監獄と食事と音楽
1. 忘れていた音楽鑑賞
仕事を詰めてやっていると潤いや余裕のある生活ができなくなります。大きな仕事でも先が見えずにやっているときはそうでもないですが、締め切りが迫っている状況では、私はいつもそうなります。
控訴趣意書に対する答弁書を提出するまでの3ヶ月間もそのような状態でした。現在、週のほとんどを自家用車で通勤していますが、行きはラジオ放送でニュースをチェック。帰りの運転中はCDを聞いています。おそらく3ヶ月間たった1枚のCDしか聞きませんでした。鑑賞するというよりただ聞き流していました。勿論、気に入っているCDということもありますが、運転中はいつも訴訟のことで頭がいっぱいだったのでよく知っている音が心の平静を保てたのかもしれません。
(ちなみにそのCDとはマレイ・ペライアの「ゴールドベルク変奏曲」。*)
2. 食べ物の恨み
このブログやm3.com.のスレッドにも書きましたが、留置所(代用監獄)の食事は量も内容的にも栄養学的にも最低でした。拘置所は、美味とはいえないが、量も内容も栄養学的にも問題はありません(留置所から移管するとこれが美味しく感じる)。拘置所では、娑婆で調理関係の職業をしていた受刑者が自ら食べるものも含めて調理しているという噂。よくテレビ番組等でも紹介されるためか、法務省の検食があるためか知りませんが、ある程度愛情を感じる。できたてで暖かいからかもしれません。ただし、最初は本当に分厚い金属の弁当箱の中に「ウジ」が乗っていると間違うような麦がのかったご飯は量が多いこともあり、完食するのは大変でした。娑婆で健康食として食べる麦とはわけがちがうので、見た目は最低でした。
3. 牛込警察留置所 献立表
朝食:365日毎日同様(と行政警察員がいっていた)
ご飯-ほっかほか弁当と同じような白い容器に明らかに前日詰め込んだものを保温してカピカピしている。
菜-ご飯の上に毎日昆布と沢庵2-3切れ、のりたまふりかけが乗っている。昆布は鰹節のにおいがついた2cm四方の大きいものか、細く切って少量の胡麻があえてあるものが一日おきにでる。沢庵はいかにも合成着色料を使用してご飯が黄色染まっている。
みそ汁-唯一香りがする。出汁が結構でているが、みそは色が、やっとついている程度。具は月曜から土曜は2-3枚のちいさなわかめのみ。日曜は作っている場所が違うとのことで、これに麩が1-2個浮いている。毎日この程度の食事だとこれでも嬉しい。
白湯-留置所で飲めるものは、基本的に「水」と「白湯」だけである。勿論「お茶」すら飲めない。(5日に一回の入浴直後には、自弁(自分でお金を払って購入する)で、200mlのジュースを一本飲める。缶コーヒーを一回飲んだ。拘置所に移管が決定したときに、担当刑事との面会があって取り調べ室に呼ばれたときに、出された。私と術野のM医師とのメールを盗聴した警察。その内容を元に、M医師に「佐藤の弁護士に会わないように」と手術前の早朝に電話したA刑事は私の担当ではないのに缶コーヒーを購入して持ってきた。「これが、盗聴したことの詫びかよ。」と叩き返してやろうと一瞬思ったが、彼のようなうだつの上がらなそうな刑事は単なる連絡係で、指揮をとっているのは別の刑事であるはずなのでやめた。飲んだがうまくもなんともなかった。)
昼食:365日毎日同様(と行政警察員がいっていた)
パン:昭和40年代から50年代に小学校にいっていた人ならあの「大コッペパン」を思いだせるでしょう。あれそのものが毎日2個。月曜から日曜まで同じ。
ジャム:毎日マーガリン一個とジャムが小さいビニールパックで一つ。イチゴジャムとオレンジマーマレードの繰り返し。当然、朝昼は飽きる。拘置所に移管するときの法務省内では、はちみつとQBBチーズステイックがでた。)
白湯-朝昼夕ともに飲めるのは、「水」か「白湯」のみ。
自弁-実は昼は「自弁」で外注の弁当をとれます。ただし指定された業者からのみ。また、土曜日は特定の中華料理屋に注文できます。しかし、外注の弁当もまずくて質の悪い油だらけで最悪でした。同房に勾留されている人達も誰も頼んでいない上、私も食べると手掌に油が浮いてくるような感じになるので、やめました。理由のもう一つは、当然、無職になることが予想されたので、経済的不安からも600円の自弁も購入するのは贅沢に感じたことがあります。
夕食:二日連続同じものは出ないが・・
酷かった。妻が面会に来た時に、偶然見たそうだが、「まさかこれを食べさせられているとは思わなかった。」という代物。おそらく、コンビニエンスストアに置いてあったら間違えなく売れ残って、アルバイトの店員がもったいないから持ち帰ったとしても、帰宅途中にいた野良犬に与えたとしても食べないだろう。
