日記・コラム・つぶやき

2009年4月11日 (土)

無罪確定に対する司法記者クラブへのコメント

東京女子医大の院内事故調査報告書は、現在、作成者の東間紘元病院長自身も「科学的でない」「結論に根拠はない」と認めるものです。*この報告書の誤りを指摘しようとした私に対して、黒澤博身元主任教授が行ったパワーハラスメントは、「白い巨塔」を超えるものでした。**

 東京女子医大が早期にこの報告書の誤りを認めていれば、遺族も、私も、長期に渡り苦しむことはなかったはずです。どれほど遅くとも、学界の衆知を集めた3学会報告書***が発表された2003年5月には誤りを認めるべきでした。東京女子医大の報告書に、遺族も検察もメディアも国民も騙されたといっても過言ではありません。

 この事件は、東京女子医大が、自らの事故調査報告書が杜撰なものであったことを認め、東間、黒澤両元教授と共に、遺族と私、そして国民に謝罪しない限り、終わることはありません。

*http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-fe25.html

** http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat6216890/index.html

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/files/200807.pdf

*** http://www.jsao.org/tools/file/download.cgi/69/vavd_report.pdf

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2008年5月 1日 (木)

第三次試案 医療安全調査委員会 調査チームの「法律関係者」にヤメケンを入れるな!-ヤメケンの歪んだ視線―「起訴されれば有罪」と「国民」が「医師」を最終的に起訴!

1.「法律家」と「法律屋」-法律関係者とは

(1)役人「検察官」

 無実の罪に問われている被告人や冤罪者にとっての最大の敵は検察、検察官である。私は、検察官を「法律家」ではなく「法律屋」とう範疇に入れる。役人個人としての仕事のためには、「国家への奉仕」はおろか自分自身の「尊厳」や「勇気」「良心」「信念」を捨ててでも役人業務を遂行する。

(2)真のプロフェッション-法律家

日野原重明先生[i]のお話によれば、持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓うから『プロ』であるという精神が垣間見える職業は、「神職者」、「法律家」、「医師」で、専門職能集団の中でもトップのプロフェッショナルな集団ということであるが、私が見てきた検察官は、「法律家」ではない。

(3)第三次試案の「法律関係者」

厚生労働省が2008年4月3日に発表した第三次試案「2 医療安全調査委員会(仮称)について」【委員会の設置】(13)「中央に設置する委員会、地方委員会及び調査チームは、いずれも、医療の専門家(解剖担当医、(病理医や法医)や臨床医、医師以外の医療関係者(例えば歯科医師・薬剤師・看護師))を中心に、法律関係者及びその他の有識者(医療を受ける立場を代表する者等)の参画を得て構成することとする。」とある。

そもそも、医療事故調査委員会が、「何を何処までやるか」の目的の議論も曖昧なままであるのだから、委員の選任自体が問題である。医療事故そのものの真実」の解明をするまでの段階に医療関係者以外の必要性はないと考える医療関係者が多数であると思われる。

その前提をおいても、なぜ、医療関係者に関しては事細かな説明があるのに、「法律関係者」は、漠然とした表現のみで具体的な職種やどのような立場なのか、医師とってステイク・ホルダーなのか等の説明が全く無いことに注意しなくてはならない。一般の国民からみると「法律関係者」といわれても何がなんだかわからないが、なんとなく法律に詳しく、法律的に公正な視線を持つ人を指すように感じてしまうのではないだろうか。

(4)

調査チームの「法律関係者」にヤメケンを入れるな!

この「法律関係者」が、ヤメハン(元判事、元裁判官)ならまだ納得いく。だが、「ヤメケン」(元検事)は絶対に入れるべきでないと私は主張する。「ヤメケン」は「弁護士」「大学教員」「法律専門家」等の一見中立的良心的な「法律家」としての名刺を持つことがあるのでやっかいだ。百歩譲って、この「法律関係者」に「ヤメケン」が選ばれるのであれば、「医療側に立つ法律家(多くは弁護士)」を同じ人数入れることをルールとするべきである。

