橋下徹弁護士の矛盾
橋下徹弁護士の矛盾
1. 橋下弁護士への懲戒請求と提訴
Asahi.comによると、「大阪府知事選への立候補を表明したタレントとしても活動している橋下徹弁護士が、99年に山口県光市で起きた母子殺害事件の被告弁護団の懲戒請求をテレビ番組で視聴者に呼びかけたことをめぐり、全国各地の市民ら約350人が12月17日、橋下氏の懲戒処分を所属先の大阪弁護士会に請求する」とのことである。さらに「『刑事弁護の正当性をおとしめたことは、弁護士の品位を失うべき非行だ』と訴える。発言に対しては、被告弁護団のメンバーが1人300万円の損害賠償訴訟も広島地裁に起こしている。懲戒請求するのは京阪神を中心とした11都府県の会社員や主婦、大学教授ら350人余り。刑事裁判で無罪が確定した冤罪被害者もいる。橋下氏は、5月27日に大阪の読売テレビが放送した『たかじんのそこまで言って委員会』で、広島高裁の差し戻し控訴審で殺人などの罪に問われている元少年(26)の弁護団の主張が一、二審から変遷し、殺意や強姦(ごうかん)目的を否認したことを批判。『許せないって思うんだったら、弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい』などと発言した。17日に提出される懲戒請求書によると、元少年の主張を弁護団が擁護することは『刑事弁護人として当然の行為』と指摘。(橋下弁護士の)発言は弁護士法で定める懲戒理由の『品位を失うべき非行』にあたるとしている。弁護士への懲戒請求は、弁護士法で『何人もできる』と定められている。請求を受けた弁護士会が『懲戒相当』と判断すれば、業務停止や除名などの処分を出す。 橋下氏は、元少年の弁護団のうち4人が9月に起こした損害賠償訴訟での答弁書で『発言に違法性はない。懲戒請求は市民の自発的意思だ』と反論した。15日、朝日新聞の取材に法律事務所を通じて『(懲戒請求されれば)弁護士会の判断ですので、手続きに従います』とコメントした。」とのこと
2. 橋下徹という弁護士とプロフェッショナル
橋下徹氏は、テレビタレントとして活動する「有名な弁護士の資格をもつ人」であることは事実だが、プロフェッションとして「有名弁護士」とは言えない。(私は思っている。)このプロフェッションだが、聖路加病院の日野原重明先生の最近の言葉でこのようなものがあった。「『Profession』という言葉には、神に告白(Profess)する、約束する、契約するという意味があります。神学と法学と医学のプロフェッションには、明らかにその精神が垣間見える。底通するのは、学問を修めるにとどまらず、持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓うから「プロ」であるという精神。欧米で、神職者、法律家、医師が、専門職能集団の中でもトップのプロフェッショナルな集団とされてきた理由はそこにあります。そして、使命感を持った人が公言し、神と約束しているわけですから、第三者が彼らの仕事の内容を批評するのも当然のこと。医師のプロフェッショナリズムの本質を知るには、そこまで理解する必要があります。また、スペインの教育者であるオルテガの言葉を借りれば―─大学で最高の教育を受けプロフェッションの道に進むとは、生涯を通して学びつづける道を選ぶこと――です。プロフェッショナルは自分を磨きつづけて当然だし、文化に貢献し、文化を次世代に伝えるミッションを持っている点も自覚してほしい。」日野原先生は、神父さんの家に生まれたと記憶しているが、古来から、神学者や真の宗教家、法律家、医師は、「プロ」の精神を持つべき職業であるということだ。そういった視点から見ると、橋下弁護士は、プロとは呼べない。医師にも似たような輩がいる。「有名な医師を職業とする人」であって、「有名」でも「有能」でもないのにメディアで重宝がられるような、おしゃべり上手な‘エセプロ‘。
3. 光市母子殺害事件と法律家としての弁護士
光市母子殺害事件に関しては、言葉にするのがイヤなくらい私も犯人を憎んでいる。どんな状況であっても、妻や子に乱暴し、殺害したという事実が真実であれば、誰もが犯人に重罪望む。しかし、橋下弁護士は、ホームページの中で、「裁判なんて科学じゃない。」「刑を科すための社会手続きなんだ」「法律なんて所詮道具。」「刑事裁判というもの(は)被害者遺族のための制度であ(る)」等と述べている。「自らが持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓い職業として弁護士を生業とする」といった高貴な志は全く感じられない自己矛盾発言である。橋下氏には東京地裁のエレベータ前で一度出くわしたことがあるが、テレビ出演時と同様の風体で、益々印象を悪くした。
4. 弁護士は何のために存在するのか
「弁護士は何のために存在するのか」という命題。特に、弁護人としての「プロフェッション」とは何か。勿論このような事柄に私が答えられるはずがない。岩波書店に依頼されて、月刊誌「世界」2007年11月号(25-28頁)に、喜田村洋一先生が投稿されているので、是非読んでいただきたい。