例
ご飯-白飯だが、カピカピ。
おかず(例)-油にまみれてしなしなになった小さなレタスの上にべとべとの油であげたかき揚げが冷めてのっている。ちいさなさくらエビが2-3入っているだけであとはほとんどたまねぎ。ちくわの揚げたものもさめている。うぐいすまめ5-6個。しば漬けが2-3ついているが歯ごたえがなくぐねぐねしている。以上。
私の父は新潟出身で、子供のころから「お百姓さんが一生懸命作ったお米は一粒残さず食べる。」のが常識となっていたので、出されたものは全て残さず食べました。(もちろん、この程度の食事では痩せる。)
4. ござの食卓で聞けた唯一のCD「image」
起訴されるまでは、取り調べ時間も深夜におよぶので、精神的にも辛い上、こんな食事での扱いを受けると人権侵害といいたくなりますね。社民党の福島瑞穂議員が刑務所に処遇について本を書いていますが、社会民主党(私は嫌いですが)の党首としては、視線が明後日の方向ではないかと思います。人権侵害の最たるは、逮捕から代用監獄での起訴まででしょう。(このことは、本稿の主題ではないので、改めて書きます。)
食事の時間になっても、鉄格子の外には出られません。朝夕の布団の上げ下げと体操という名の午前の喫煙タイム(吸わない人は他房者との会話タイム。)と午後一回ある官本を返る時。それ以外は、取り調べと面会と5日に一回の入浴以外は房の中。
食事の合図とともに、す巻きになった「ござ」が、40x30cmぐらいの窓から入れられて、これを開いて食卓完成。胡座をかいて「えさ」にありつく。朝昼はいつも同じなので、一切期待はしない。夕飯は前日と同じメニューのことはないので、期待をするが、45日間の留置場勾留期間全てむなしい思いをしました。
また留置所で音楽が聴けるのも食事の時間のみ。しかも、一枚のCDを繰り返し45日間聞いていた。
「image」というオムニバス盤で、主に映画音楽や最近のクラッシックの曲をアレンジした曲が多い。よく売れたので聞いたことがある人も多いでしょう。「パリは燃えているか」「放課後の音楽室」「風笛」私の映画Best 3でもある「ニューシネマパラダイスのテーマ」等好きな曲が多いので今聞いてもここちよい。
これを聞くと「ござ」の上で、マーガリンとジャムをどのような塗り方やミックスの仕方で食べると飽きずに食べられるかという馬鹿馬鹿しい工夫を、中国人の陸さんやイラン人のナセル(参照「獄中執筆記-傷害防止特殊ボールペンによる医学書院「医学大事典」の執筆-」http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat4382001/index.html)と情報交換したことを思い出す。
5. 勇気づけられた放送「人間どきゅめんと」とテーマ曲「黄昏のワルツ」
この「image」を毎日聞いていて勇気づけられたのは「黄昏のワルツ」。最近Sergei NakariakovのCDにも収録されましたが、加古隆のオリジナル盤は、NHK総合で放送していた「人間どきゅめんと」のテーマ曲になっていました。
私は、普段ほとんとテレビを見ません。スポーツ中継で気にいったものがあればみる程度。1970年代から1980年代はボクシングが好きで、後楽園ホールでよく観戦、投稿していたボクシングマガジンの編集長ともその日の試合について感想を述べ合ったりしたこともありました。このところ気に入ったボクサーが全くいませんが、ここ10年で応援しようと思えるファイターが1人います。
坂本博之。彼のがこの「人間どきゅめんと」に出ていた。
6. 「親に捨てられた兄弟よりも今の自分は辛くないはず。」
昭和30年代40年代のボクサーといえば、ファイティング原田や大場政夫のように貧困脱出から栄光へのサクセスストーリー。(大場はチャンプのまま23歳で交通事故死)長嶋と新春対談といったレベルのスター扱いだった。日本チャンピョンの座につけばその瞬間に一戸立てが建つ時代だったが今はアルバイトしないと生活できない。
坂本は飽食の時代に生まれたけれど、親に捨てられた。飢えていた。タイガーマスクの漫画の世界を再現するような「みなしご」の施設に入る。彼が小学生の時に幼い弟が「飢え」てほしがった「肉まん」を店から盗んで食べさせたエピソードが「人間どきゅめんと」で流された。
坂本の戦歴は下に記した**の通り。スタイリッシュ王者畑山に挑戦。日本人同士の対戦ではここ10年で最高と思われる劇的なカード。無骨だが鉈で一撃必殺タイプの坂本と現代的なアウトボクシングスタイルの畑山。
