞(乙第2号証の2)といった全国紙に通常の新書の宣伝よりも特別な大きな文字を使用して印象が残るように広告した。

本件書籍は、おそらく全国津々浦々の書店で発売されたり、全国にある一般図書館にも蔵書とされたりしたはずである。仮に、発行部数が28000冊だとしても、本件書籍購入者の他、図書館からの貸し出し、パーソナルな貸し借り、古本として本件書籍を閲覧したものは、その何倍にもなる可能性がある上、現在でも増加しつつある。

(2)二次的伝播への影響

 近年,爆発的な広がりを見せて発展したウエッブサイトによる二次的伝播による損害の拡大も無視できない。ウエッブサイトが存在しない時代の書籍の内容に関する情報の二次的伝播は、そのほとんどがパーソナルコミュニケーションに限られていた。しかしながら、現在の高度に発達したホームページやブログの伝播力は無視できない。本件書籍を閲覧した読者が自らのホームページやブログに本件書籍の内容や引用を用いた場合、そのウエッブサイトの閲覧者に対しても原告の社会的信用を低下させる情報が流布されることになる。さらに、その閲覧者が自分のホームページやウエッブサイトに書き込みを行うと、三次的伝播ないし高次的伝播と,次々とねずみ算式に波及する可能性がある。そうなると,仮に原ウエッブサイト記事が後に削除されたとしても,名誉毀損の被害拡大を抑制することは不可能である。

 本件書籍を直接閲覧したり,これに関するウエッブサイトを閲覧したりした者が,最初に抱いた印象は簡単に消えるものではない。それどころか,最初に抱いた印象を基準にして判断し,一審公判廷で無罪とされた方が間違っているのではないかとの不信感を持つ者が少なからず存在するはずである。万が一,これらのウエッブサイトを把握し得ることが可能となって、その全て削除され,さらに後に繰り返し原告が無罪であることが別のメディアによって報道されるようなことがあったとしても,最初に抱いた印象は簡単に消えるどころか永遠と残存する可能性も高い。

(3)精神的損害・無形的損害

 被毀損者の「名誉を毀損された者にしか分からぬ痛み」は,どんなに甚大であろうとも,第三者が理解することは困難である。原告は,小学生のころから医師それも心臓外科医を目指し,大学医学部で6年間,その直後の医師免許取得から本件書籍発売までの18年以上の年月を併せて継続的に20年以上もの間医学を学び,心臓外科学を研鑽し心外科診療に従事してきた。本件書籍出版後も心臓外科医として患者の診療を行ってきた。

これに対して,科学的素養も有さない,何の医学知識もない,充分な取材も行わなかった被告の認識すなわち取材の努力もしない記者の誤った認識によって,いとも簡単にあたかも有罪であるかの印象が全国的に流布されたのであるから、たとえ一審無罪判決が言い渡された現在でもその損害は甚大であり、原告の社会的信用の回復は容易ではない。その精神的苦痛は極めて大きい。

(4)名誉毀損の内容・表現方法

 本件書籍「第一章 東京女子医大病院事件」は、書籍の最初に扱われた事例で、81頁にわたる記載がある。書籍における配置、頁数からして最も印象に残る章である

 さらに、内容や表現方法は、「途中で、『血液が回ってない』と医師の怒鳴り声が響いた。人工心肺装置の操作を担当した医師がポンプの回転数を上げすぎ、装置が故障して、動かなくなってしまったのである。(乙第1号証20頁)」と実際にはありもしない「台詞」を創作したり、原告が訴状で指摘した部分に関しては、全般的に誤っている事柄を断定的に述べたりしている。

また、自らは全く医学知識が欠如しているにもかかわらず、誤った情報を用いて「名門女子医大で心臓手術を手がける専門医たちの知識レベルは、どうなっていたのだろうか。」と原告を罵しるなど悪質である。さらに、「やぶ医者」というような下品な表現を用いたり、「初歩的ミス」「単純ミスというより技術不足だ」等原告の心臓外科としての背景や知識を知りもしないのに、誤った事柄について断定的に述べたりしている。