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強姦・殺人事件の被告弁護男に向けられた懲戒請求。「社会に憎まれる人の側に立つ」という弁護士の職責が揺るがされている。
弁護士は何のために存在するのか
喜田村洋一
懲戒請求の呼びかけ
光市母子殺害事件は、位置、二審の無期判決に対して検察官が上告し、二〇〇六年六月、最高裁が高裁判決を破棄して事件を広島高裁に差し戻した。このため、現在、二度目の高裁審理が行われている。
その第一回公判は二〇〇七年五月二四日に開かれたが、その弁護団に対して、橋下徹弁護士が、五月二七日に放送されたテレビ番組で、「あの弁護団に対して、もし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたい」などと発言し、この結果、二〇人を超える弁護人に対し、全国から四〇〇〇を超える懲戒請求が出されたという。
橋下弁護士は、弁護団が、殺意を認めていた旧一、二審と違う主張をした理由を被害者と国民に対して説明せず、国民に弁護士はこんなふざけた主張をするものなんだと印象付けたことが、弁護士会の信用を害し、懲戒に相当すると述べている。
弁護方針の根拠は明らかにできるか
しかし、新たな弁護方針を取った理由を説明することによって何が期待できるのだろうか。殺意の否認という弁護方針が非常識だと被害者・国民に理解されるとすれば、そのような弁護方針を選択した理由を説明しても、弁護士に対する怒りが消失するとは考えられない。そうすると、結局、同弁護士のいう懲戒事由とは、「ふざけた主張」と理解される弁護方針そのものということになる。
一般に、弁護方針は、弁護人が、秘密保持義務を負う中で得た多数の証拠、情報の中から選択するものであり、その根拠を明らかにすることは原則としてできない。
たとえば、今の弁護人は、最高裁段階でそれまでの弁護人に替わって選任されているが、新たな法医学鑑定によって、被害者の傷などが被告人の元少年の供述どおりではできないことが明らかになり、さらに、元少年との接見結果にも基づいて殺意がなかったと主張している。
そして、元少年は、今年九月一八日の被告人質問で、旧一、二審で殺意を認める調書が存在したことについて、「取り調べ中、当初は否認していたが、検事から、否認していると死刑の公算が強まる、と言われて調書に署名した」「弁護人からも、検察の主張をのむことで無期懲役が維持されると言われたので、前の裁判では殺意を争わなかった」と述べている。
殺意がなかったという新たな弁護方針に変えた理由を明らかにするためには、こういった事実すべてを差戻し後の高裁で審理が始まる前に被害者や国民に明らかにしなければならなくなる。
しかし、裁判の中で明らかにすべき内容を事前に広く公表することは、秘密保持義務違反の問題が生じるし、裁判に不当な影響を与える可能性も考えられる。裁判を軽視するとも理解されかねない。
したがって、第一回公判前に被害者や国民への説明がなかったことが弁護士の懲戒に当たるという考えは、実際の裁判の流れに照らしてみれば、そもそも成立しえない。
しかし、この問題は、単に実務的な面だけではなく、裁判とは何か、弁護士の職責はどのようなものかという、より大きな論点に関係している。
法律は『所詮道具」か ?
たとえば、橋下弁護士は、ホームページの中で、「裁判なんて科学じゃない。」「刑を科すための社会手続きなんだ」「法律なんて所詮道具。迷惑弁護団のバッジを取り上げるために、(懲戒を求める)裁判所の請求を認めるべきだった」と述べている。
これは、法律の要件に事実があてはまるかどうか判断し、あてはまらなければ、常識的には納得できないとしても、「無罪」「懲戒しない」という結論を出すという法治主義の考え方とは全く異なっている。法律を「所詮道具」と言い切ってしまえば、裁判は、はじめからわかっていた結論(有罪、懲戒する)を下すための手続でしかなく、法律がそれに邪魔であれば解釈を変えてしまえばよいということになる。
橋下弁護士は、さらに、「刑事裁判というもの(は)被害者遺族のための制度であ(る)」とも述べているが、そうだろうか。犯罪となる行為が何であるか、これに対してどのような刑罰が与えられるかは、あらかじめ刑法の中に規定されている。これにあてはまらなければ無罪であり、さらに、有罪と認定される場合でも法定刑を超える刑罰は科されないという刑法の役割からは、刑事裁判が被害者遺族のための制度という考え方は出てこないだろう。「刑法は犯罪者にとってのマグナ・カルタである」という逆説的な言葉は、刑法の自由保障的な機能をよく表している。
憲法に規定された弁護士
弁護士の職責を考えると、問題はさらに深刻である。弁護士は何のために存在するのかを考えるとき、出発点になるのは憲法だ。弁護士は、現在の憲法の中で規定されている唯一の民間の職業である(34条、37条等)。だから弁護士という職業をなくそうとすれば憲法を改正しなければならない。しかし現在、効力を持つ成文憲法の中で最も古い米国憲法でも「弁護士の援助を受ける権利」が規定されているのであり、実際には、憲法を改正しても弁護士制度を廃止することはできない。それほど弁護士が重要性を認められているのは何のためだろうか。それは憲法の規定そのものを見れば明らかだ。憲法は、身柄を拘束されている人(34条)、刑事被告人(37条)に弁護人依頼権を保障している。憲法は、国家から罪に問われ、あるいは身柄を拘束されている人々、そのような「弱者」のために弁護士は存在するとしているのだ。