2.推定有罪の視線

(1)「ヤメケン」は、「『起訴された被疑者は有罪』が前提」

「ヤメケン」が何故ダメか。私の周辺から説明しよう。

 「医療事故の責任」事故を罰しない、過誤を見逃さない新時代へ 神谷惠子編著 (毎日コミュニケーションズ)という書籍を購入したところ、本件刑事事件に関する評価がいろいろ掲載されていた。164頁に「事件No.96 事件分類:医療機器欠陥 事件名:『東京女子医大病院人工心肺事件』」の「内容」が誤っていることは以後、別に論じるとして、6頁にあるヤメケン飯田英男氏の著書『刑事医療過誤Ⅱ』からの引用を見てみよう。

表1-2 医療事故における業務上過失致死傷罪判決(確定)の内容 平成12年(2000年)から平成18年(2006年)6月まで

起訴罪名

懲役

 

禁固

 

罰金

 

無罪

 

総計

 

有罪率

 

 

Dr.

Ns.

Dr.

Ns.

Dr.

Ns.

Dr.

Ns.

Dr.

Ns.

Dr.

Ns.

業務上過失傷害

1▲

0

1

1△

4

2

0

0

6

3

100%

100%

業務上過失致死

0

0

8

6

0

2

0*

0

10

8

100%

10%

総計

1

0

9

7

4

4

0

0

16

11

100%

100%

Dr.:医師、Ns.:看護師、

*ただし、「東京女子医大人工心肺事件」と「割り箸事件」は一審無罪で、控訴審中。

 起訴された被告人は、有罪が確定するまで、「無罪」である。しかし、この表の作成者の基本的姿勢は、『推定無罪の原則』に真っ向から対立する態度である。冤罪で起訴された被告人は、裁判で、「無罪になる」のではなく、「もともとの『無罪』」が裁判上決定するのだ。この表の、「業務上過失致死」の「Dr」は赤文字でしめされたように「0人」!。一審が無罪だったのにかかわらず、「確定していないから有罪の範疇に入るので、無罪は、0人、よって有罪率は100%」という論理になっている。そもそも、書籍の題名自体が、「刑事医療過誤」で過失を前提としている。

 (この書籍のオリジナルは今、手許にないが、引用を信ずるとしての前提になるが)

 これが、ヤメケンの正体である。経歴は、札幌高等検察庁 検事長 1999年6月~2001年5月 福岡高等検察庁検事長に転任)(2001年5月~2001年11月 退職)とあるから、検察官でもエリートのはずだ。影響力がある。それだけに、検察官の総意に近いものがあると推定できる。

(2)医療事故はミスによるものという視線―「東京女子医大人工心肺操作ミス事件」と命名

本件掲示事件は、「無罪」が一審で言い渡される前から、メディアも、遺族も無罪を予想していた。ついでに言えば、検察自体も無罪を 予想していた。「東京女子医科大学事件」「東京女子医大心臓手事件」「東京女子医大人工心肺事件」等という報道や発表をみたことはあった。さらに、無罪判決後は、「東京女子医大人工心肺フィルター目詰まり事件」と原因に関わる命名をした発表の存在に対し、「操作ミスではない。」という判決を受けて、「東京女子医大人工心肺操作ミス事件」と命名できるメンタリティーに呆れ返る。さすが、ヤメケン。染みついた検察官魂はやめても抜けない。

大変気になるのは、この飯田氏の著作『刑事医療過誤Ⅱ』が、医療事故に関する発表、書籍、HP上の文章などで多く引用されていることである。これは、執筆者の立場が、医療関係者、法律関係者に限らない。おそらくこれまでに、医療事故に関する専門書が少なかったことが、この書籍に依存せざるをえない部分があることにも関連していると思われるが、この書籍は増補版まで出版されている。amazonでは、オリジナル版は入手できないくらいとのことなので、売れているとうことだろう。

経歴が凄いとか、医療事故事件に詳しいとか、医療過誤事件の権威であるなどとい理由を一人歩きさせて、ヤメケンの記述することを鵜呑みにしないでほしい。ある法律家も、ある有名な被告人もいっている「ヤメケンは弁護士を名乗っても所詮検事。」