以上、内容と表現について考慮しても、損害額の算定については増額されるべきである。

(5)加害行為の動機・目的

 本件で対象になっている記述についての、加害行為の動機、目的は明らかではない。しかしながら、「やぶ医者」「初歩的ミス」「技術不足」などの文言が用いられていることから推測すれば、原告個人を特に吊るし上げようとしたと考えられる。

(6)取材方法の相当性

 被告らの乙第12号証、乙第13号証「陳述書」は、「平成20年1月28日付け」で、2001年12月29日からの取材の経過が陳述されているが、前述の「第4 取材メモの不提出について」で述べたように取材メモ等の証拠が添付されていない。このことは、被告にとって有利な部分の取材メモの一部を抜粋したり、被告にとって有利な記憶だけを用いたりすることにより陳述書を作成したと推測される。

乙第12号証、乙第13号証それぞれの取材の日時が明確に記載されているわけではない。平成14年6月までは、それぞれの取材について具体的な記載があるが、本件争点になっている逮捕後の取材については、乙第12号証8頁に「その後も、私や取材班のメンバーは、平成17年12月ごろまで、佐藤氏や瀬尾医師の刑事事件の公判を随時傍聴するなどして、本件医療事故に関する情報収集を継続的に行いました。」とあるだけで、具体的に何を取材したかの記載が全くない。

一方、乙第15号証「陳述書」は平成20年3月4日付けで、裁判長からも、「『3学会報告書』発表後から本件書籍が出版されるまでの取材について明確にする」旨の要請があった後の陳述書である。しかし、この間の取材についての具体的な取材については、何も記載されていない。

また、この期間に被告ら自らが執筆した新聞記事(甲第16号証)では、本件手術で使用された人工心肺装置自体に重大な欠陥があることを認識しながら、そのことに対して全く取材をしていなのであれば、本件書籍の執筆において怠慢な取材態度であったといえる。

(7)被害者の年齢・職業・経歴・社会的地位の高さ

 名誉毀損被害にあった原告は,満40歳をこえて、所謂働き盛りの年代であった。医学博士の学位と心臓血管外科専門医、日本外科学会認定医,専門医、胸部外科認定医を有する現役の心臓外科医であり,その外来診療状況は病院内の案内やパンフレットにとどまらず,「綾瀬循環器病院ホームページ(http://www.ayaseheart.or.jp/index.php)」)にも公開されていた。

 これに加え,上記「3.平成13年以後の主な名誉毀損裁判の損害額について」⑪の事案では,特に社会的にその職業が公開されることもない放送局の一社員に対してですら500万円の慰謝料が認容されたり,同⑤の事案では,同じ医師の資格をもつ医療法人理事長個人に対して550万円の慰謝料が認容されたりした判例があり、賠償額の算定にはこれらを鑑みる必要がある。

(8)被害者が被った営業活動,社会生活上の不利益

 前述の通り,原告は,現役の医師として診療を行っていた。診療に当たっては,本件書籍した患者や患者家族が「原告に過失があったために,事故が生じたのではないか。」との心持ちで,原告の診療を受けていたのではないかという不安が生じた。また,外来を予約したのに受診することなかった患者は,上記のような理由から原告の外来診療を拒否し始めたのではないだろうかという不安を持たざるを得なかった。

 このように,著しい営業活動,社会生活上の不利益を被ったのである。

(9)名誉毀損事実の深刻さ

 近年の名誉毀損訴訟における損害賠償額の高額化の先駆けとなった上記「3.平成13年以後の主な名誉毀損裁判の損害額について」③の事案は,著名なプロ野球選手が再起をかけてのシアトルでのトレーニング中に,ストリップパブに通い白人ダンサーを相手に遊びに興じていた等の記事が問題となったものであった。かかる事案は,プロ野球選手にとっての専門性が直接問われる野球でのパフォーマンスとは関わりがないものであったにもかかわらず,600万円の損害賠償が認められた(なお,一審判決は1000万円の損害賠償を認容した。)。

 原告は,心臓外科医になるために6年間医学部に通い,その後は女子医大の心研に入局し,寝食を惜しんで,骨身を削って心臓外科医としての職務や研究に没頭し,国際学会でもその成果を発表し,医学博士の学位や認定医を取得してきた。原告が人生をかけて築いてきた職業的専門性を,本件書籍は十分な取材をせずに簡単に否定したものであり,原告が本件書籍送によって被った精神的苦痛は多大で極めて深刻なものである。