もちろん、弁護士の仕事はこれに限られるわけではないが、憲法という国家の基本を示し、権力の発動を抑制する根本規範が予定しているのは、弁護士のこのような役割である。
これらの人たちは、その大部分が刑事被告人、被疑者であり、国家から憎まれる存在である。しかし、それだけではない。被告人、被疑者がいれば、これに対する被害者がいるのが普通だから、これらの人たちは社会からも憎まれる。弁護士は、そのような人たちの側に立ち、罪を犯していなければ無罪の、罪を犯した場合でも本人にとって最大限に有利な、主張、立証を行う。
しかし、一般の人たちは、被告人をすべて有罪とみなし、さらに弁護士を犯罪者のために働いていると考える場合が多い。「どうしてあんな人間の弁護をするんですか」とは、私自身、何度も問いかけられた質問である。
社会との緊張関係
そのような中で、最も憎まれる被告人を弁護する弁護士は、国家、社会と強い緊張関係を強いられることになる。光市事件でも、弁護人を抹殺するという脅迫状が報道機関に送られたという。しかし、どのようなことがあっても、弁護士は依頼者のためだけに職責を果たすのである。弁護士は、誠実義務を、被害者に対しても、社会に対しても負っていない。
憲法が予定しているのは、弁護士が被告人のために全力を尽くし、検察官は国家を代表して立証を尽くし、中立の裁判官が公正な立場でこれを判断するという構図である。弁護土が、遠くのことを考えず、目の前にいる依頼者の最善の利益だけを考えて行動することによって、全体として社会は安定すると考えられているのである。
もちろん、民主的な社会の中で、ある職業が存続し続けていくためには、その職業について社会から理解され、その必要性が認められることが必要である。しかし、そのことは、個々の事件において弁護士が、受任している事件の弁護方針を事前に社会に説明しなければならないことを意味するわけではない。
まして、それを社会に納得してもらわなければならないということではない。そのような状態になれば、社会が弁護士の活動に直接に介入できることになってしまう。
戦前は、検事正あるいは司法大臣が弁護士を監督していた。しかし、新しい憲法の下で、国家と緊張、対立関係にある職務を遂行する弁護士がこれらの者の監督を受けることは相当でないとして、現在の弁護士法では弁護士について監督官庁は置かれず、弁護士自治が現定された。この自治を担保するため、弁護士は弁護士会に登録を義務づけられ、弁護士に対する懲戒は弁護士会が行うこととなった。このように、弁護士会による懲戒は弁護士自治を基礎づけるものであるが、この自治は弁護士がその職責を十分に果たすことを保障するためのものである。
懲戒基準は世間の基準 ?
弁護士の懲戒事由は、弁護士法等の違反、弁護士会の秩序又は信用を害すること、その他品位を失うべき非行とされている。橋下弁護士は、テレビの中で、一〇万人くらいの視聴者が弁護士会に懲戒請求すれば、弁護士会でも処分を出さないわけにはいかないと述べ、ホームページでは、「『弁護士会の信用を害する行為、品位を失う行為』の基準は、世間の基準」と主張している。
しかし、もともと、弁護士会の信用が害されたかどうかは懲戒請求者の数で決まることではないはずである。それなのに、多くの人が懲戒請求すれば懲戒になるというのは、懲戒基準が「世間の基準」であるというのと同じく、「世間」の多くの人が非常識と考える弁護活動をしたら、それだけで弁護士は懲戒されるべきだという主張に他ならない(その基
礎にあるのは、法律は「所詮道具」という考えである)。
これは、国家だけでなく、社会から憎まれる人の側に立つという弁護士の職責を考えるとき、弁護士の地位を著しく不安定にするものであり、そのことは「弱者」を守るという憲法の理念が実現されにくくなることを意味する。
弁護士の拠って立つ基盤
最高裁は、今年四月二四日、弁護士に対する懲戒請求が違法となる場合があるとの判決を下した。この事件では、A社がB社を訴え、これが棄却された後、B社が同じ裁判所にA社を訴えたところ、A社が、B社の弁護士を、「この裁判所にA社を訴えたのは品位を失う非行だ」として懲戒請求していた。最高裁は、B社弁護士の提訴が非行に当るはずがないとして、A社弁護士の懲戒請求書の作成を違法としたが、弁護士出身の田原睦夫裁判官は、弁護士が懲戒請求の代理人等として関与する場合、「懲戒請求の濫用は現在の司法制度の重要な基礎をなす弁護士自治という、個々の弁護士自らの拠って立つ基盤そのものを傷つけることとなりかねないものであることにつき自覚すべきであって、慎重な対応が求められ
る」との補足意見を述べている。
橋下弁護士自身は、「時間と労力を費やすのを避けた」(九月六日付産経新聞)ためもあり、懲戒請求をしていないが、多数の国民に懲戒請求を呼びかけたその行為が「弁護士自らの拠って立つ基盤そのものを傷つける」ことにならないかは慎重に検討される必要があるだろう。
(きたむら・よういち弁護士)>
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