(3)本件事件と飯田英男氏の関係

飯田氏は本件事件の経緯で最も悪名高き、東京女子医大「学内調査委員会報告書」に対する、「外部評価委員会」の委員だった。この「外部評価委員会」については、「医療の質の保証」―ブリストルの遺産-古瀬 彰 元東京大学心臓血管外科教授 『胸部外科』59巻9号「第6章 わが国において心臓手術の質が問われた事件」「第7章 心臓外科医療の質の評価」で、「心臓外科あるいは体外循環の専門家が委員として入っていない」「不十分」「委員会の設置主体が大学」「外部委員の選定が大学」であることなどが、言葉としては良く抑制的であるが、内容的には徹底的かつ痛烈に批判されている。

3.被告人からみた「医療事故調査委員会」報告書とヤメケン元最高検公判部長の意見

(1)「医療事故調査委員会」報告書に不同意!

自分の刑事事件での経験がある私にとって、厚生労働省が設置を考えている「医療事故調査委員会」は、第二試案以前から、その報告書の効力については、冷ややかな考えを持っていた。本件での、東京女子医大が作成した「学内調査委員会報告書」と三学会(日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本人工臓器学会)の作成した「三学会調査報告書」は、検察側と弁護側の相対する「証拠」として双方が申請したが、双方がともに判決直前まで「不同意」としていた。それを判決直前に裁判官の訴訟指揮もあり、双方が「同意するが、その信用性を争う」ことになった。

 確かに報告書が、医療者にとって有利な内容であれば、「事件性無し」ということで、書類送検見送りや不起訴になる可能性が高くなる。

だが、予想されるように報告書が医療者にとって不利な場合は、起訴される可能性も強くなる。しかし、刑事訴訟法317条「事実の認定は証拠による」のである。これまで、ブログには、「大野病院事件初公判」をはじめとしてこのことを散々書いてきたが、仮に現行法で、「医療事故調査委員会」報告書が検察側に有利だったら、検察側が証拠申請して、これに弁護側が「不同意」。となることが予想される

(2)民事上は「不同意」どころか-日経メディカル

 ところが、民事訴訟ではそうは行かない。原告にとって有利なものは、たとえ真実でなくとも、被告の不利になるものであっても「不同意」することはできない。簡単にいえば、何でもかんでも証拠として採用される。

 それどころか、2008年4月号の日経メディカルが指摘するように、「医療裁判では、院内の事故調査報告書など、事故に関して作成した文書の提出を裁判所から命じられることがあります。」

(3)ヤメケン元最高検公判部長の意見-当たり前のことだが、盲目的に信ずるな。

 前述の通り、私はこの第三次試案の報告書の効力については、冷ややかな態度で、少し馬鹿にしていました。しかし、医師達の間では、4月上旬にコメントのあった河上和雄弁護士(ヤメケン)の意見「最初から過失の重大さの判断を勝手に法的権限のない事故調が行って、捜査機関に通知するかしないかを決めるのは、司法の権限を侵すので問題だ」という話が印象的だったようです。こんなことは、刑事裁判の被告人にとっては、当たり前の話ですが、これを引用する医師達が多い様子。「現在の法の枠組みでは、事故調はあくまでも捜査機関のアドバイス機関に過ぎない。」ので、現状では、刑事裁判の「証拠」と提出されても、単なる「証拠申請されたが不同意の証拠」として、藻屑となる可能性が大です。

 この意見を「流石元最高検公判部長、識者の意見」などと関心して、以後もこの方の意見を盲目的に信じることなく、ひとつひとつ注意深く対峙する必要がでてくると思います。

4.「検察審査会法(改正)施行」の方が大問題

(1)  m3.comの「医療維新」2008319日 棚瀬慎治弁護士の話

 これは、ものすごく大事な話です。簡単に言えば、「検察審査会法(改正)施行」は、既に公布され2009527日までに施行されるが、『一応、医学的な専門知識を素人ながら勉強した検察官』が不起訴にした後、最終的には『医学も科学も全く知識がない委員からなる』検察審査会の審査で、起訴相当と判断されると『必ず起訴』される(指定弁護士による起訴)」というルールが出来上がってしまった。」といういことです。

http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxmiseko.cgi?H_RYAKU=%8f%ba%93%f1%8e%4f%96%40%88%ea%8e%6c%8e%b5&H_NO=%95%bd%90%ac%8f%5c%98%5a%94%4e%8c%dc%8c%8e%93%f1%8f%5c%94%aa%93%fa%96%40%97%a5%91%e6%98%5a%8f%5c%93%f1%8d%86&H_PATH=/miseko/S23HO147/H16HO062.html

(2)  検察審査会法第10条-医学知識皆無の国民による起訴があり得る!