(10)事後的な名誉回復措置の有無

 被告は,これまで一切の事後的な名誉回復措置をとっていない。

2001年12月29日に被告らの属する毎日新聞社が本件事件を報じたのと同時に読売新聞に記事を書いた同社のW.R.記者は、一審判決後に原告に対して、「『内部報告書』を鵜呑みにして、記事を書いてしまったことを謝罪します。もう一度あの『内部報告書』を見直さなくてはならないと考えています。これまでの事件の経過とともに、これが誤っていることを御教示いただきたいので、取材させて下さい。」旨、丁寧に頭を下げて謝罪し、真実についての取材を申し込んだため、原告はこれを受けた。

このような真摯で誠実な態度の記者が存在する一方で、被告は、取材経過に関して「入稿スケジュールを考慮すると3学会報告書を本件書籍に反映することは困難」「3学会報告書の記者向けの積極的発表ななかった」「マスコミ向けのものではない」「3学会報告書を入手したのは、平成15年8月25日の期日からしばらくたってから」旨(乙第15号証)など、見苦しい言い訳に終始している。

また、上記にも述べたように、驚くべきことに、未だに「3学会報告書の内容的にも内部報告書の結論に疑問を抱いたり、ましてそれが誤りであったと判断することも難しかった」等と嘯いている。上記にも述べたように、「3学会報告書」には、「東京女子医大で起こった事故は本来陰圧であるはずの静脈貯血槽が急激に陽圧になったためであり、その原因は吸引回路の回転数が非常に高かったためではなく(甲8号証25頁)」と「内部報告書」の結論を完全に否定している。

このように現在にいたっても不誠実な姿勢を崩さない被告態度も慰謝料の算定に考慮されるべきである。

.小括

  以上述べてきたことを統合すれば,本件書籍が原告の名誉を毀損したことによる損害額は、1000万円と評価されるのが相当であり、被告らは原告に対し、連帯して金1000万円、及びこれに対する2003年12月23日支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

以 上

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2008年12月 8日 (月)

勝訴!対集英社および毎日新聞記者ら本人訴訟-名誉毀損賠償80万円ー第1報

とりあえず、「医療事故がとまらない」新書 毎日新聞医療問題取材班著の記載内容に関して提訴した訴訟に勝訴したことの第一報を。

1.結審時裁判長の示唆どおり勝訴

 ライブ。前回のブログ「医療事故がとまらない」毎日新聞医療問題取材班⇒「一粒で二度美味しいを許すな!」

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-2352.html

でも、報じたように、結審の時の様子から高い確率で勝訴を予想はしていた。とはいっても、判決直前傍聴席で出番を待つ間は緊張する。視野が右下のみの4分の1半盲のようになりその部分がグルグル回っているような症状。傍聴席にはいつものように、メディア関連の人が多い。

 「佐藤さん。原告席へ。」書記官の声で席に着くと冷静になれるものだ。被告代理人は席に着かない。これは単に慣習的なものであるかもしれないが、自信がないための行為とも捉えられる。

 裁判官入廷。いつも、左右の陪席の様子も確認する余裕もなく、彼らがいつもの裁判官であるかどうかもわからない。裁判長の顔しか目に入らない。

 民事の原告なら、判決文が「ひ」で始まれば、勝訴だ。「判決。 被告らは原告に対して、連帯して80万円及びこれに対する平成151223日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。」

 安堵という気持ちのが強かった。本人訴訟は、孤独なだけに、負けると精神的ダメージが大きい。ピエロが場をわきまえず踊っているのを嘲笑された気分。しかし、これで、本人訴訟も2連敗の後2連勝。自分がやってきたことの正当性を、個人の権利とともに国家が保障してくれたことを実感した瞬間だ。