坂本は、試合がある度に育った「孤児の施設」を訪れ、ファイトマネーを寄付し、子供達に学用品や玩具をプレゼントする。子供達は世界戦では二階席からそろって鉢巻きをして、両手を会わせ祈りながら泣きながら坂本を応援する。その中、リングに倒れた。
以後椎間板ヘルニアで満足にトレーニングでなきかった坂本の復活戦までの闘病生活を描いた「人間どきゅめんと」坂本の入場テーマ曲は現代のボクサーとしては珍しいドボルザーク。復活戦で勝利する坂本の映像とともに流れた「黄昏のワルツ」は涙をさそった。
彼の苦しみをこの曲と共に毎日思い出した。留置所のクサイ飯は確かにまずいが飢えはしない。彼のように必ず復活する日、自分の主張を言える日を待つこととした。その第一歩が初公判であることは、9月5日のブログ「ホリエモンと同じ気持ちの『初公判』」http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/cat3889615/index.htmlに書いた。
7. 「ショーシャンクの空に」「フィガロの結婚」
留置所(代用監獄)にいると、特に起訴以前は精神的にそうとうつらい。映画に出てくるような銀行の金庫の銀色に光る分厚い扉に似ているドアから留置所内に入ると、地震が起きた時にここに閉じこめられたまま押し潰される夢を見る。弁護士さん以外は、家族も含めて面会は禁止。楽しみは、食事と5日に一回の風呂くらいしかない。娑婆での生活が恋しくなる。音楽が清涼剤にはなるが、代用監獄では「image」のみ。
拘置所にいくと、ラジオ放送が聴けるようになる。各部屋に音量を調節する装置があって、NHKのニュースや相撲、野球放送が流れる。こういうときには娑婆にいたときに聞いた曲が流れたり、懐かしのメロディが流れたりすると郷愁感が生まれて感動するのかと思っていた。そうでもない。
丁度、小学生から中学生にかけてよく聞いていたフォークソングがよくかかったが、ノルタルジーはあまり感じなかった。平井堅の「大きな古時計」が流行していた。だが、これも中学校の合唱コンクールで歌った思い出がある曲だが無感動だった。
本当の芸術。監獄ではこれが一番感動する。一流の芸術が聞けるのはやはりクラッシックだ。映画「ショーシャンクの空に」で主人公のアンディが規則を破って放送室から刑務所全体に響き渡るように「フィガロの結婚」のレコードをプレーヤーにかけて、'duettino - Sull 'aria' を流すシーンがある。全受刑者が仕事の手を止めて聞き入る。このシーンが実感をもって理解できた。監獄にいるときに一番必要な音楽は真の芸術である。
私は保釈されて娑婆に出てからしばらく聞かなかったクラッシック音楽のを再び聞き始め、以前よりも好きになった。
* 「ゴールドベルク変奏曲」は、振り返ると10数年前に、アンドラーシュ・シフのCDを聞く機会があったはずなのに、その時はなんとも思わず押入の奥に隠れていました。当時知らなかったグレン・グールドの81年録音盤を後から聞いて衝撃を受けて、グールド1955年版、シフの再録音版はもちろん、年代的にも1920年代のワンダ・ランドフスカから2005年にリリースされた新人マルティン・シュタットフェルトまでの正統派、その他、キース・ジャレットが日本で録音したものややギター演奏のCDまで幅広く聞いて、中村道夫のクリスマスコンサートにもいきましたが、このペライア盤はグールド81年盤に比肩する名盤だと思います。(私は音楽の才能はないのですが、自分では勝手にそう思っています。)
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全日本ライト級新人王、日本ライト級王座獲得、東洋太平洋ライト級王座獲得ととんとん拍子に実力を付け、WBC世界ライト級王座に初挑戦は、12R判定敗け 世界ランキングを1位に上げ、WBC世界ライト級王座に再挑戦。12R判定でまたも王座獲得ならず。三度目の世界挑戦はWBA世界ライト級王者から1Rに2度のダウンを奪うが、坂本は4Rにセラノのアッパーで目を負傷。5Rには更に傷口が深くなり、レフェリーストップによるTKO負けを喫する。王座獲得ならず。 再起してWBA世界ライト級王者となった畑山隆則がそのリングで一回目の防衛戦で会場にいた坂本を指名。1Rから両者は激しい打撃戦を演じ、10Rに坂本は畑山のワンツーでダウンを喫する。10RTKO負けで王座獲得ならず。
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