 検察審査会は,衆議院議員選挙人名簿の中から,若干の除外事由は有りますが,くじで無作為に選ばれます[ii]。国民です。医療事故の場合、国民はどうしても患者側の視点に立つためか、「起訴相当」または、「不起訴不当」とされるケースが多くなっているようです。(棚瀬弁護士は、「不起訴相当の議決を経験したことがない」そうです!)

 「事故調報告書」が医療側に問題ない、検察が「不起訴」としても、検察審査会で「不起訴不当」「起訴相当」結果的に指定弁護士による起訴、メディアが煽る、刑事公判開始で大事。目に見えるようです。

i m3.com[オピニオンリーダー医師 対談]「医療政策対談 日本の医療を良くするために、今医師は何をするべきか」 Part 1「持っている能力を社会の反映と人々の幸福のために生かすと上に誓うから『プロ』である。」日野原重明 聖路加国際病院理事長 

日野原:Profession」という言葉には、神に告白(Profess)する、約束する、契約するという意味があります。神学と法学と医学のプロフェッションには、明らかにその精神が垣間見える。底通するのは、学問を修めるにとどまらず、持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓うから「プロ」であるという精神。欧米で、神職者、法律家、医師が、専門職能集団の中でもトップのプロフェッショナルな集団とされてきた理由はそこにあります。そして、使命感を持った人が公言し、神と約束しているわけですから、第三者が彼らの仕事の内容を批評するのも当然のこと。

ii「市町村の選挙管理委員会は、前条の通知を受けたときは、衆議院議員の選挙に用いられる当該市町村の選挙人名簿に登録された者の中から、同条の規定により割り当てられた員数の倍数のそれぞれ第1群乃至第4群に属すべき検察審査員候補者の予定者をくじで選定し、各予定者について検察審査員としての資格を調査した後、その資格を有する予定者の中から同条の規定により割り当てられた員数のそれぞれ第1群乃至第4群に属すべき検察審査員候補者をくじで選定しなければならない。」http://www.houko.com/00/01/S23/147.HTM

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2008年3月13日 (木)

『いろもの』に負けられるか!

自分を奮い立たせることが、独りでは困難なことがある。

明らかに「無罪」でも、刑事事件裁判で最終的決着がつくまでは長い。うんざりする。自分がやりたい事を我慢してもこれに取り組まなくてはならない。

逆に、今、ブログを書くよりやるべき事があるのに、これにも集中できない時がある。

他のことは何も考えずに、やりたい事だけに集中できたころ。複雑心(臓)奇形修復手術の診療で週10時間以下の睡眠で懸命になったり、研究室の床で仮眠を取りながら国際学会口演に向けて文献や専門書を読み漁ったり、飛行機内プレゼンテーションのための勉強に集中するあまり、結膜出血して白眼が真っ赤かになったりという肉体的にはつらい状況でも充実していた過去を振り返りたくなる。

大して美味しくも無いがお金だけは儲かっている「餃子屋の主人」が、フランス料理を一回も作ったことが無いどころか、一流店で食事をしたこともなく、フランス料理の専門書すら読んだこともないのに、「日本のフランス料理界」について論じている姿をテレビで放映したり、新聞、雑誌が記事にしたりしているように見える。ドレスアップしたF1レーサーがパーティ会場に沢山参加している中、タクシー会社の売り上げナンバーワンがへたった制服のまま遅れて入ってきたところ、インタビューアーが「ドライビングテクニックについて」そのタクシー運転手にマイクを向けているようである。

控訴審で、「エセ・ジャック」が証人として一審に続いて出廷したことを少し書いたところ、ネットで、「先生、『いろもの』に負けないでください。」と常識的な医師から励まされた。この件を彼を良く知る人達に話したところ大爆笑。もちろん、「的を射ている」表現ということだ。