2.判決のポイント⇒「第3 裁判所の判断」

 民事訴訟の判決文を丁寧に読んできたのは、名誉毀損裁判ばかりではある。これらの判決文は、雛形が決まっていて「目的、方法、結果、考察、結論」と進む理科系のレポートに似ている。慣れれば読みやすく書かれている。科学的な文章構成になっている。「主文」の次の請求や事案の概要に関しては、分かりきったことを逸脱したことが書かれることはあまりない。直ぐに内容を知りたい訴訟の当事者であれば、ここを読み飛ばして真っ先にページを開くのは、「第3 裁判所の判断」。

 「第3 当裁判所の判断」 一部

1.本件各記載は原告の社会的評価を低下させるか。(争点1)

(1)原告の特定について

「記事が原告の実名が表記されてなくても、本件書籍の発行当時、不特定多数の読者において本件記事中の人工心肺装置の操作を誤った「E医師」が原告である特定して認識できるものと認めるのが相当である。」

(2)原告の社会的評価低下について

「主題や意図はともかく、担当医師が人工心肺装置の操作を誤ったために本件患者を死亡させたという印象を抱かせるものであることは否定できない」

(3)争点1のまとめ

「本件摘示部分を含む本件書籍を執筆・発行した被告らよの行為は、原告の社会的評価を低下させる名誉毀損行為に該当すると認められる」

2.被告らの行為の違法性又は有責性が阻却されるか。(争点2)

(1)事実の公共性及び公益性

「記事に記載された事実は公共の利害に関する事実であって、被告らは専ら公益を図る目的で本件書籍を発行した」

(2)記事において摘示された事実は真実か

「検察官が公訴事実を維持しているとしても、そのことから直ちに同事実が真実であると認められるものではないことはいうまでもない。」「外部委員会が外部報告書を作成するに際して本件事故の原因につき独自の調査検討をしたことはうががわれないし、女子医大の林院長が内部報告書と同趣旨の発言をしている・・・その発言は、内部報告書に基づいて述べたものにすぎないから、これらによって、上記のような問題点を有する内部報告書の信用が補強されるものではない。

 そして、他に、原告が吸引ポンプの回転数を上げたことが本件事故の原因であると認めるに足りる証拠はなく、前記のとおり、3学会報告書や刑事裁判における認定判断が内部報告書に記載される事実を否定する内容になっていることに照らしても、上記事実を真実であると認めることはできない。」「したがって、・・・同事実が真実であるとする被告らの上記主張は採用することはできない。」

(3)摘示した事実を真実と信ずる相当の理由があるか

事実を真実と信ずる相当の理由はない。

以下その理由は長文のため判決文の抜粋を使用したまとめ

(ア)内部報告書の内容の事実に疑義がある議論がされていた

(イ)毎日新聞紙上よの掲載から一年余の期間を経過した本件発行時点での基準で相当性を判断すべきことはいうまでもない

(ウ)3学会報告書が、本件書籍にある内容の事実に関して疑問を呈する報告を発表し、その内容の一部はNHKのテレビニュースで2回も報道され、専門誌にも紹介された。被告は、女子医大の内部報告書は、3学会報告書によって完全否定されたわけではないので、これを検討しても内部報告書の内容に疑問を抱く契機にはならなかったと主張が、「両者の意味内容は全く異なるものである上、内部報告書が3学会報告書と比べて信用性が劣るものであることは前記で説示したとおりであること。加えて、装置自体の欠陥を指摘する声を被告は報道しており、人工心肺装置自体の問題の存在にも十分な関心を持っていたのであるから、3学会報告書の内容を真摯に検討すれば、原告の操作ミスの存在を摘示した記載の記載内容を真実の記載として維持することが困難であることを容易に認識し得たものといわざるを得ない

(エ)「被告は本件書籍発行の段階では、そもそも3学会報告書を入手して検討する契機がなかったと主張するが、NHKでは2度もテレビ放送された。書籍発行前に、原告は無罪の主張をしていた。被告は3学会報告書の存在を認識していたが、十分検討していなかった。原告の上記無罪の主張は、本件連載記事を執筆した当時の被告の認識とは全く異なる状況をもたらしたのであるから、被告取材班において、新たに本件書籍を発行するに当たっては、原告の上記主張の根拠についての十分な取材と検討をし、その主張内容を加筆し、本件摘示部分の記載との整合性を調整するなど、本件連載記事の見直しをする必要があったことは明らかというべきであり、本件書籍の発行に至るまでの間にその契機がなかったということはできない。

