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2008年12月 5日 (金)

「医療事故がとまらない」毎日新聞医療問題取材班⇒「一粒で二度美味しい」を許すな!

判決 (12月8日) 対「集英社および毎日新聞記者5人」名誉毀損裁判ー本人訴訟

1.名誉毀損裁判『報道の時期』による分類

 私が提訴したメディア相手の名誉毀損裁判は、報道時期によって3つに分けることができる。

           ①逮捕直後から初公判まで

           ②初公判から結審まで

           ③無罪判決後

①で勝訴したものは、取材を全くしていないと判断された新聞社3社と雑誌社1社。

実は、和解、敗訴が多い。

「真実でない報道をしたが、被告は取材を行い、女子医大の内部報告書等の内容が真実であると信じたことに相当の理由がある」と判断された場合が敗訴になる。

②では、これまでに出版社がひとつ和解している。

③は、無罪判決報道でのフジテレビでの勝訴(再び勝訴!フジテレビ控訴審および附帯控訴審) http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-0be6.html

⇒勝訴確定。

2.「新聞記事」をそのまま「新書」にした場合

 来週の月曜日(12月8日)に判決が言い渡される「集英社および毎日新聞記者5人」を被告とした名誉毀損裁判は、②に当たるが少し事情が違う。

2003年12月下旬に発行され重版もあるこの書籍に「第一章 東京女子医大病院事件」という見出しの記事がある。

この記事が私の「社会的地位を低下させる内容」になっている。真実とは異なる事実を摘示している。簡単にいえば、科学的にありえないことを理由に犯人扱いした。

 しかし、この書籍の記事は「2002年7月、8月」に毎日新聞に本紙に掲載されたものを「データの修正以外全くそのままの状態」で再掲載したものである。

実際に記事が書かれた「2002年7月、8月」から発行日の「2003年12月」までには、1年4-5ヶ月の時間があった。その間には、以下のようなことがあった。

2002年9月18日       第1回公判        被告罪状認否、弁護人意見等(甲4・5頁)

2002年10月23日  第3回公判          T.Y.技士証人尋問(甲4・5頁)

2002年11月1日      第4回公判      T.Y.技士証人尋問(甲4・5頁)

2002年11月20日  第5回公判          T.Y.技士証人尋問(甲4・5頁)

2002年11月20日  第5回公判           O.N.医師証人尋問(甲4・5頁)

2002年12月4日      第6回公判        O.N.医師証人尋問(甲4・5頁)

2002年12月12日      患者家族が厚生労働省と東京都に人工心肺導入等調査「要望書」を提出した事実を毎日新聞が報道(甲16)

2003年1月17日      第8回公判        O.J.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年1月31日      第9回公判        M.K.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年2月14日      第10回公判      A.M.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年2月14日      第10回公判      M.K.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年2月24日      第11回公判      I.J.医師証人尋問(甲4・5頁)

2003年3月2日         3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会中間報告(甲8・32頁)

2003年3月17日      「人工心肺の安全マニュアル作成に関する研究 中間まとめについて」を厚生労働省が各都道府県研衛生主管部(局)長に通達(甲17・末尾)

2003年5月9日        第15回公判      S.K.医師被告人質問(甲4・5頁)

2003年5月15日  第33回日本心臓血管外科学会学術総会3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会報告会 (甲7・25頁、甲8の全て)

2003年6月9日        第17回公判      I.Y.主任教授証人尋問(甲4・5頁)

2003年7月3日        第18回公判      S.K.医師被告人質問(甲4・5頁)

2003年10月9日      第23回公判      B.T.医学工学博士証人尋問(甲4・5頁)

これらは、本件刑事事件の事実認定に極めて重要な証拠を提供していた。そして、被告記者らは、そのほとんど全てに関わった。傍聴し、取材し、記事を書き、資料を入手することができた。しかし、書籍にはそれらが全く反映されなかった。内容は、「2002年7月、8月」の毎日新聞本紙記事のままだった。新たなる利益を得るために、営利目的で、1年4ヶ月後に全く同じ記事を使用した。

 医療者のブログやサイトでよく書かれているように、毎日新聞の記事は、「患者史観」の一方的立場からの言い分が多い。現に法廷の尋問に対する証言でも、それを自覚しているようだった。「よりよい医療を求める」という前向きな考え方や「公正な視線」から包括的にわが国の医療を見渡しているとは、いえない。

3.勝訴したときと同じ裁判長は再び・・・

 こっちは本人訴訟で、被告は有名法律事務所の代理人を要して闘ってきた。

最終弁論期日。対「主婦と生活社」訴訟で勝訴した時と同じ裁判長は、学者タイプ。

ひょうひょうと

裁判長「被告の方の最終準備書面は、反論になっていませんが、これ以上の主張はないのですか?」

代理人「裁判所の方で提出しろというのであれば・・・。」

とやり取りがあったが結局そのまま結審した。

最近、毎日新聞社もこれまでの医療報道姿勢を反省しはじめたのだろうか。

『毎日新聞 医療問題取材班』は解散し、現時点ではこの世から消滅している。

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