警察が捜査を始めたのが2002年1月起訴されたのが、2002年7月。一審無罪判決は2005年11月。その間、3年11月。

控訴は2005年12月で、2008年3月現在検察側の「新証拠」として出廷した一審でも証言した証人がやっと一人終了。その間、2年4月。長い。

一審。公判50回以上、検証実験2日間検察側証人16人(複数回出廷者複数存在)弁護側証人2人、相被告人尋問5期日、自分の被告人尋問6期日検察官申請証拠約130点、弁護側申請証拠約133点。このような膨大な証拠を精査し、医学水準に立脚して事実究明を行い、2002年7月の起訴から約3年半を経て、2005年11月、被告人を無罪とした。このように、原審は、凡そ本件の審理に必要と判断される全ての証人を調べ、医学情報を摂取し、自ら検証を行い、被告人質問も十分に行ったうえで判決を下したのであり、これ以上に審理できる対象は客観的に存在しない

このような審理によって到達した結論が動かし難いものであることは明らかである。

「学会よりも業者が持ってくる情報のほうが大切だと考える」検察側証人は気軽にやっている。事件で使われたタイプの人工心肺装置は使用したことがない、それに関する文献は読まない、膨大にある調書は検察が示した部分のみ教えてもらって調書自体はちっとも読まない、カルテもごくごく一部しか読まない。

検察側証人は、いい加減なことをいっても偽証しても、偽証罪で起訴されるはずが無い。検察の意向にそって供述して内容が偽証だと告訴しても、起訴できる組織が検察だけである限り、検察が選任した証人が偽証したと立証するはずがない。

「ノブレスオブリージュ」というフランス語。「社会的に恵まれた立場にいる者は、人々の模範となるよう行動する『高貴なる義務』を負うべし」と学んだ。医師は、一般的には、社会的に恵まれた立場にあるとされている。名著「医療崩壊」の著者で私の学生時代の教官であった小松秀樹先生の言葉をお借りすれば、「勤務医は、社会と距離をおいて、自尊心と良心をもちつつ仕事をすることを望む。医療にささやかな誇りと生きがいを感じており、医師の仕事を金を得るための労働とは考えていない。ただし、先頭にたって社会を引っ張るような迫力や、強い使命感のようなものはない。他からの賞賛より、自らが価値があると思うことが重要だと考えている。収入も、普段の生活でお金の苦労をするようなことが、なければよいのであって、必ずしも多額の報酬を望んでいるわけではない。仕事で自分の価値観に反するようなことをせずにすみ、それなりに生活できればよいと思っている。自尊心を捨てない限り、自らの利益を声高に主張するようにはならない。」

これに対して、南淵明宏医師は、「この手術室にゼニと名声が埋まっている」「仕事を『商売』といい、患者を『お客さま』と考える(週刊医学界新聞)2572号(2004年2月16日)」また、最近実感したことは、「実るほど頭をたれる稲穂かな」で、年収が3000万円を超えると謙虚になった自分に気づいた旨自著に執筆している。

色物。

寄席で、講談・義太夫などに対して、声色・音音・曲芸・奇術などをいう。昔は、落語も色物に含まれた。(広辞林第六版)

1.         寄席において落語講談以外の芸、特に音曲を指す。

2.         1より転じて、ある場において、それがもともと意図していない、あるいは中心的な存在とは考えていない分野、そうした分野を専門とする人々を言う。専らテレビの世界においてお笑い芸人を指して用いられることが多く、本来の寄席用語とは実質的に逆の使われかたをしている。(ウキペディアより)

JFKと私と医療 http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/jfk_7ba5.htmlをぶつけてやりたい。(金銭や発言の場の)多くを与えられている者には多くが要求される。そしていつ日か、歴史という高貴な裁きの場で、われわれが(証人が)国家に対するつかの間の奉仕においてどれだけの責任を果たしたかが問われることになるだろう。その時、四つの疑問に対しわれわれ(証人が)がどう答えるかで審判が下されるだろう。

第一に、われわれには(証人は)真の勇気があったか。その勇気とは敵に(被告人)対するものでなく、必要とあれば仲間(メディアや名誉欲)に対しても立ち向かうことのできる勇気であり、公のプレッシャーだけはなく、私的な欲望にも立ち向かえる勇気である。