(オ)「本件書籍の発行時には原告の刑事裁判の審理が継続中であり、本件事故に関する出来事は、過去の問題ではなかったことなどからすれば、これを新たな書籍として発行する以上、被告取材班においては、記事の事実の客観性を担保するため、十分な追跡調査と記載内容の見直しをすることが求められることは当然というべきである。」「本件書籍の発行時期からすれば校正段階を含めて何ら対応をすることもできなかったとは到底考えられない上、そもそも発行スケジュールは被告らにおいて決したものにすぎず、原告とは何らの関係もないおのである。そして、自ら決したスケジュールのために検討不十分な内容の書籍を発行したというのであれば、それ自体問題というべきであり、その責任が被告らに存することはいうまでもない。

(カ)「被告らが、原告が本来してはならない吸引ポンプの回転数を上げ続けるという操作をしたことによって本件事故が発生したことを真実であると信ずるについての相当の理由があったと認めることはできない。この点に関する被告らの主張は採用することができない。」

(4)争点2のまとめ

「本件記事において、摘示した事実が真実であると認めるに足りる証拠はなく、また、被告らにおいてそう信ずるについて相当の理由があったものと認めることもできない。

 したがって、被告らの行為の違法性又は故意・過失が阻却されるという被告らの主張は採用することができない。

3.損害額について(争点3)

省略

 3.控訴について

被告が控訴するしないは、自由である。しかし、本件判決は、新聞記事に記載した内容を安易にそのまま書籍にして新たなる利益を得ようとした態度に対する警句である。逮捕、起訴の段階で不十分であったかもしれない情報に、学会という専門家の意見、担当省庁(厚生労働省)の勧告、被告人の無罪の主張を無視して、自らが勝手に決定したスケジュールで出版した姿勢を反省して欲しい。といってもこの毎日新聞医療問題取材班は消滅してしまった。

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2008年12月 5日 (金)

「医療事故がとまらない」毎日新聞医療問題取材班⇒「一粒で二度美味しい」を許すな!

判決 (12月8日) 対「集英社および毎日新聞記者5人」名誉毀損裁判ー本人訴訟

1.名誉毀損裁判『報道の時期』による分類

 私が提訴したメディア相手の名誉毀損裁判は、報道時期によって3つに分けることができる。

           ①逮捕直後から初公判まで

           ②初公判から結審まで

           ③無罪判決後

①で勝訴したものは、取材を全くしていないと判断された新聞社3社と雑誌社1社。

実は、和解、敗訴が多い。

「真実でない報道をしたが、被告は取材を行い、女子医大の内部報告書等の内容が真実であると信じたことに相当の理由がある」と判断された場合が敗訴になる。

②では、これまでに出版社がひとつ和解している。

③は、無罪判決報道でのフジテレビでの勝訴(再び勝訴!フジテレビ控訴審および附帯控訴審) http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-0be6.html

⇒勝訴確定。

2.「新聞記事」をそのまま「新書」にした場合

 来週の月曜日(12月8日)に判決が言い渡される「集英社および毎日新聞記者5人」を被告とした名誉毀損裁判は、②に当たるが少し事情が違う。

2003年12月下旬に発行され重版もあるこの書籍に「第一章 東京女子医大病院事件」という見出しの記事がある。

この記事が私の「社会的地位を低下させる内容」になっている。真実とは異なる事実を摘示している。簡単にいえば、科学的にありえないことを理由に犯人扱いした。

 しかし、この書籍の記事は「2002年7月、8月」に毎日新聞に本紙に掲載されたものを「データの修正以外全くそのままの状態」で再掲載したものである。

実際に記事が書かれた「2002年7月、8月」から発行日の「2003年12月」までには、1年4-5ヶ月の時間があった。その間には、以下のようなことがあった。

2002年9月18日       第1回公判        被告罪状認否、弁護人意見等(甲4・5頁)

2002年10月23日  第3回公判          T.Y.技士証人尋問(甲4・5頁)

2002年11月1日      第4回公判      T.Y.技士証人尋問(甲4・5頁)

2002年11月20日  第5回公判          T.Y.技士証人尋問(甲4・5頁)

2002年11月20日  第5回公判           O.N.医師証人尋問(甲4・5頁)

2002年12月4日      第6回公判        O.N.医師証人尋問(甲4・5頁)

2002年12月12日      患者家族が厚生労働省と東京都に人工心肺導入等調査「要望書」を提出した事実を毎日新聞が報道(甲16)

2003年1月17日      第8回公判        O.J.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年1月31日      第9回公判        M.K.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年2月14日      第10回公判      A.M.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年2月14日      第10回公判      M.K.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年2月24日      第11回公判      I.J.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年3月2日         3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会中間報告(甲8・32頁)

2003年3月17日      「人工心肺の安全マニュアル作成に関する研究 中間まとめについて」を厚生労働省が各都道府県研衛生主管部(局)長に通達(甲17・末尾)

2003年5月9日        第15回公判      S.K.医師被告人質問(甲4・5頁)

2003年5月15日  第33回日本心臓血管外科学会学術総会3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会報告会 (甲7・25頁、甲8の全て)

2003年6月9日        第17回公判      I.Y.主任教授証人尋問(甲4・5頁)

2003年7月3日        第18回公判      S.K.医師被告人質問(甲4・5頁)

2003年10月9日      第23回公判      B.T.医学工学博士証人尋問(甲4・5頁)

これらは、本件刑事事件の事実認定に極めて重要な証拠を提供していた。そして、被告記者らは、そのほとんど全てに関わった。傍聴し、取材し、記事を書き、資料を入手することができた。しかし、書籍にはそれらが全く反映されなかった。内容は、「2002年7月、8月」の毎日新聞本紙記事のままだった。新たなる利益を得るために、営利目的で、1年4ヶ月後に全く同じ記事を使用した。

 医療者のブログやサイトでよく書かれているように、毎日新聞の記事は、「患者史観」の一方的立場からの言い分が多い。現に法廷の尋問に対する証言でも、それを自覚しているようだった。「よりよい医療を求める」という前向きな考え方や「公正な視線」から包括的にわが国の医療を見渡しているとは、いえない。

3.勝訴したときと同じ裁判長は再び・・・

 こっちは本人訴訟で、被告は有名法律事務所の代理人を要して闘ってきた。

最終弁論期日。対「主婦と生活社」訴訟で勝訴した時と同じ裁判長は、学者タイプ。

ひょうひょうと

裁判長「被告の方の最終準備書面は、反論になっていませんが、これ以上の主張はないのですか?」

代理人「裁判所の方で提出しろというのであれば・・・。」

とやり取りがあったが結局そのまま結審した。

最近、毎日新聞社もこれまでの医療報道姿勢を反省しはじめたのだろうか。

『毎日新聞 医療問題取材班』は解散し、現時点ではこの世から消滅している。

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2008年12月 2日 (火)

連載第三回 JAMIC JOURNAL 「リヴァイアサンとの闘争―正当な治療行為で冤罪にならないために」

「リヴァイアサンとの闘争―正当な治療行為で冤罪にならないために」

第三回 事情聴取-「取調べ」は通常の会話ではない

 JAMIC JOURNAL 12月号 に掲載されました。

最新号ですので、ブログには、見出しのみを箇条書きにします。

 興味のあるかたは、「JAMIC JOURNAL 12月号 32頁」をご覧ください。

003  事情聴取-「取調べ」は通常の会話ではない

・敵陣に一人で入る

・確実な記憶だけを話す 

・「取調べ」は通常の会話ではない

・捜査官と人間関係を築くな! アンビバレンツの幻想を断ち切れ!