第二に、われわれには(証人には)真の判断力があったか。未来と過去を真正面から見つめ、自らの(証人の)過ちを認め、自分たちの(証人の)知識の限界を知り、それを認める英知があったか。

第三に、われわれには(証人には)真の尊厳があったか。自らの信念を貫き通し、人々の信頼を裏切らなかったか。政治的野望や金銭的欲求のために神聖なる任務を汚さなかったか。

最後に、われわれは(証人は)真に国家に貢献したか。名誉を特定の人間やグループに妥協せず、個人的恩義や目的のために道を曲げず、ただひたすら公共のため、国家のために身を捧げたか。

勇気、判断力、尊厳、そして献身・・・これら四つの要素が(証人の)活動の基準となるであろう。」 「ケネディからの伝言」落合信彦著より。一部変更。

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2007年11月13日 (火)

「市民的自由の広がり」

自由人権協会から2007年11月5日に

「市民的自由の広がり」 社団法人 自由人権協会編 新評論社

が出版されました。医療関係者、一般市民にかかわらず、誰もが関心をもてる内容になっています。大変読む価値のある書籍だと思います。

 米国のアメリカ自由人権協会は、大統領選を左右するほど、市民の関心が高い団体ですが、日本の自由人権協会は、「テレビのワイドショーで、言及されたり、新聞の社会面に登場することは、今のところ、ありません。」「日本ではアメリカほど『人権』が危機的状況にさらされていない」と序文に書かれています。

以下、私にとって興味がある章を列挙します。

「市民的自由の広がり」

はじめに

第1部 人権擁護の国政的広がり

第1章 憲法を実現した人達 海外有権者13年の闘い

第2章 「女性の権利は人権」 グローバル化する世界と女性の人権をめぐって。

・・・

第2部 現代社会における多様な声

・・・

第10章 市民の生活と被疑者・被告人の権利

第11章 代理懐胎の行方

第3部 情報をめぐる権利の諸相

第12章 放送の自由と自律

第13章 取材被害 いわゆるメディア・スクラムの違法性について

第14章 表現の自由のジレンマ

第15章 監視カメラの問題点

第16章 裁判所の情報公開と刑事記録の情報公開

・・・

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2007年9月 8日 (土)

「紫色の顔の友達」K君

30年ぶりに小学校に行ってみました。30年前の自分と全く同じように、少年が野球の練習をしている声がすがすがしい。

 バックネットから見るレフト側には、「紫色の顔の友達」K君が苦しそうに歩いていた桜並木が残っていました。その向こうに見える中学校の風景も変わらない。K君の休み休み歩いていた光景。30年ぶりに自分で歩いて見ました。

 私のブログをみた小学校、中学校のクラスメートTさんからメールがありました。学級委員、優等生だった彼女は、自宅がK君の近所で、彼女の2歳下の妹さんとK君はクラスメートだったそうです。Tさんの妹さんは、K君を誕生日パーティに呼ぶなど仲良しだったとのこと。K君は優秀で勉強が良くできた。彼は何を夢見て勉強していたのだろうか。絶対に将来の夢を見ていたはずだ。苦しい時は、真っ正面を見ながら歩くしかない。

 K君は、私の通った中学校に進学した。中学校の校長先生は、私の妻の父だった。そして、私が高校生の時、妻と知り合ったころ、バレーボールに情熱を注ぎ、同級生と夜空の下で将来の夢を語り合っていたころ、K君は手術を受け、帰宅することなく亡くなった。延命のための苦し紛れの手術だったと思われる。妻の父、中学校の校長先生は、K君の死を全校生徒に伝えた。

 私の母と交流のあったTさんの御母様も、私の母が突然死した翌年、やはり突然死されたらしい。数年後、妻の父、中学校の校長先生も現役中に亡くなられた。妻の母は、私達の結婚式の3週間前に亡くなった。

 望郷に身を置きたくなることもある。亡くなった人の魂を大切にしたい。家族や恩師、友人を大切にしたい。そのためにも、より強くなりたい。

K君のことは、「はじめてのブログ」を参照してください。

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_2f8b.html

 

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2006年11月15日 (水)

自由と正義と約束の重み

『自由と正義』日本弁護士会連合会会誌 2006年9月号 

巻頭 「ひと筆」p5-p8より

「「夢に可能性を!」 吉峰康博弁護士 

人間は常に夢を持てるか

?