過去の連載記事

第1回  冤罪事件経験者からの伝言

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/jamic-journal-2.html

第二回  医療事故冤罪-業務上過失致死罪における過失の有無

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/jamic-journal-0.html

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連載第二回 JAMIC JOURNAL 「リヴァイアサンとの闘争―正当な治療行為で冤罪にならないために」

「リヴァイアサンとの闘争

―正当な治療行為で冤罪にならないために」

AMIC JOURNALに2008年11月号(32ページ)

第二回  医療事故冤罪-業務上過失致死罪における過失の有無

医療事故冤罪 

「非加熱製剤エイズ帝京事件」「女子医大心臓手術事件」「福島大野病院事件」では、医師が業務上過失致死で逮捕・勾留・起訴されましたが、いずれも裁判では無罪となりました。その他「杏林大学割り箸事件」等でも医師は無罪です。このような冤罪を立件しようとした捜査機関は、患者さんが亡くなったという重大な結果を楯に、勧善懲悪よろしく、情緒的、感情的観点から「犯人捜し」や「犯人づくり」をします。そこには、科学的観点から叡智を集めて調査を行うといった姿勢はありません。2006年4月に愛媛県の現職警部のPCから流出した「被疑者取調べ要領」という警察学校の講義のための文書には「粘りと執念をもって『絶対に落とすという気迫』が必要」「取調べ室に入ったら自供させるまででるな」「否認被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ」といった指示があり、元検察幹部が書いた検察官向けの医事犯罪捜査実務専門書には「社会的な影響の大きい事件等、状況によっては、たとえ裏付け資料が不十分でも立件して捜査を遂げるべき事件もある」と堂々書かれています。「警察・検察は常に社会正義のために粛々と責務を遂行している」との幻想を持っているようでは、世間知らずです。

業務上過失致死とは 

医師の業務上過失致死は、「医師が社会生活上の地位に基づいて反復・継続して行う診療行為で、生命に危険を生じ得る診療業務上、必要な注意を怠り、その結果、患者を死亡させること」といえます。この「業務上必要な注意」が最も大きな問題になります。交通事故であれば、「過失」「注意義務」の基準は、「一般的な運転手」です。これは、初心者も熟達したプロドライバーも、注意深い人も散漫な人が被疑者でも同じです。では、医師の「過失」の基準は、どうでしょうか。判例からみれば、医師の専門分野によって類型化されます。具体的には、事故当時の医療水準での「通常の血友病専門医」とか「大学病院で心臓手術の人工心肺を操作する業務を行っている心臓外科医」とか「県立病院で帝王切開手術を執刀する産婦人科医」といった基準が対象になります。ここで、重要なのは、「医療水準」は、ある時点での医学界における標準的な認識ないし措置などを指すもので、その時点で確立されたものであるということです。平たくいえば、「同じ時代の同じレベルの医師と同じことをした」正当な治療行為は過失ではありません。法秩序の命ずる基準から逸脱した行為でなければ犯罪にはならないのです。

医療者としての反省と犯罪の狭間 

患者さんが亡くなれば、「何とかして助けたかった」「残念だ」「悔しい」「可哀相だ」といった感情を持つのは自然なことです。しかし、感情は「過失」と関連がありません。結果に対してどう思うかは、「過失」自体とは関係しません。医療者としては「当時は分からなかったことが、事前にわかっていれば、助かる方法が他にあったのではないか?」と振り返ることも当たり前のことです。ところが、捜査官は、事故当時の「医療水準」など知りません。死亡という結果が分かった後、遡及的に注意義務違反をつくり出そうという観点から捜査を開始し犯罪者をつくりだとうとします。その際には、この「医療者としての反省」を利用しようとするのです。

「事実」と「評価」を混同せずに「事実だけを話す」

 次回からは、任意事情聴取や供述調書が、どんなものでありその注意点は何かを具体的に言及していきます。いずれにしても、「何が起きたか」「事実は何か」については自分が明確に分かる範囲で供述すべきでが、それに対する「評価」を供述する必要はありません。むしろ「評価」はするべきではありません。「今にして思えばどうすればよかった」「一般的には、こうすればよかった」といった評価を先に話すと、そこから強引に、捜査機関による「過失のための作られた事実」が誘導されていくのです。

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連載第一回 JAMIC JOURNAL 「リヴァイアサンとの闘争―正当な治療行為で冤罪にならないために」

JAMIC JOURNALに2008年10月号から連載しています。

同誌は、無料情報誌ですので、最新刊以前のものであれば、問題ないと思いますので、ブログに転記します。

「リヴァイアサンとの闘争

―正当な治療行為で冤罪にならないために」

AMIC JOURNALに2008年10月号(32ページ)

第1回  冤罪事件経験者からの伝言

「虚偽の報告書」で犯罪者扱い 

私が「治療行為」に関わった東京女子医科大学付属病院での心臓手術後に、患者さんが亡くなりました。遺族の要請があり、調査を行った大学側は、明らかに科学的・医学的事実に反する報告書を作成し、私に責任を押し付けてきました。民事紛争の話し合い開始後、遺族がこの報告書をメディアに暴露したため大騒ぎとなり、さらに手術に関わった私と4人の医師が「業務上過失致死罪」で告訴(最終的には「被害届け」提出)され、警察は捜査を開始しました。その後、私が逮捕・勾留・起訴されました。結局、裁判では無罪判決を言い渡され冤罪は晴れました(検察側が控訴し、現在係属中)。

警察・検察の作文が署名・押印で“証拠の女王”に 

富山県で発生した「無実の強姦事件」のように、悪名高き「自白調書」を基にした多数の冤罪事件が起こっています。警察が、論理的証拠もない最初の段階で「こいつが犯人だ」という心証を得ると、捜査官の努力方向は「真相の解明」ではなく、「有罪の立証」に向かいます。女子医大事件でも、任意捜査が進むにつれて刑事たちは「報告書」が誤っていることに気づいた様子でしたが、私を犯人扱いしました。「お前が一生懸命に心臓外科をやっているのは知っている。心臓の手術をたくさんしていれば、患者が死ぬ事だってあるだろう。一人くらい死なせたってなんだ。心臓外科医にとっては勲章だ。今回は『御免なさい』しちゃって、また一生懸命やればいいだろう」。警察は、話をしたこともなければ、同意したこともない「供述調書」という名の「警察製作文」を勝手に事前作成してその末尾に署名・押印(指印)させようとします。こんなものは、署名・押印がなければ単なる紙切れと同じですが、署名・押印した瞬間に裁判の“証拠の女王”に戴冠することになります。

「取調室の心理」 

公務員である司法警察員(警察の捜査官:刑事)と検察官の業務は、人を法律上の犯罪者につくり上げることです。彼らは日常的に「職業的犯罪者」や「非合法の世界で生きる人」を相手にしていますから、ごく普通の市民である臨床現場の医師や若い看護師等の医療従事者の取調べで「供述調書」を作成することは「凄く楽だ」と嘯(うそぶ)いています。「警察の応接間」と彼らが呼ぶ狭い「取調室」のテーブル奥側に、一人でパイプ椅子に座らされ、唯一の出口であるドアの前に立ちふさがる北京五輪柔道100kg超級金メダリストの石井慧選手や元ボクシング世界チャンピオンのガッツ石松さんに似た複数の刑事に囲まれて、強い口調で10時間以上も叱責されて、毎日毎日、深夜になっても解放されない状況を想像してください。結局、医療従事者は納得いかない調書に署名・押印して帰宅するのです。ちなみに最高裁判所は、「1日20時間一睡もさせずに取り調べても、自白の強要にあたらない」と判示したことがあります。

新連載の目的「冤罪にならないために」 

今回から6回にわたる連載では、私が開設しているブログ「『紫色の顔の友達を助けたい』東京女子医大、警察、検察、マスメディアの失当」において、カテゴリー「刑事事件資料」で「⑩冤罪にならないための―任意事情聴取注意点―」   (http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_bfc4.html)に書いたことをわかり易く説明しようと思います。正当な治療行為が行われたにもかかわらず、医療死亡事故が発生したことに関連して医師が「業務上過失致死罪」を犯した疑いをかけられた場合を想定し、警察・検察での「取り調べ」「事情聴取」「供述調書作成」に関する注意点を伝え、「冤罪」を回避することを目的としています。市民の手から財産や自由、場合によっては生命をも奪うこともある国家権力。その暴力装置といえる警察・検察は、犯罪者をつくり出すプロフェッションです。そんな現代の「リヴァイアサン」と闘争しなくてはならなくなった「一市民である医師」のための「戦略」を綴っていきたいと思っています。

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