私は少なくとも、いつも夢を持っていた。人には話せない、おかしな夢もたくさん見て来た。実現した夢もいくつもある。自分が努力さえすれば何でも現実になると信じられた時期もあった。・・・ 

 私は、平柳明香(あきか)さんの手術を執刀し、事件後カルテ改ざんで証拠隠滅罪に問われた被告人S講師の主任弁護人だった。・・・私は『医療過誤弁護団』の不良団員であったが、近年は『小児医療と法研究会』(代表鈴木利廣)の事務局を務め、私の事務所を例会会場としていた。

『任意の取調べ』とは?

 ・・・被疑者は当初から、一貫してカルテ改ざんの事実を認めている。・・・被疑者を、警視庁は、逮捕に際し故意に顔をテレビカメラに写させたのである。しかも、身柄の拘束は再三の保釈請求にもかかわらず三ヶ月にも及んだ。

は再三の保釈請求にもかかわらず三ヶ月にも及んだ。

さて、私は、二〇〇二年一一月、この事件の裁判が週一回(午前一〇時~午後五時)のぺースで始まった直後に、(佐藤注:実際は月2回のペース)脳出血で倒れた。当時私はこの事件を含め身柄事件を三件抱えていた。土・日もなく連夜接見に通っていた。倒れて約三カ月近くは意識不明であった。この間「あの事件はどうなった?○○さんに連絡してくれ!」等としきりにうわごとを言っていたという(妻の話)。しかし次第に言葉を失い、全く話せなくなってしまった。意識が戻っても入院中は、夢を失い、新聞、テレビにすら興味を持てなかった。約一年弱入院し、退院後も毎週二回リハビリのため通院している。その間、弟の吉峯啓晴弁護士はじめ弁護団がこの事件をやり通してくれた。

・・・

『約束の重み』

さて、S医師の判決は、二〇〇四年四月、懲役一年(執行猶予三年)の刑が確定した。・・・翌年二月明香さんのご両親から手紙が弁護団宛に届いた。「御兄様の吉峰康博弁護士と、S医師に関しては医道審議会に上申書を出すとの約束をしておりましたので、厚生労働省に行政処分の軽減を上申します」。被害者側から「重く罰するより、良い医師として新たな道を歩ませる機会を与えることも大事」との上申書が提出された例はないという。私は「(病気のため)最後まで御一緒に闘うことの出来なかった私との約束をこんな形で果たして下さった平柳様御夫妻の御厚情を心底有り難く思い、深く御礼申し上げます。……この間の御両親様の悲しみと苦しみ、そしてその中でひたすら続けてこられた明香ちゃんの死を無駄にしないための闘いを思い頭が下がります。」とのお礼の手紙を出した。S医師は資格剥奪を免れ、この上申書のおかげで、三年間の資格停止の処分が一年半となった。私は約束の重みを感じ、自分の心がきれいに洗われた。

・・・

 私は現在、毎日が実に楽しい。依然として右半身は麻痺、視力は落ち聴力は不十分であるが、・・・毎日どれほど多くの人に自分の人生が支えられていることか。私の夢は一歩一歩実現している。・・・

 私の最終的な夢は『弁護士のブラックジャック』になることである。

IZa TOP page by 産経新聞 20061029 11:41より

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/life/health/25291/

≪死亡女児 両親の訴え実る≫

 カルテ改竄を主導した東京女子医大病院の元担当医に対する保険医登録の取り消しは、事故でまな娘、明香さんを失った両親による粘り強い訴えの成果だ。

 父親の平柳利明さん(56)と母親のむつ美さん(46)は、娘の死に対する病院側の説明に疑問を持ち、事故直後からカルテを証拠保全するなど真相究明に奔走してきた。

 そのカルテ自体が大幅に書き換えられていたことを知ったのは、警察の捜査が入ってからのことだ。

 平成14年6月に元担当医が証拠隠滅容疑で逮捕された後、利明さんらは同年10月、(佐藤注:吉峰康博弁護士が倒れたのは同年11月直後。)ミス隠しのために改竄されたカルテに基づいて、つじつま合わせの保険請求が行われた」として、東京都や東京社会保険事務局、厚生労働省に、改竄に関与した医師の処分と病院への監査を求めた。

 厚労省は当初、「現状では不正とはいえない。指導や監査も行えない」とはねつけたが、利明さんらは「カルテに本当のことを書いていなかったら、事故があっても真相の解明が難しくなる」と、監査を求め続けた。

 厚労省は昨年4月から複数回にわたり、健康保険法に基づく立ち入り監査を実施した。調査は不正請求の額よりも、医療事故の隠蔽(いんぺい)行為を重視して進められた。

 5年間の保険医登録取り消しは医師にとって「廃業」に等しいことだろう。「カルテを適正に書かないことは違反であること。改竄はリスクが高いことを知ってほしい」。利明さんはこう語っている。

この国のシステム

 吉峰康博弁護士、S医師との間の「約束は守られた」。しかし、現在でも

吉峰弁護士は、「自分の心がきれいに洗われた。」「私は現在、毎日が実に楽しい。」「毎日どれほど多くの人に自分の人生が支えられていることか。」という文言を口にできるのでしょうか。

 平成17年2月3日 医道審議会医道分科会議事要旨によると、このときの出席者は、(以下敬称略)(委員) 岩井宜子、植松治雄、片山 仁、鎌田 薫、見城美枝子、赫 彰郎、堀田 力、山路憲夫 (厚生労働省) 岩尾医政局長、岡島審議官、原総務課長、中垣医事課長、日髙歯科保健課長、宮澤試験免許室長、

田原医師資質向上対策室長他ある通り、斯界の権威によって構成されています。それがなぜ、個人の上申書によって覆ってしまうのでしょうか。この国家のシステムは、専門家の集まりによって決定された国民全体に関わる事柄を、何の知識も有さないが、被害者という印籠を振りかざされた途端に変更してしまうほど脆弱なものなのでしょうか。(→*http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat3889615/index.html「大野病院事件」初公判に向けてのエール 「医療事故と検察批判 」―東京女子医大事件、血友病エイズ事件、両無罪判決より- 8月15日ブログ参照)

 医道審議会の時点で、「3年間とか5年間の医業停止」と決定されただけでよかったはずです。胸くそ悪い思いをしているのは、吉峰弁護士だけではないと思います。

 心臓外科学における「斯界の権威」によって構成された3学会合同 陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会は、女子医大内部の人間ではなく、外部の委員のみで報告書の「オリジナル版」の作成に尽力を傾け、専門家とし客観的に作成されました。

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat3890233/index.html

 女子医大内部の黒澤博身教授と専門領域とは何ら関係のない、当時、「女子医大の変革が、当時の東間院長や黒澤教授によって行われている」という趣旨の番組を制作していたNHKの職員が、ちょこっとやってきて、報告書の配布の中止をもとめたり、自分に都合の悪い文言を訂正させたりしました。このことも、3学会委員や学会員にとっては本当に胸くそ悪いことだと思います。このような行動をおこした黒澤博身教授が、3学会の一つである心臓血管外科学会の会長をしようというのですから、酷いものです。なお、公開質問状に「第2 黒澤博身心臓血管外科主任教授への質問(エ)「黒澤訂正プリント」を発行させたのは、御自分の判断ですか、女子医大上層部の指示ですか、NHKの要望ですか。」に対してもお答えをいただいておりませんが、黒澤博身教授が悪の枢軸であることは間違えありません。

→「追悼!噂の真相」 (休刊記念別冊)

「孤軍奮闘編集長の深層心理」弘中惇一朗弁護士

「この国では、「被害者」という言葉が、特に最近は、非理性的に強くて、「被害者」という言葉をふりかざしたとたんに、国家権力に対してもさっと道を開いてしまう危うさがある。権力との対峙は、どこまでも理性的でなければならないのであるが、権力が暴走しないために作ったせっかくの枠組みを、「被害者」というエモーショナルなもので、ぐちゃぐちゃにしてしまう実情がある。」

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